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ジャックダニエル

秋の夜長。今夜はあなたを空想のショートムービーへご案内します。
お供は大人の選ぶウイスキー。
ジャックダニエルです。

大人になったら一人家でグラスを傾けよう。大きな氷を買って、指でかき混ぜよう。なんて思いませんでしたか?

大丈夫です。

今でも思っている人はたくさんいます。
お手元にご用意されましたか?

では、ぐっとやっちゃって下さい。
良く味わってくださいね。

ほのかに甘い飲み口。しかし、しっかりとしたボリュームで、後味の旨味の残るウイスキーです。まるで、凄いことを成し遂げてきたダンディな紳士に自分がなったような、高貴な気分に浸れます。

やはり静かな夜に味わうのが良さそうです。


ささっ、もう一口。
どうです?
癖になりますね。では、そろそろ行ってみましょうか。
読みながらダンディに飲んで下さいね。

なにしろ今夜はジャックダニエルを思う存分楽しむ夜なんですから。

ーーー
北山徹(真島秀和似のあなた)
柴田加奈子(桜井日奈子似の女性)
ーーー

北山徹。45歳。
あっという間だった。
今までの人生のことだ。
会社の同期はみんな結婚し、子供がいる。家を買っている奴も多い。

どれも持っていないのはもう俺だけだ。

しかし、45歳という年齢は、人によって老け方が本当に違う。
正直俺は若い。たぶん子供がいないからだ。

会社の同期も、学生時代の同級生も、子供がいる奴は大概老けている。
まるで除隊した老兵だ。

俺は違う。まだ独身だし、結婚を諦めたわけでもなければ、恋だって諦めてはいない。勿論出世だってそうだ。

しかし、昔と違って、若い女の子をすぐに誘い出せるわけでもない。特に、会社では何を言われるかわからない。コンプライアンスと社内の噂という二大悪魔が棲息しているためだ。従って、社内のつてはもはや諦めている。

家に帰っても狭い部屋では特にやることもないから、仕事の後は行きつけのバーに行くことにしている。その店にはそういう手合いも多い。

悲しいかな、その手合いと仲良くなって、精神的に助け合いながら生きている。
いや、むしろその手合いのうちの一人だ。たぶんサブリーダーぐらいにはなれるだろう。

35歳の時に結婚のチャンスはあった。でも、決断できなかった。海外赴任の話が同時に来ていた。ついて行くと言われたが、当の自分が彼女を背負えなかった。

それから早10年。帰国して7年が経つ。その間に何度か付き合う女性もいたが、皆短命に終わった。
飽き性なのだろうか。それとも、わがまま…いや、わかっている。理想が高すぎるのだ。結婚までと思える女性は、自分よりもクラスが高すぎて、自分に興味を抱かない。この繰り返しだ。

が、仕方ない。もはや妥協できないだろう。本気で女子アナや芸能人と結婚してやると思っていた。20代の頃の野望ならまだしも、35を越えてからもだ。

職場では、ずっとプロモーション担当。CMやテレビ、インターネット等さまざまな媒体で、自社製品を宣伝している。そこで芸能人と話す機会も多かった。たまに意気投合することもあって、きっとそれで勘違いしてしまった。
しかし、結局誰も落とすことは出来なかった。落とすという考え方が駄目な証拠だ。

最近西麻布にある馴染みのバー行くと、仲間たちと同じ話になる。

この人生に意味はあるのか?と。
今ここで死んでも年老いた親が哀しむかもしれない。しかし、それだけだ。という結論になる。

会社の同僚や、このバーの仲間たちはきっと、俺が死んでもテレビで有名人が死ぬのと同じ程度の出来事だろう。現実感がないのだ。仕事ばかりしてきたが、もはやそんなこと何の意味もない。むしろそんな奴らは恥ずかしいのが現代だ。

今夜もまたいつものバーに来てしまった。
「今夜はどーされます?」
とマスターが聞いてくれる。
「あぁ、えっと、じゃビール…いや、なんか身体にいいのない?」
「はは、何言ってるんですか?酒は全部身体にいいんですよ」
「だよね。じゃウィスキーで」
「銘柄は?」

