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錬金術師の憂鬱

錬金術士の憂鬱 

それが見つかったのは 改装のために 壊したレンガ壁の向こう側だった。

それから塵に埋もれたさほど広くない空間のなかを長い時間をかけて探したのだがドアや窓のようなものはどこにもなくかつてこの部屋の住人がどのよ うに出入りし使っていたのかはそこにいた誰ひとりわからなかった。

それでもその全ての壁面には歪んでネジ曲がった様々な金属で作られた奇妙に大掛かりな計量器らしきものが貼付けられていてそれに使う分銅だと想像 させるものが見える範囲全てに吊るされていたのだ。

更に良く調べてみると天井の一角に細長い明かり取りのようなものがあって夜になるとそこから月が見える事がわかった。

その窓から沢山の手の平くらいの鏡が何度も反射させながら月の光をその計りの中央にある煤けた猿の頭骨にあてるように工夫されているようだった。

残された膨大なメモや走り書きのようなものから ここに居て猿の頭骨に月光をあてようとしていた住人は 錬金術士らしいこと 建物の作られた年代 とその後の持ち主の失踪から考えて1770年代の後半には彼はここで作業をはじめていて 1820年までにはこの部屋は放置されてしまったものと考えるの が妥当なようだと考えられる。

では そもそもこの妙な機械はなんであろう?

博物学の大家や物理学者 宗教研究家から 魔術師と自称するものまでが部屋を訪れたが誰一人その正体を見極める事はかなわず 結局一番最後にあら わ れた歴史学者が情報をひもとき ここに居た住人がこれを作ったと考えるのが一番妥当であり 彼が残したメモや走り書きなどから 彼がホムンクルスと錬金術 で称されるある種の人工生命を作り出そうとしていたこととそれがうまくいかず苦悶していたことなどを突き止めた。

歴史学者は彼が残した膨大な資料の大半が暗号とおぼしき意味不明な言語に置き換えられていて解読には優秀な言語学者や数学者が必要で更に長い時間 がかかるだろうと言うのだ。

それで私は工期もせまっていたところだったので出来てた資料は歴史学者に預けその計量器のようなものの一番中心と思える一部を切り離させて額装し 分銅のようなものは出来る限りを集めてしまわせそのまま工事を進めさせた。

改装工事そのものは半年程をかけて無事終了し最新のデザインで出来上がったカフェは一時大変な人気になり私の仕事も順調に増えて行った。

でもそれから暫くして戦争がはじまりそのカフェは侵攻してきたドイツ軍の司令部になりその必要からか何度も改装されその度にもとの姿を失っていっ た。

ようやく戦争が終わった頃には見る影もなく荒れ果てていたが私ももう仕事からはなれていてその後その哀れなカフェを見る事さえなくなっていた。

私たちは荒廃した社会そのものを立て直さねばならずもうカフェ等にかまっていられなかったのだ。

それからも社会はまたシステムと姿を変えたがようやく戦後が終わりかけた頃社会はまた様相を変え私は職を失ったのだ。

歴史学者から思わぬ連絡を受け取ることができたのは幸運以外のなにものでもない。

その頃には何もかもが変化して私の知人友人たちの多くが環境を変えていた。

私も南ボヘミアで農業従事者となり日々家畜の世話に追われていたからだ。

彼もそれは変わらなかった。

歴史学の教鞭をとっていた筈の新進気鋭の学者はすっかり風貌を変えていて名乗られる迄は誰だか見当もつかなかった。

勿論40年と言う時間がなせるものではあろうがそれにしても変わり果てていた。

彼は取り憑かれたように喋り続け私はただそれを眺め聞くだけだったのだ。

要約すれば あの機械の事を彼が 「自動審判機械」 と名付けた事。

その錬金術士はもともとその屋敷の持ち主であった貴族の子弟の1人でありプラハで当時高名だった錬金術士のもとで学んだ後その部屋でずっと独自に 研究していたらしい。

もともとはホムンクルスの研究をしていたが結局それは果たせなかった。

彼はその理由としてホムンクルスはヒトが作り出す生命体のために原罪を持たぬ存在でありそれ故神に生命として認可されないからではないかと考える ようになった。

そのため原罪というものに注目することになりそこから 原罪を物理的に把握しようとしてヒトの魂の重さを計る機械を作り それがあの壁を這い回っ ていた機械の正体でありそれが可能であればヒトは原罪から逃れ得る存在になりえる可能性があるのだと元歴史学者は言った。

彼はもう一度どうしてもあの機械をみたいとも言ったが 既に私の手元にはなくどこに行ったのかさえわからない。

残っているのは最初に額装させたときに業者が残したその為のスケッチと出来上がったあとカフェに一時期飾っていた写真だけだ。

今となってはどうにもならない 私も非常に 残念だが と答えると 元歴史学者は肩をおとして帰って行った。

それからはもう思い出す事さえなかった。

審判は神との契約にあることでありそれを機械で行う事にどんな意味と意義がありどういう結果がもたらせるのかは私にはわからなかった。

無神論者である私にとってそれは本当に些末なことにしか思えないのだ。

それでもあの機械のことは良く覚えているしあの部屋の事も忘れることはないだろう。

そう

まるで昨日の事のように 壊れたレンガの向こうに広がっていた奇怪な光景と鼻を突くような腐食臭を忘れる事はない。

私とって一番謎だったのは出入り口だったが結局それはわからないままになった。

一応元歴史学者にも聞いてみたがそのことには何一つ触れられていなかったそうだ。

ここで 記録は終わっている

日付は1985年11月4日

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