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銃口、その後。

キスされて酔いが覚めた。
しあわせなふたりに当てられたのか、お酒のせいなのか、自分の想いを抑えきれなくって、加持くんに吐き出しちゃった…

あんなこと言わなきゃ良かった…と、後悔しても後の祭り。

大学の時の同級生に招待されて行った結婚式は、温かい雰囲気でいいお式だった。
多分、もうわたしとリツコくらいしか女子は売れ残ってないんだけれど、わたし自身は結婚願望がないし、多分リツコもそう。だからそこは気にしてない、そのはずだったのに。

加持くんまで招待されてたなんて聞いてないし、遅刻してくるし。
しかも席もリツコ挟んで真ん中っての。
元カノなの分かってるでしょうに…何の気遣いなのかなぁ、もう。

ただ、楽しかったのはホント。

あの頃の友だちもそれなりに歳とってたけれど、すぐに学生の頃みたいに話すことが出来た。
やたら加持くんといつ結婚するんだって言われて、ムカついたけれど、ブーケトスをリツコがもらってて、彼女にしては珍しく顔赤くしてたのが、可愛いって思っちゃったな。

加持くんとリツコと三人で飲んだ時も、なんか甘えられる二人に囲まれて、昔に戻った気分になっちゃった。
いざ帰る時間が近づいてくると、楽しかったお祭りが終わって、ひとりぼっちになっちゃう気がして、離れたくなくって、飲み過ぎちゃったと思う。

リツコと別れた後の帰り道、加持くんの横顔見てると、自然と付き合っていた頃を思い出した。昔もこうやって、横並びに歩いてたわたし達。またこんな日が来るなんて、って思うと、切なさが胸を占めていく。

別れようと思った時の、誰より加持くんが好きなのに、一緒にいたいのに、彼との将来が全く見えないこと、そして父親と重ねていたことに気づいた絶望感は、きっと一生消えない。

感傷的になりすぎてるのは分かってた。でも、自分がずっと隠していた彼への想いと、ずっと隠していた彼への裏切りを、心の中に留めておくのはもう限界だった。だから、加持君が、あたしの父に似てる気がしたこと…自分が男に父親の姿を求めてたって、父親に抱かれているみたいだったって、そのことが怖かったってこと、とうとう言ってしまった。

お酒の勢いもあったと思う…こんなこと、吐き出しちゃったのは。

けれど、心のキャパシティはとっくに超えていた。結果、最低で惨めな自分を曝け出したわたし。多分加持くんに抱きしめて欲しかったし、キスだってして欲しかった。

そんなこと、絶対に自分から言えないけれど…

でも、加持くんは、それを叶えてくれた。
わたしを大人しくさせるようなキスだったけれど、乱暴に掴まれて唇を塞がれて…でも、その熱の塊が重なった後は、ゆっくりとあやすように優しいキスに変化して、わたしを安心させた。

好き

加持くんが大好きで大好きで、ずっと顔を見ていたいし、ずっと声を聞いていたいし、ずっと触れていたいし、ずっと一緒にいたい…この気持ち抑えきれなくて、ただただ彼にくっついていた頃のわたしが恋しい。

けど、ホントに悔しくて、泣きたくもなる。

だって加持くんへの想いが、あの頃から1mmだって変わってないんだもの…

加持くんがわたしの心に住み着いたあの日から、どーんとその場所に居座ってしまった彼への想いは、消えることはなかった。意に沿わない別れを自分から告げてからは、心の中から追い出せないから、その想いを必死で封印してた。
リツコに、まだ好きなんでしょ、とか、素直になりなさいよ、とか言われても、意地を張り通した。だって、誰にも言えるわけないじゃない、こんなに大好きなままなんて、ずっと好きで好きで忘れられないなんて。

むしろ再会して、更に惹かれていく気がする…

それが分かっていながら、ずっと彼のアプローチから逃げてた。
段々距離が縮まっていくわたし達。一緒にコーヒータイム過ごしたりする位までならって、自分なりに線を引いた。時々加持くんがくれるキスに、酔いそうになりながらも、冷静と装おうとした。

だって、加持くんはわたしとはきっと違う。

ただでさえ他人に興味のない彼が、こんな面倒くさいわたしのことなんて、興味本位でちょっかい出して、揶揄うくらいな感じ…そう、元カノと戯れてるくらいにしか思ってない、多分。

ただ、時々彼がわたしの心の奥をそっと触ったような、そんな感じはあったし、わたしも彼の心の奥を垣間見たことはあった気がするけれど…そんな時はホントに切なくて苦しかった。
それでも、あの頃に戻れるなんて、そんなこと考えられなかった。

そう、分かってたから、昨日は自分の思いを一方的にぶつけけちゃった後は、酔っ払って動けないフリをして、昔のように彼の背中に止まって送ってもらった。

おんぶされてた時、その日の結婚式の余興の歌とか、加持くんが好きなアーティストの歌とか、鼻歌混じりに歌ってる声が聞こえた。
低く響くあの声も昔から大好き。途中で寝ちゃったけれど…ずっと聞いてたかった。

