父を超えることは出来ない
子供のころ、大声で話す父親が少し苦手であった。誰に対しても平等に叱り平等に喧嘩する父は子供の頃は恥ずかしく感じることもあり、苦手な存在であった
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小学生の頃、父は私と2人で車で遠方に旅行するのが習慣のようだった。今思うと週末の楽しみは子供と一緒に出掛ける事であり、父と子の2人でどこかにドライブする事は父親の週末の楽しみだったんだろと思う。
そう思うのは私が父親になってから娘にやっている事と全く同じ行動であり0歳の頃から毎週末娘とどこかに出かけるのがたまらなく楽しみである。
私は小学生3年生くらいまでは父親と2人でどこかに行っていたと記憶している。小学生の中学年になると親と遊ぶことより同世代の友達と遊ぶ方が楽しいため、父親からのドライブの誘いは断り辛かった記憶がある。わざと不愉快な事を言って父親に怒鳴られて、それっきりいかなくなってしまった。同じように私も娘から一緒に行きたく無いと言われて行かなくなるのだろう。あと数か月くらいだろうか。そう考えると8年ほど続けていた楽しみが無くなるので寂しい気持ちが強い。
父は将来の事、勉強の事、恋愛の事
何も口を出す事が無かった。ただ私の事を遠くから応援している姿は感じていて、スポーツ大会の新聞記事を切り抜いてファイリングしたり写真に残していたのは知っていた。有り余る父親からの愛情を感じていた。
今になって思えば、子供は元気で居てくれたらそれだけで十分なのだと思う。将来こうなって欲しいという想いは少しはあるが、何よりも幸せで元気で居てくれたそれだけでいい。
父は子供が生まれる前に死んでしまったが、そう思っていたのだろう。
仕事をしてから父の存在は大きく感じるものとなり、
特に親分肌で博識な点は魅力に感じた。私には全く備わっていない部分であり、親分肌は生まれ持った力を感じていた。
40を超えても父と同じようにふるまうことは出来ない。永遠に出来ないだろう。時代もあるし育った環境もある。違うスタイルで仕事をしていく事になるしリーダーシップも支援していくスタイルが自分には合っていると感じている。
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父が居なくなって10年経つ。今でも仕事でも家族の事でも悩むときは父に話かけている。
何て答えてくれるだろう。どんなアドバイスをくれるだろう。そう思う時がある。
「お前は正しい。間違ってないぞ。」少ない言葉で背中を押してくれるだろう。
居なくなっても、私には大きな存在