蛾
それは肉食の蛾だった。
人よりも遥かに大きく人を捕まえては貪り食う。
それがもう十年近くも放置されたままになっている廃屋に何年かまえから住みついていて時々迷い込む人や猫を食べてしまうのだ。
その事を忘れていたわけではなかったがたまたま撮影するために廃屋に入り込みそこで遭遇してしまったのだ。
蛾と言っても羽が生えているわけではない。
触覚も無いし 見た目は人とそんなに変らない ただ人よりは遥かに大きくて立って歩く事が出来ず6本の細い足で瓦礫の上を這い回るだけだ。
それが半身を起こし真円の赤い目で私を見ている。
蛾もいきなり遭遇したので戸惑っているのだ。
私は蛾が糖分を好む事を知っていたのでポケットにあったチョコレートを口らしきところに捩じ込む。
すると蛾はそれに無中になり口から溢れたチョコレートを拾おうとせわしく足を動かし始めた。
私はその隙に逃げようとしたのだが一緒にいた弟が蛾に捕まってしまった。
でも チョコに夢中で弟を食べようとはしない。
やりようがないので話しかけてみると多少は人の言葉がわかるらしく弟を放してはくれたが弟に種子のようなものを植え付けられてしまった。
それによって弟となんらかのつながりのようなものができたらしく蛾は私たちの後について来た。
外へ出ると太陽光の影響からか蛾の身体は縮みはじめしばらくすると人間とそう変らない大きさになる。
そうなるとよく見れば違いがわかるが這い回る事を除けば人とたいして変らなく思える。
でも これは蛾であって人とは全く違うものだ。
今は弟と繋がっていてそれで襲って来ないだけでいつまた本来の姿に戻って私や弟を襲うかわからないのだ。
どうにかして逃げるか それとも殺すか それまでは兎に角甘いものを与えて自分たちが餌にされないようにしなければならない。
一旦家に戻ってとも思ったがもしかして巣離れのようなもので今度はうちに居着かれたら大変な事になると思いそのまま車にのった。
父親のトラックだ。
弟の私は前に乗り 蛾は荷台にのせた。
どのみちいつも腹這いのままの蛾は座席に乗る事は出来ないのだ。
途中スーパーに降りて撒こうとするが上手く行かず結局大量の砂糖や飴を買う事になった。
車に戻ると早速砂糖を食べ始める蛾をそのままにして逃げようとしたのだが蛾は直ぐに気がつくと追いかけて来てたまたまそばに居た客引きしていた若い男を捕まえるといきなり食べ始めた。
男は手を食いちぎられ口から泡を吹いて苦しんでいたが肺を潰されると今度は口と鼻から大量の血をながしすぐに動かなくなった。
そうなると興味がうすれるのか蛾は食いかけの男を歩道に投げ捨て私の前に立ちふさがった。
「何処へ行く?置いて行くつもりか?」
喋ったのは後ろにいる弟だ。
蛾は発声器官を持っていないので種子で繋がっている弟の発声器官をあやつり喋らせているのだ。
「いや何処へも行かない ちょっと捜しているものがあったから」
「それは なんだ?なにを捜すんだ?」
「弟は日差しが強いとダメなので日を遮るものを捜している」
すると蛾はしばらく黙っていたが
「弟はそんなことを思っていない」
と 答えた。
弟と繋がっているので弟の思考を読めるのだ。
食われると思って蛾をみたが顔らしきところはそう見えるだけでおそらく顔ではないのでそこを見るだけではが蛾の感情がわからない。
襲ってくる様子が無いのでまだ疑っているだけだろう。
それなら弟を納得させる言い訳を考えれば良いと気がついたので
「母親にそう言われているのだ 弟はまだ幼いので自分のことをあまり良くわかっていないのだ」
と答えた。
蛾はそれで納得したようなので荷台に戻り私は車をスーパーから出した。
途中で西へ下る難民のグループが居たので請われるままに荷台に乗せる。
情けない話だが難民の殆どが夜は略奪者になるような連中だったし武器も持っているからうまくすれば蛾に気がついて殺してくれるかもしれないと思ったのだ。
だが 蛾は巧妙に正体を隠しているのか荷台は静かなままだ。
車を停めて荷台を見てみると蛾は難民を眠らせ卵を産みつけていた。
やがて大きな芋虫がこの難民を食い尽くすだろう。
身体の内部に生かせたまま入り込み中身を食い荒らして糞だらけにするのだ。
それは天敵から身を守る為だと聞いた事が在るのを思いだす。
それなら天敵がきてこの蛾を食ってくれるか 自分がその天敵になれないかと考えながら絶望的な気分でハンドルを握るのだ。
弟は横で疲れ果てたように眠り込んでいてピクリとも動かない。
植え付けられた種子が今彼の中でどうなっているのか知る由もないが自分が例えようも無く孤立している状況だということだけは確かなようなのだ。