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ヱビスビール

さあ今夜もあなたを空想のショートムービーへご案内します。
今日のお供は、缶ビールです。
ね、お手軽でしょ。ヱビス缶ビールです。

でも、発泡酒はいけません。一人で家で飲むならやっぱりビールですよ。しかもヱビスの金色の缶は、すこし高級感を与えてくれますよね。どうせ一人なんだから、少しくらい奮発しましょう。じゃ2本、いや万が一に備えて3本にしましょう。

あ、裂きイカと、チータラも買っちゃいましょう。レーズンも一応買っちゃいましょう。鯖缶は大丈夫ですか?いや、どうせなら傷まないし、ついでに買い物籠へ投げ込みましょう。

今夜はワールドカップの日本代表戦。
奮発しないでどーするんです?


さて、お部屋に着きましたか?さっさと手を洗って、ジャージに着替えてきてください。

さて、一息。
さっき調達してきたものは、お手元にご用意されましたか?

では、まずはヱビスをプシュっと開けて、ぐいっとやっちゃって下さい。

ぷはーっ!
うめーー!!

ですね?笑
そして、チータラと裂きイカのパックを開けちゃいましょう。

ぷんっとイカのいい匂いが部屋に漂いましたね。

テレビを付けて、お、ちょうど国歌斉唱ですね。ワクワクします。ひとりの観戦もオツなもんです。みんなとスポーツバーに行く必要はないんですよ。疲れますからね。

ミスチルの歌にもあったような。
あ、あれはナイター野球かな。
ひとり気楽にサッカーを見るのもいいもんです。


ささっ、もう一口ぐいっと。
どうです?
癖になりますね。では、今日もそろそろ行ってみましょうか。

なにしろ今夜はヱビス片手に代表のサッカーを楽しむ日なんですから。

ーーー
市原勇樹(真島秀和似のあなた)
木村優(清原果耶似の女性)
ーーー

「先輩、見ました昨日のブラジル戦?すごかったですよねー、あのシュート。友達とめっちゃ盛り上がりましたよ」
「あ。あのシュートね。凄かったよなぁ」
「今夜はどなたかと盛り上がっちゃうんですか?」
「え?」
「いや、だから日本戦ですよ。やばいよなぁ。仕事早く終わらせないと」
「あ、ああそうだな。早く終わらせないとな」
ふぅ、誰かと盛り上がったのはいつだったっけな。

こいつみたいに若いうちはいい、話題が何でも、みんなで盛り上がれるから。

しかし。

40を過ぎたオジサンなど、誰からも誘われないものだ。同期はいる。いるがみんな妻子持ちだ。家族をほっておいて、しょぼくれた同期と見るか?それはない。

部長が誘ってくる可能性はある。しかし、部長とは行きたくない。それは、そのまま自分に返ってくる。

この彼だってサッカーの話はするのの、俺を誘うことはないだろう。むしろ誘われたら困るだろう。
一瞬「一緒にどうだ?」という言葉が出かかったが、その言葉をすんでのところで引っ込めた。

危ない危ない。
気持ち悪がられるのがオチだ。
それでなくても話しかけるだけでもパワハラになる可能性があるぐらいだ。
本当に生きづらい世の中だ。

ふぅ。
市原はため息をついて仕事に戻った。
やはり、こーいう日は早く部屋に帰って一人で缶ビールでもやりながらゆっくり見るに限る。

こう見えても、高校まではサッカー部だった。
脚が速いことで校内では有名で、ポジションは脚が速い奴にありがちなウイングだった。昔野人と言われていた日本代表のフォワードがいたが、俺もそんなように呼ばれていた。

俺は夕方までに書類仕事をこなし、一日の最後に予定されていた会議に臨んだ。
今日は新たなプロジェクトの披露を兼ねているから俺が出ないとならないのだが、役員も出席するようだし、多少その見通しを言わないとならない。

厄介だ。
今夜はうまく切り抜けて家でサッカーが見たい。
市原は会議前に休憩所に向かった。

「市原さん」
休憩室に向かう社内の廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。
「あ、あ、木村さん」
社内で評判の切れ者で30歳。しかも美人。
役員が参加する経営企画会議となれば、経営企画室の彼女がでないわけないわな。

しかし、俺は彼女が好きじゃない。恐らくずっとスター街道を歩いて来たんだろう。そんなオーラが身体から充満している。歳は俺より7個ぐらい下か。確かアメリカの大学を卒業しているらしいが。

そもそも、今回俺がこの会議に参加する理由は…
「市原さんが発案なんですってね。あのプロジェクト。プロモーションの絵コンテとかまで書いたとか」

「え、馬鹿にしてる?」
「まさか、尊敬してます」
「嘘だな、そんなものに君は興味なんてないだろう。もっと大きな動きに興味があるはずだ。心配しなくていい、俺は最初の10分だけ、新しい商品企画の話をしたらすぐに退散するよ」
「そんな冷たい言い方ないんじゃないんですか?気になってたんですけど、あの絵コンテ、影山正一郎の名作『アヤツリ探偵の論考』からヒントを得てないですか?」

