多様性を認めない企業には、将来なんてこない
経産省の平成30年に出した「2050年までの経済社会の構造変化と政策課題について」と言う資料をネットで見ていて、企業は多様な働き方を認め導入しないとジリ貧になるだろうなと思った。
「どういう理由で?」と言われても、なんと説明したら良いのか分からない。
ただ、今までの働き方を踏襲するだけ、例えば週40時間とか36協定とか、年功序列とか、残業100時間までとか、役員は高給取りとかそういった括りにすべての労働者を適応させ様とするだけでは、もう詰んでるんじゃないかと思う。
資料によると、年寄りも働きたいと言っているらしい。でもパートで時間に融通が聞かないと嫌だと言う。
それは、何も年寄りだけの話でない。
若い人の中にも、そういうニーズは潜在的にある。(少なくとも、僕はそういう働き方したい!!)
でも、多くの企業では今でも勤務時間は8時間で、当然残業もして欲しい。なぜなら、安く長く働いてもらったら、役員の給料が増えるから。それに管理も楽だ。
いつ仕事の発注があるか分からないから、毎日同じ時間に通勤させて、仕事が無かったら、トイレ掃除などの雑用させて、それでも無いなら、首を切る。
非常に分かりやすい。
今回のコロナ禍で、そういう企業も多くあっただろう。
そんな働き方は、嫌です。と言うか逆に現実的でないなと思う。
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シンガポールで母親インタビューをし始めたころ。当初紹介してもらった女性たちは大卒のハイキャリアの女性たち。1時間強のインタビューが終盤に近づいたころ、こんなことを漏らす人たちがいた。
「一生困らないお金があったら専業主婦になりたいけどね……」
「高学歴で優秀だからって、働きたいとは限らない。専業主婦になれるものならなりたい。けど、シンガポールで子どもを育てるのにはお金がかかるから夫1人にそれを背負わせるのはストレスフルすぎる」
また、冒頭紹介した「専業主婦になれるものならなりたい」という人たちの中にも、専業主婦になったら何をしたいのかと耳を傾けていると、実は「しっかり寄り添って勉強を見てあげたい」というケースはほとんどいない。彼女たちが口にするのは、むしろ「子どもと時間を過ごしたい」というものだ。
この「子どもと向き合いたい」「子どもとの時間が欲しい」という語りは、ワーキングマザーが増えた社会において珍しいものではない。
これはシンガポールの母親インタビューでの話だが、結婚して子供ができれば、フルタイムの仕事は辞めたいと言う事らしい。理由としては、子供との時間を大切にしたいと言う事だ。
まったくその通りだ。フルタイムで残業も厭わず、家には寝に帰るだけの生活は、嫁や子供ができたら卒業したいと僕も思う。
て、言うか、せっかく人生の伴侶や家族ができたのに、その人等との時間が無い生活って、何なの?
なんのために一緒になったの?
その人等と楽しい時間を沢山過ごしたいから、一緒に住むようになったのに、いつもすれ違いってどういう事?
僕も、子供がいれば、子供と遊べる時間が欲しい。母親なら猶更じゃないだろうか?
そうなるんだったら、「仕事辞めます。」って言いたい訳ですよ。タフでタイトな仕事より、ユルイ生活したいと思う訳ですよ。
そうなると、やっぱり、「フルタイムの上、残業。なんて選択肢に無い。」っていう人等がこれからも増えるんじゃないかな?
また、今の時代ネット等を上手に活用して稼げるようになってきた。だから、個人事業主として生計を立てている人も多い。
きっとそう言う人達もどこかの社員に収まりたいと言うニーズは有るはず。だけど、「副業お断りなんで・・・」なんて硬いこと言ってたら、求人を出せども、応募がなくなると思う。それに、役員の中には他企業の役員を兼務(要するに副業)している人がいるのに不公平だ。
人口減少時代なので、ただでさえ働く人は減っている。その上に、いろんな条件を付けていては、いい人は見つからないだろう。
例えば、コロナ禍で看護師や医者の数が不足しているという報道があった。
調査によると、資格を持つ潜在看護師は全国に70万人ほどいると言う。
それらの人の離職理由は様々だが、私は企業側の努力不足だろうと思う。
「1勤務8時間以上で、週5日勤務で、夜勤もやってねっ。」て言うんだよ。
若い頃にはできても、年とったらできないよね。だから、逃げるように辞めていくんだよ。
実際、このコロナ禍であまりの激務に耐えかねて離職していく人も多かったようだ。
でも、企業側はそういった勤務体制を変えようとしない。
なんでかって言うと、「いや、法律的には問題ないんで。」。でも、それは違うんじゃないかな?
「もはや戦後ではない」
1956年、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述し、この言葉は流行語になりました。
でも、現場や経営は今でも戦中の様相を呈しているのはいかがなもんだろう。
大企業も普段何やってんだか知らないおじさま方が、高い給料もらって、汗だくになってる若い奴が安い給料だ。
その何やってんだか知らないおじさま方は、総務省の幹部とよろしくやってるって、時代劇の越後屋じゃないか。
企業も末端で働く人がいなくなると、事業として立ち行かなくなるのじゃないだろうか?
その末端の人の数が減って行ってると言うのに現行通りで良いのかな?
企業側は、より労働者側に向いた労働条件を提示しなければ行けない。
僕の思うところ、それは副業可で、週3日勤務で、1日6時間くらいだと思う。
副業可は先程理由を述べた。
週3日勤務は1週間を2交代制にすれば良いんじゃないかと思うところから来ている。月から水まで、木から土まで。これなら土曜日も業務対応できるよね。
日に6時間は、一日2交代制で、朝は8時から14時まで、昼は14時から20時までこなせばいいんじゃない。そうすれば、保育園や幼稚園への送り迎えや、食事の用意などの家事も余裕でこなせれるんじゃないだろうか。
言っときますが、これは一例に過ぎずもっと潜在ニーズを掘り起こして、働き方を見直さなくてはいけないと思う。
それにこれは女性だけの労働条件ではない。男性もこんな感じで働ければ、世の中生きやすくなるんじゃないかな?
でも、これを飲める経営者はいないだろう!
なぜなら、単純に今の業務を倍の人数でしてよってことになるからだ。「それでは経費倒れだ。」とか、「管理するのが煩わしくなるだけだ。」とか、「経営したことも無いくせに。」とか言いそうだ。
日本はメンバーシップ雇用だとか言われている。どういう意味かと言うと、お友達型雇用なの。
ちょっと前にお友達内閣とか言われたがそれなの。
「俺とお前は友達だよね?だったらこれくらい良いじゃん。」って押し付けてくるの。それの繰り返しなの。
でもそれでは、業務範囲があやふやで広範囲に渡っても文句が言いづらい現実。それで、みんな疲弊している。
その状況のまま僕が思うやり方を導入しても上手く行かない。「この仕事は、次の時間の人がする範囲なので私の業務でありません。」と言える会社や社会を作らなければいけない。もっと言えば、「いいサービスを受けたければ対価を払え」ってことがみんな分からないといけない。
それができれば、副業可で、週3日勤務で、1日6時間くらいが実現できるんじゃないだろうか?
なんにしろ、今のままの雇用慣行が続いていっても、先細り感は否めない。