「ジャックダニエル、シングルロックで」
「かしこまりました」

目の前でマスターがアイスピックを器用に刻みながら綺麗な球体のアイスを作る。手慣れたもんだ。
ちょうど良いサイズのグラスにその氷を入れて、ジャックダニエルを注ぐ。
氷のパシッと割れる音がする。その後にカラーンと氷が水に溶けてグラスに当たる良い音が響く。

これでなくちゃ、一日は終われない。

「北山さん、今日は疲れてます?」
「え、いやそんなことないよ。疲れてそう?」
「なんとなく、元気なさそうだったんで」
「いや、なんか今日働いてたら、ふと俺の生きてる意味ってなんなんだろう?って思っちゃったのよ」
「ええ?どうしたんですか?ミドルエイジドクライシスですか?」
「んー、確かに。それかなぁ」
「ポルシェでも買っちゃえば気が晴れるんじゃないですか?」

「いや、だからそれはそのクライシスだよ」
「あ、そうか。はははは」
危ない危ない。昼休みにネットでポルシェを検索したんだった。
俺は自暴自棄になってないか。

特に大きな何かがあったわけじゃないのに…怖いもんだ。こういうときに変な宗教にハマらないように気をつけないと。

「じゃいただきます」
「どうぞ」
ジャックダニエルを舐めた。うまい。ほのかに甘く、燻されたような良い香りが鼻腔をくすぐる。北山は球体の氷を指で回し、回転する水を見ながら、再び口をつける。幾分まろやかになったジャックダニエルは、その味に円熟味をます。

「いらっしゃい。お待ち合わせですか?」
扉が開いて新たなお客が入ってきた。
「いえ。だめですか?」
「何名様?」
「一人よ。駄目ですか?」
「あ、いやいや、えっと。こちらの席に」

「北山さんごめんね。狭くなるけど隣りに入れていい?」
「あ、ああいいよ別に」
隣に初めて見る女性客が入ってきた。美人だ。少しふくよかな感じで、色気がある。でも、若そうだ。一人でなんて、何かあったのだろうか。僕は彼女の横顔をチラリと見て、視線をグラスに戻した。彼女が座ると、その髪が揺れ、なんとも言えない甘い香りが僅かに鼻腔をくすぐる。

「それ、なんですか?強いお酒ですか?」
「ねぇ、話しかけてるんだから無視しないでよ」
「え、俺?」
いきなり話しかけてくるとは。
「そうよ。あなたよ。おいしそうに飲んでるそれはなによ」
「いや、ジャックダニエルだよ。ウイスキーの。よくあるやつ」

「よくあるやつって言い方はひどいなぁ」
とマスターが合いの手を入れる。

「いやぁ、そんなこと言われても、そうなんだから仕方ないじゃない」
「まぁねぇ」
マスターが笑う。

「おいしいよ。マスターの、氷の作り方がまたいいんだ」
「ふーん。じゃ私もそれ」
「飲み方は?」
「…?」
「あ、ロックでいいんじゃないかな。シングルの」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」
マスターは準備を始める。

「初めて飲むの?ウイスキー」
「だったらなんですか?」
「いや、キツイなその言い方は」
「あ、ごめんなさい」
「あ、いや」
意外と素直なんだな。北山は彼女に好感を持ってしまった。もともと魅力的な容姿だから仕方ない。


「マスター、これ、じゃあ初めて記念ってことで俺につけといて」
「いえ、奢られる謂れはありません。自分で払います」
「まぁいいじゃない。歳上の顔を立ててよそこは」
「…では。いただきます」
マスターがまた器用に氷を砕き、美しい球体を作る。彼女はそれを面白そうに見て、ため息をつく。

「どう?いいでしょ、マスターの氷」
「はい。綺麗です」
「ありがとうございます」
満月のような氷をグラスに入れて、彼女の前でジャックダニエルを注ぐ。
パシッという良い音がして、飴色の美しい液体が氷にヒビを入れる。そして、カラーンという音と共に氷がグラスに当たる。北山はこの音が好きだった。