「え…」
「あれ、当てずっぽうでしたけど、まさかズバリ?」
まじかよ、あんな古い本、実は俺の昔からの憧れの探偵なのだが、それを彼女が知っているなんて。俺ですら子供の時に、確か親父に教えられて読んだ古い本なのに。
「な、なんで、それを…知ってるの?」
「私ファンなんですアヤツリ探偵の」
「おいおい、嘘だろ。あんな古い本なんで知ってるの?」
「兄が好きだったので」
「…実は今日それを会議でご開帳しようとしていたんだ。役員の北原さんもファンらしいし、さっきやっと本格的に使用する許可をとったばかりなんだ」
「ええ、そうなんですね!それはおめでとうございます!お祝いしないとですね!」
「そうなんだよ!…いや…」
「どうかしました?」
なんだこの展開。つい愛読書を美人に褒められて、舞い上がってしまった。経営企画室の奴が考えることだ。きっと何か裏があるに違いない。
「そんな、俺に合わせなくていいよ。何か企みでもあるのか?」
「もう、そんなのないですよ。先輩」
「ん?先輩?」
「井草高校サッカー部のマネージャーだったんですよ私」
「え…嘘でしょ」
これまた偶然過ぎる。井草高校は俺の通っていた都立高校だ。
「嘘なんかじゃありません。前から話してみたいと思っていたんですけど、今日ようやく話すことができました」
そういうと、ふふっと悪戯っ子のように笑う。いけすかないと思っていたが、可愛いところもあるのかもしれない。
「ほんとかよ。まぁ年が違うから俺のことは知らないだろうけどな」
「『今日は負けた。でも次は絶対負けない』」
「な、なぜそれを…」
「部室の壁に書いてありました。先輩でしょ書いたの」
「あ、ああ。誰から聞いたの?」
「榊原コーチです」
「君の時もまだやってたんだ」
「はい、最後の年でした。懐かしいです」
「あぁ、久しぶりに聞いたよその名前」
「今日はどなたと見るんですかサッカー」

「いや、早く会議から退散して、家で一人で見るよ」
「奥様と?」
「独身だよ、残念だけど」

「なんだ、先に言ってくれれば。一緒に見れたのに」
「そうなの?、じゃ今夜は?」
「同期の何人かで会議の後見に行く約束をしてます」
「そうか、楽しそうだな」

「一人で見るよりはいいかなぁ。まぁそんな楽しみでもないですよ。先輩と見た方が面白そうだったな」
なんだこいつ、やっぱり可愛いじゃないか。そして、ひとりで見ることがすこし嫌になっちゃうじゃないか。余計にさみしくなる。期待させるな。心の中で毒づく。

「まぁそういうわけだから。じゃ会議でな」
「はい。後ほど」
そういうと彼女は去っていった。そもそも休憩にきたわけじゃないのか?
時計を見ると会議にはまだ15分ほどあった。
俺はコーヒーを飲み、頭を空っぽにした。しかし、彼女の可愛い悪戯っ子の笑顔が頭から離れなかった。

会議でのプレゼンは無事に終わり、俺は自分の部分が終わると早々に会議室を退室した。部屋を出る時、彼女と目が合ったが、少し手を上げ退出した。彼女は膨れたような顔をしていた。
今日話したばかりだというのに馴れ馴れしい態度だ。まぁ悪い気はしないが。

俺は定時に会社を引き上げ、自分の駅に着くと、駅前のコンビニで缶ビールを3本買った。裂きイカとチータラも買った。準備万端だ。一株の寂しさを感じたが、それも家に着く頃には忘れてしまった。

家に着くと着替えて、ヱビスの缶ビールを開けた。プシュッといい音がして泡が少し溢れる。それが吹きこぼれないように口をつける。そしてそのまま流し込む。

うまい。
やはり、部屋で飲む缶ビールは最高だ。

中継が始まり、試合がキックオフされる。
日本代表は防戦一方だ。
後半、カウンターで日本にビッグチャンスが生まれる。
俺は「おお!」と声を上げた。しかし、シュートを外す日本。その直後、相手チームからゴールを奪われてしまう。流石に相手が悪いか。

「先輩、諦めたらだめですよ」
「先輩と同じ部署の同期にライン聞いちゃいました。やっぱり、先輩と見たかったなサッカー」
立て続けにラインがくる。
あ、あいつ、彼女と見るってことだったのか。朝の会話が蘇る。
「別にいいけど。もっと強く誘ってくれたら一緒に見たのに」と返す市原。
「え、ほんとですか?じゃ今度飲みに行きましょう」
な、なんと…何だこの状況は。
あんな子に誘われるなんて、なんか運が巡ってきたのか?

いや。今の俺のこのダサいジャージを着た格好を見たら幻滅するだろうな…もうそんな勇気は…。

『今日は負けた。でも次は絶対負けない』

思い出した。そうなんだ。俺が好きな言葉。部室に書いた言葉。それは、あのアヤツリ探偵の言葉ではなかっただろうか。確かそうだ。俺はいつも負けていた。だからこの言葉が俺の励みになったんだ。

「うん。いいよ今度な」
「本気にしてませんね?」
「いや、そんな。本気にしないよ。君みたいな若くて可愛い子に誘われるわけないからね」
「もう若くないもん私。でも次は絶対負けない。今日の会議でも、あの商品企画のプレゼンで言ってましたよね。私ちょっと感動しちゃったんです」
「そうか。ありがとう。嬉しいよ。アヤツリ探偵のことすぐにわかったのは君だけだった」
「やった!ありがとうございます」
よくわからない。なんでこんなやり取りをしているんだろう俺は。

「うおー!!」
俺は画面に釘付けになった。
日本代表がロスタイムで追いついたのだ。点を入れた若い選手が雄叫びを上げている。俺も自分のことのように雄叫びを上げた!
「せんぱーい!!!!」
彼女からのライン。同期といるんだろうに。
「やったな!!!絶対負けない、だな!」
「そうですよ。次は私と絶対行ってくださいね」
「あぁ、わかったよ。そんな嬉しいこと言うな」
「可愛い先輩」

完全にやられたな。遊ばれているのかもしれない。

でも、それもまたいいか。
俺はヱビスの缶ビールをグイっと飲み干した。


続。



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