針槐樹
2013.2.7 thu.(四季シリーズ2)
(…まるで雪みたい)
針槐樹の花は蝶のような形で、可愛らしい。
それぞれ寄り添って、藤のようなぷっくりとした総を沢山付ける。
その花は見頃を過ぎて、雪のように花びらを散らしていた。
(綺麗だなぁ)
(『ニセアカシア』なんて名前で呼ばれ何だか可哀相ね)
そんなことを思う。
本当のアカシアの花は黄色くて、ミモザのようだけれど
わたしは、白い花の針槐樹の方が好きだった。
(雪か…)
最後に雪を見たのは、14歳の時だった。
父に連れられて行った南極で
…セカンドインパクトに遭遇した南極で
あの時は酷いブリサードだった気がする。
あれ以来日本では雪が降らずに
永遠に続くかと思うような夏が、何年も続いた。
昔の四季の様に、少しずつ気温の変化が出始めた頃
生態系も、それと歩みを同じにするように戻り始めたが
それでも、雪を見ることはない。
針槐樹の並木道に、ぽつんと置かれたベンチにわたしは座り
雪のように散り続ける、針槐樹の花びらを眺めていた。
**********
加持くんと別れよう…そう思った。
けれど結論は出ていても、自分の気持ちをなかなか整理することが出来ずに
大学へ行った加持くんがいないアパートを抜け出して
ふらふらと宛てもなく歩く。
抜けるような青い空が広がるこんな日は、どこまでも歩けるような気がして
気が付けば、いつの間にかわたしは
この針槐樹の並木に紛れ込んでいたのだった。
平日の昼間
学生が多いこの町だからか
誰もいない並木道
(…まるでわたしの為に散ってくれているみたい)
別れを切り出せない加持くんの為にも、自分の為にも
わたしから、離れるしかないのは分かっているのに
すっとどう告げたらいいのか、言葉が見つからなかった。
(嫌いな訳でもないのに…)
(何かこゆの変だよね)
加持くんが変わったのはいつからだったっけ。
夜遅く泥酔して、家に帰って来る日が多くなり
そのうち、いろんな女のコと遊び歩いている噂が耳に入り
その中にわたしの友達の名前も混じっていて
もうどうしていいか分からなかった。
でも友達のコトコやキヨミが…
というのも、彼女達も加持くんに誘われてたのだけれど
そんなふたりが荒れ気味のわたしに、加持くんの事を話したのだった。
『加持くんはミサトのことが一番大事なんだよ』
『わたしも達含めてどの女のコと遊んでいても
お酒入るとミサトとの惚気話になっちゃうんだもん』
彼女達は本当に、わたしと加持くんの事を心配してくれていた。
そんな友達に恵まれた事を感謝しつつも、本当に彼女達の言う通りなら
何故加持くんは、わざわざわたしが誤解する事をするのだろう。
そんな気持ちが、新たに湧いてくる。
ただわたしの中で、結論はすぐに出た。
加持くんは、きっとわたしに嫌われようとしている。
それは、わたしから離れたいということだよね。
付き合ってから、2年が経とうとしていた。
いつしか、加持くんはあまり笑わなくなり、難しい顔をする事が増えて
その視線の先には、わたしの知らない違う世界があるようで。
それが父と重なった。
南極で最期に見た父と。
まるで父の様に家族を…わたしを顧みず
何処までも遠い所へ、行ってしまうのではないかと。
そして、加持くんに父を重ねている事に気付き、恐怖を感じた。
わたしも忘れていた事に気づいた。
あの時コトコが笑顔でわたしを励ます様に言ってくれたこと。
『一番最初にゴールインするのはミサト達だと思ってるんだからね』
普通ならきっと嬉しいはずなのに…
その言葉に、わたしは何故か安心する所か凍りついたのだ。
加持くんが好き
もうどうしようもない位に
それなのに。
わたしは、加持くんとの今だけあれば良かった。
その先…近い将来のことは、何も考えられない。
全く白紙、真っ白だ。
あの時からずっと頭にあること。
自分が何故助けられたのか
自分が何故独りぼっちになってしまったのか
自分が何故今生きているのか
わたしには自分の人生をかけても、やるべき事があったはずで
その為にこの大学を選んだはずだった。
ずっと先に見える物は、それしかなかったハズのに
見えているのに見ない振りをして
その事を自分の何処かに、封印してしまった。
だって出会ってしまったのだ。
最初はとんでもないヤツだと思ったし、付き合うなんてあり得ないって思ったのに
気がつけば加持くんとの恋に夢中になって
コントロールが効かなくなって溺れていった。
でも今は。
父親と加持くんを重ねて、不安でたまらない事も
加持くんだけを見過ぎて、自分の生きるべき道を忘れていた事も
目の前に突きつけられた、現実で。
わたしの心は自己嫌悪と後悔でいっぱいになる。
ふと一番頼れる友人の顔が浮かぶ。
(全部話してしまおうかな…)
リツコの番号を携帯電話に表示してから画面を消す。
(こればかりはリツコに相談するわけにもいかない…か)
もうすぐ夏休み
でも、今年のわたしにはそんな休みはない。
夏休みに入ってすぐ、大学を一時的に去る事になっていたからだ。
その事を暫く口外してはいけない、守秘義務もあった。
(リツコにはきちんと後で連絡すれば分かってくれるよね)
わたしの荷物は少ないから大丈夫
アパートを引き上げたら、余計な物は捨てて
すぐに寮に入るだけだし
(しっかし厳しいよな~ )
(いきなり7月半ばからって早すぎだし)
なんて思うと、なんだか自然に笑みが出た。
けれどそんな自分の笑みとは反対に、心の中は寂しかった。
(…でもその方が忘れられるかもしれない)
ずっと加持くんと一緒にいる、しあわせだけを感じていたかった。
でもきっと加持くんは、それを望んでいない。
わたしがだだを捏ねて、加持くんにしがみついても、彼が困るだけ。
そしてわたしも、この先やるべき事が待っている
例え一緒にいられたとしても、加持くんを巻き込む事は出来ない。
(理由なんてなんとでも作ればいい)
わたしは自分に言い聞かせる。
(…ちゃんと終わらせよう、夏休みが始まる前には)
白い花びらは、ベンチに腰掛けているわたしにも、次々と舞い降りてくる。
針槐樹の花の香りは、散りかけているとはいえ
並木道の空気を変えるほど強い。
その甘さに、加持くんを重ねる。
今はそのむせ返るような香りに、酔っていたかった。
Fin.
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