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百人一首解説「風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける」

こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。

百人一首の98番、

風そよぐならの小川の夕暮れは
禊ぞ夏のしるしなりける

こちらは、藤原家隆の和歌です。
百人一首では「従二位家隆」という名前で書かれています。


作者

藤原家隆は、平安時代後期から鎌倉時代初期の歌人です。
百人一首の撰者・藤原定家と同じ時代に活躍した人です。
歌人・寂蓮法師の娘婿で、
この時代の歌壇の第一人者である定家の父・藤原俊成に師事しました。
定家のライバルとも言われています。

定家と同じく、「新古今和歌集」の編者の1人です。
新古今和歌集は、後鳥羽院の命令により編纂された勅撰和歌集です。

この後鳥羽院も優れた歌人でしたが、鎌倉時代の初め、
鎌倉幕府を討伐しようとして失敗してしまい隠岐に流されてしまいました。
後鳥羽院は配流先でも和歌を詠み続け、なんと家隆とリモートで歌合を行ったといいます。
家隆は歌合のために後鳥羽院の元へ和歌を送るなど、手紙のやり取りを続けたそうです。
(ちなみに後鳥羽院と喧嘩別れした定家は一度も手紙を書かなかったそうです…)


和歌の意味

風そよぐならの小川の夕暮れは
禊ぞ夏のしるしなりける

この和歌は、言葉通り受け取ろうとすると少し難しいかもしれません。

ならの小川」は、上賀茂神社の境内を流れる御手洗川のこと。

」とは、6月の最終日に行われる夏越の祓のことです。
旧暦では夏は4、5、6月を指し、この6月の最終日が夏の最後の日だったんです。
次の日は秋なんですね。
夏越の祓は、「六月祓」とも言います。
1年の半分にあたる6月の最終日に、半年間で溜まった汚れを落とし、
残り半年の息災を祈願する神事です。
現代でも神社で茅の輪くぐりをしたりしますね。

夏越の祓についてはこちらでもっと詳しくお話ししています。

風がそよぐならの小川の夕暮れは、涼しくて秋の気配がするけれど、
今日は夏越の祓の日だから、まだ夏なんだ。
という意味になります。

ではこの和歌は、6月の最終日に上賀茂神社で涼しい風に吹かれながら詠まれたものなのか…というと、実はそういうことでもないんです。


詠まれた状況

この和歌は新勅撰和歌集に収録されており、詞書がついています。

「寛喜元年女御入内屏風に」

新勅撰和歌集 詞書

後堀河天皇の中宮が入内した際、嫁入り道具として屏風が用意されました。
その屏風には宮中での年中行事が月ごとに描かれており、その中の夏越の祓の絵に合わせるために詠まれたのが、この「風そよぐ」の和歌だったのです。
実際の禊を見て詠んだわけではないんですね。
このように、屏風絵に合わせて景色を詠むことはよくあることでした。
百人一首「ちはやぶる〜」もそうですね。

ちなみにこの時、屏風絵に合わせるためにこの時代を代表する歌人たちが他にも何人か集められてそれぞれ何首ずつか和歌を詠みました。

家隆もいくつか詠みましたが、定家は自身の日記「明月記」の中で家隆の和歌を「秀逸ではない」とバッサリ切り捨てています。
そして唯一、この「風そよぐ〜」だけは褒めているのです。
百人一首に選ぶほど、お気に入りだったんですね。


表記揺れ

百人一首では「従二位家隆」とありますが、
新勅撰和歌集の中では「正三位」となっています。
また、百人一首の前身と言われている「百人秀歌」でも「正三位」表記です。
家隆は1235年に正三位から従二位へ出世しました。

この表記が百人一首の謎のひとつでもあるとも言われていますが、
後世の人が勝手に変えた可能性もあるのであまり深く気にする必要はないかなと思います。


☆動画で解説


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