頑なに張らなくても、いいと思うが・・・
コロナ感染が拡大している。政府は緊急事態宣言を延長した。
それでも、感染者数の抑止、医療のひっ迫、人流の抑制にはつながりにくい様だ。もう何回目かで、みんな慣れっこなんだろう。
そう思うと、逆に「好きにやってください。」「自由に外出してください。」と、規制などを解除して普段通りの生活に戻した方が、分かりやすいし、経済活動もできていいんじゃないだろうか?
暴論だとか、周りの事を考えろとか言われそうだけど。
だけど、宣言を続けていて、本当に終息するのだろうか?疑問だ。
そもそも、何を持って終息なのかも分からない。感染者が一人もいなくなることか?
ある一定の数に収まっていればいいと言う事か?そこも、私にはあやふやに見える。
それに、ワクチン接種が本当に有効なのだろうか?
2回で良いって言っていたのに、今は3回摂取してくださいと言いだした。
本当に3回摂取すれば終わりだろうか?
もしかしたら、4回、5回と際限なくなるのじゃなかろうか?
そんな事を考えると、マスクやアルコールが本当に有効なのかもわからなくなってくる。
そんな状況の中、政府は緊急事態の延長を決定した。目途は、9月12日らしい。
どうせ、延長の延長をするだろうと、冷ややかな目で見ている時、下記の記事を目にした。↓
副題に「日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」とあり、第2次大戦の悲劇を描いていた。
何が悲劇だったかと言うと、
結果がよければ規律違反を犯しても責任を問われない。では、結果がついてこないときはどうするのか。結果が出るまでやめないのである。確たる結果もなく途中でやめれば責任を逃れられない。だから、どれだけ犠牲が出ようと結果が出るまで続けるのだ。
とする、指導者の考え方が悲劇のだったのだ。
そして、
責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。
責任や権限が不明瞭だった点も問題にしている。
続けて、それは現状も同じだろうとした。
だが形だけのものでも、一度手にしたら放棄するのは難しい。当時の指導者も国民も、ここまでやって手放すのは惜しい、ここまで来ていまさらやめられないという気持ちだったに違いない。権限と決定のあいまいさと、いまさらやめられないは、日本人の悪しき習性であり、今回の東京2020オリンピックや新型コロナ対策でもさまざまな形で影を落とした。
同感だ。
オリ・パラをなんでもいいから開催する政府の態度は良くないだろうし、それを美談化するようなマスコミや、宣言をいたずらに延長している政府と、それを支持している国民どちらにも問題があるのだと思う。
オリ・パラは選手の闘いっぷりを見て感動したり、いい部分も多かったが、ドタバタぶりも凄かった。
「こんなに大変なら、始めから誘致なんかしなくても・・・」と思う。
コロナは、何もしなければ、感染は拡大する。
でも、自然の営みには間違いないはずで、そのタイミングで人が減るべきだろうと、僕は思っている。
何となく自然からの警告と感じるからだ。
それに、人が多すぎるのはトラブルの元だ。自然を壊し、動植物をレッドデーターリストに載せているのは、元はと言えば人間の仕業なのだから。
今、世界で次世代エネルギーの研究開発が盛んらしい。
僕的には、「そこまでしなくても・・・。」と思っているが、きっとみんな「ここまで来ていまさらやめられない。」と思っているに違いが無い。
でも、そろそろ「知足」の考えを身に着けても、いいんじゃないだろうか?