「はい、お待たせしました。ジャックダニエルのロックでございます」
彼女はグラスを受け取りまじまじとグラスを見つめる。天井のダウンライトが彼女とウイスキーの入ったグラスを妖しく照らす。
「じゃあ、乾杯」
グラスを近づける。
彼女もそれに合わせる。
カツーンという良い音がする。

彼女はグラスに口を付け、ちびりと舐める。妖艶な唇だ。やはり、何か男と揉め事でもあったんだろうか。

「あぁ美味しいこれ」
「ありがとうございます」
「俺の奢りだからな」
「そうかも」
彼女はグラスから視線を外さず答える。
「え?」
「そうかもって言ったのよ」
「素直だな。なんか調子狂うな」
「私を何だと思ってるんですか」
「いや、無礼な子」
「失礼な、まともです」
小気味いいやり取り。いい感じだ。

「まぁまぁ、お二人とも。おつまみどうぞ。キンカンです」
うまいところでマスターが中を継ぐ。
「へー、美味しそう」
「ジャックダニエルに合いそう」
女性はキンカンを食べて目を見張る。

「美味しい、甘くて、でもさっぱりして」
「ほんとだ。ところで…」
「加奈子です。柴田加奈子」
「あ、北山徹です」
「初めまして」
「初めまして」
「常連なんですか?」 
「まぁね。加奈子さんは?」
「勿論初めてです」
「一人でバーに行ったりするの?」
「いえ、初めてです」
「なんかあったの?」
「なんでですか?」
「そんな顔してるし、女性が一人でくるってのは、なんかあった時でしょ。綺麗な女性の場合は特に」
「もう口説くんですか?」
急に攻められて答えに窮す。しかし、穏やかに笑って受け流すのが常道。
「いや、そんな言い方しなくても」
「すいません、失礼でした」
「まぁいいけど」
危ない危ない。大人の余裕を保てたか。

「いろいろあって…」
「言わなくていいよ。今日は美味い酒のんで気楽に行こうよ。思い詰めずにさ」
さっきまで何のために生きているのか?という大きな問題に思い詰めていたのは誰だっけ。北山は心の中で苦笑した。

「そうですね。優しい男性もいるし」
そう言ってチラリと北山を見上げる彼女の眼は潤んで、妖艶だ。
「あ、でも気をつけないと」
いや、それは俺のセリフだ。北山は心の中で呟いた。
「大丈夫でしょ、俺は。ね、マスター?」
「さぁ、どうですかね。昔はおモテになったようですから」
「昔は余計だよ」
「今は、オジサンですもんね?」
「きついなぁ」
「素敵なオジサンということにしておきましょう」
そう言うと彼女はクスッと笑った。
それは今夜の彼女が初めて緩んだ表情をした瞬間だった。

「まぁ歳は、一旦置いとこう。若くて綺麗な子と飲める幸福に浸らないとね今夜は」
「そうですよ。私モテるんですから」
「へいへい。マスター、お代わり」
「はい、かしこまりました」
まだ俺は、現役という名の戦いに挑めるだろうか…
この謎めいた素敵な戦いに。
北山はグラスを揺すって氷をグラスにぶつけた。

「北山さんはご結婚されてないんですか?」
「単刀直入にエグッてくるね。してないよ」
「えー、バツイチ?」
「いや、一度も」

「へー、そうなんですか。してそうなのに」
「昔はその言葉嬉しかったけど、最近じゃ変な性癖ありそうと勘繰られるね」
「わかります、なんか問題あるんだなって今思っちゃいました」
「きついな」
彼女は笑いながらグラスを舐める。
「時間が経ったらなんかマイルドになって美味しい」
「氷が溶けていくからね、薄まってちょうど良く馴染むんだよ」
「なるほど。勉強になります」
男は知らないことを教えることに飢えている。この子は自然に男を乗せるのがうまい。手練れなのかもしれない。

