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学歴に対する考え方の差

アメリカの映画で私の好きなシーンの1つに、
グレかけていて貧困家庭にいる主人公の青年が、同じコミュニティにいるドラックの売人をしている年上のワルから

大学へ行け。俺みたいになるな。お前は頭がいい。大学へ行ってこの街から出ろ。


と説教かつ喝を入れられるシーン。これいろんな映画に出てくるのですが、私のオキニのシーンの1つです。
その後、主人公はこのワルからの真摯なメッセージに心打たれて、勉強に力を入れて晴れて大学に進学し、良かったなぁとなるわけですが、これって何か日本の学歴に対する見方とだいぶ違うなぁと思うわけです。

アメリカでは単純に、
大学に進学する事=人生の幅が広がる良い事
と捉えられているのに対して、日本では
大学なんて行っても意味がなくない?それよりも自分らしい人生を自分で稼ぎながらするのが素晴らしくない?
と言うような考えがそこそこ見られる気がします。

つまり私が好きな、人生の先輩のワルが
俺みたいになるな、大学に行って人生変えろ。
と説教するようシーンが日本にはないんですね。
これ何でなんでしょうか。

理由の一つとしては、日本とアメリカにおける大卒という学歴の価値の差にあると思います。
日本ではFラン大学と揶揄されるような誰でも入れるような大学がタケノコのように存在するため、アメリカで
“大学に通ってます”というような、一種のステータスが存在しないというのはありそうです。

またアメリカの大学生は卒業するまでに自ら何百万と言う奨学金の借金を背負ってまで進学しますが、日本人は親が子供の入学金から授業料まで全て負担してまで大学に入れようとするので、どちらかと言うと親の体裁のために子供の大学と言う学歴が考えられる傾向がありそうです。こうなると日本では、大学と言うものがアメリカのような、人生を1発変える場所、と言うような立ち位置ではなく、親のために行くものと言うシケた存在理由になりがちです。

私としては、貧困の連鎖を断ち切るための象徴としての大学進学と言うのは、分かりやすくて好きなのですが、いまいち日本ではそうなっていないようです。


また二つ目の理由としては、日本では何故か東大生よりヤンキーの方が支持されがちというおかしな風潮があります。良い大人が過去の悪さ自慢を臆面なく自慢する一方で、現役の良識ある東大生はその身分を隠しがちと言うアメリカ人から見たら謎な光景が広がっています。

頭が良い奴がコソコソして、悪さをしてきた奴らが肩で風を切りながら歩くというおかしな光景です。

それもこれもこれまでの日本が海外のような激しい格差がない均一な社会だったからでしょう。ヤンキーと言う物珍しい人種を面白がる余裕が日本にはありましたが、今となっちゃ日本経済にヤンキーを愛でる余裕はありません。

ともかくこの記事に深い理由はなく、私はハリウッド映画でワルいやつが主人公に

俺みたいになるな、お前は頭がいい。大学へ行け。

と言うシーンが大好きなので、日本も早くそうなって欲しいなと思います。貧困の連鎖に絡め取られた子供達が唯一、一発逆転できるシンボルとしての大学はまだまだ必要だと思います。


さて今日のFirst take スティーブンAのおっさんの英語です。ぶっちゃけ言っている内容はマニアック過ぎて分かりませんでしたが、

カメラはどこだ? カメラは?

このシーンだけ見れて満足です。


スティーブンAはバスケの話題になる時だけ生き生きするのが分かります。

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