「ところで、加奈子ちゃんの守備範囲は?」
「え?」
「歳上とか好き?」
「はい、好きです。基本歳上です。好きになるのは」

「良かったですね北山さん」
とマスターが合いの手を入れる。
「いや、まだわからない。対象年齢は?」
「うーん、36、37ぐらいまでかな」
はい、終了。

「マスター、お代わり、ストレートで」
「はは。元気出してくださいよ、北山さん」
「あら、40越えてます?」
「悪かったね。いや、知ってて言ったな。グサリと一突き」
「なんとなく、越えてそうだと思ってました」
「マスター、喜ばずに正解だよ」
「お気の毒さまです。では、ストレートです」
北山は一気に煽った。
「ふー、沁みるね」
「傷口に?」
「そうだよ、隣の女性に塩を塗られた」
「可哀想に」
なんだこの子、打ち解けてきたら頭の回転も早いし、言葉のテンポが良い。めちゃめちゃ可愛いく思えてくる。しかし…

「でも、オジサンとデートするのも悪くないよ」
「そうなんですか?」
蠱惑的な瞳で覗き込む。
いかん。これはだめだ。本当にダメなやつだ。
つまりタイプだ。

「お客様、そんな顔でオジサンを弄ばないでくださいよ」
「はは、確かに」
マスターのこの辺の気配りは素晴らしい。幾度となく男女の戦いを見守って来たのだろう。

深追いはやめておこう。昔だったらここからゴングが鳴ったはずなのに。今は負ける確率も高いし、負けた時のダメージがでかい。

「臆病になったもんだ」
北山は独りごちた。
「え?何か言いました?」
「いやなんでもない」
「変なの」
彼女は口を尖らせる。いちいち可愛い。

「この辺で働いてるの?」
「あ、大手町です」
「そっか。じゃ少し距離あるね」
「西麻布に知り合いがお店を出していて、たまに来ますけどね」
「そうなんだ」
なんだ、やはり手練れか。

「北山さんはどんなお仕事を?聞いてよければ」
「メーカーの宣伝部だよ」
「ああ、ぽいぽい」
「え、それ悪い意味?」
「うーん、フラットな意味です」
「そうか。柴田さんは?」
「今度は苗字なんですね」
「あ、仕事の話になるとつい苗字言っちゃうんだよな。真面目なのかも」
「自分で言うなんて痛いおじさん」
「う、煩いな。わかりましたよ加奈子さん」
「よろしい」
加奈子はグラスをグイッと一飲みする。

「お、いい飲みっぷり、お代わりいく?」
「いえ、これでやめておきます」
「連絡先交換しない?」
「いえ、駄目です。またここでお会いした時にしましょう」
「はい」
俺も堕ちたもんだ。連絡先すら教えて貰えないとは。可愛いだけにガックリくるな。

「では、お会計を」
彼女がマスターに頼む。
「あ、北山さんについてるんで大丈夫ですよ」
「あ、そうだった。ご馳走さま北山さん。また」
「ああ、またね」
彼女はそう言うと席を立つ。
マスターがドアまで送る。
扉が開いて彼女が出て行き、マスターが戻って来る。

「残念でしたね。もしかして、いい感じになるかなと思ってましたが」
「ほんと、俺もオジサンなんだな。自覚させられたよ。いやー、マスターがいてくれてよかった」
「はは、北山さんの心の拠り所ですから。なんてね」
「もうマスターとここで生きていくしかないな」
マスターが笑いながら彼女のグラスを片づける。

「あれ」
「どうしたの?」
「どうぞ」
マスターが彼女のグラスの下にあったコースターを差し出す。
「来週の水曜日また来ます」と書いてあった。
「北山さん、まだ負けてませんでしたね」
「首の皮一枚残ったかな」
本当は飛び上がるほど嬉しかったが、マスターに悟られないように振る舞った。いや、悟られてるか。

ジャックダニエルに口をつける。
アルコールが喉を通り抜けたとき、ギュッと掴まれるような度数の強さと、その後に残る僅かな甘みが北山の頬を緩ませた。
まだ彼女の髪の匂いが隣の席に残っていた。


続。

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