それでも、わたしの心にブレーキがかかるのは、知ってるからだ。

彼はわたしを、多分、利用してた。
自分の諜報活動の為に、NERVを停電させたばかりか、エレベーターでわたしと一緒にいたという事実でアリバイを作ったのだ。

最低最悪。

こんなヤツ狙い下げだわ…

だから、昨日の加持くんのキスだって受け入れちゃいけないの分かってた。あんなの、思わず出ちゃったわたしの今更どうしようもない告白を、その場凌ぎに黙らさせたかっただけよ。そう…わたしが煩わしいから、キスなんて手っ取り早い良い方法だもの。

ひどく、強引で優しいキス

…まだ唇に感触が残っているような…甘い

ばっかみたい
自分だけ踊らされて…
でも、本当に好きで
そんなこと言える訳もなくて…

苦しくて泣きたくなる。
わたしだけが彼をこんなにも好きだなんて。

だから加持くんに掴みかけてた手を、そっと下ろした。

時々仕事で顔を合わせていたとはいえ、別れてからの年月は、わたし達を物理的にも心理的にも、遠く離れてしまう過程だったのかなって、思わずにいられなかったのだ。
そんなの、別れたから当たり前なのに…

途中で起きたけれど、そのまま寝たふりしてたわたしを布団に下ろして、彼は帰っていった。一人残された、暗くなった部屋で、わたしは急に涙が止まらなくなってひとしきり泣いた。ホントは大声で泣きたかったけれど、そんなこと出来るわけもなく、しくしくといつまでも子どもみたいに泣いた。

悲しい理由はいっぱいあったけれど、きっと寂しかったんだと思う。
もう、早く加持くんから逃げて、一人になりたかったのに…
違うそうじゃない、恋しい…ホントは一緒にいてほしい。
そう思うと、また涙が出てくる。
泣いてばかりなんて、もう幼い頃に卒業したはず、こんなのわたしじゃないのに。

それから、なんとか落ち着いた後、シンちゃんもアスカも寝たのを確認してからバスルームに入った。

すっかりクタクタになってしまった、買ったばかりのスーツをクリーニング用の袋に突っ込む。下着は洗濯機に直接放り込んで、シャワーをさっと浴びてバスタブに入ると、ふーっとため息が出た。

飲み過ぎてお酒臭い上に嘔吐したし、香水もキツめだったから、加持くん、わたしをおんぶしてる時、辛かったろうな…って思う。
なのにあの時、どうしてあんな優しい声で、歌ってくれたんだろう。まるで子守唄みたいに。

あ…
わたし吐いたのにキスしちゃった…

わたしを黙らせるためのキスだったとはいえ、ありえない…
どうして?どうして?どうして?

どうしてキスなんかしたの?

再びの涙。
酷いことを言ったと思う。伝える必要なんかなかったことを。
加持くんに父親を見てたなんて、今更いう必要あったの?
もう、わたしとは全然違う道を歩いてるって分かってるのに、そんなに優しく出来るのは何故?

確かに加持くんをお父さんと重ねた。ひょっとしたら今も重ねているかもしれない。
でも、彼にずっと恋してる。父親のことに気づいて、目の前が真っ暗になったこともあった。けど、一緒に暮らした忘れられない日々と、出会ってから変わらず大好きだって想う気持ちに、翻弄されてるのはわたし。

長いバスタイムを終え、脱衣所の鏡を見ると、昨日の夜の派手に着飾ったわたしはいなかった。
そこにいたのは、目を真っ赤に腫らした、八年前より大人になった素顔の自分だけ。
純粋に加持くんだけを好きでいた自分は、どこにもいない…
加持くんの裏の顔を探って、でも平気なふりをして、綺麗なふりをして。

どんなに外面だけ整えるためのハリボテを身につけても、すぐに化けの皮が剝がれる…結局これがわたしなのよね。

楽しくて、とても悲しい夜が明ける。

保冷剤、取って来なきゃ…目、冷やそ…

今出来ることはそれだけ。
着飾って、誰もが憧れる、美しい作戦部長の仮面を被るために。


* * * * *

今日も朝から気温が上がって、暑い日になりそうだった。
目の腫れは引いたけれど、寝不足だし、しっかりめの化粧をして、朝食の準備をしているシンちゃん達には、仕事だからと告げてそのまま家を出た。昨日のこと、なんだか気まずかったし、何より今は仕事で頭をいっぱいにしたかった。

いつもより早く出勤すると、やや眠そうな当直の職員が、挨拶をしてきた。夜勤務お疲れさま、通常通りだったみたいね、などと笑顔でねぎらいの声をかける。

あ。大丈夫そう…と思った。
今浮かべている、よそいきの顔は、NERVでのいつもの自分だった。滑り出しは上々じゃない、なんて思いながらいつものルートで先へ進む。まだ朝早いせいもあって、その後は殆ど誰にも会わないまま、自分の執務室へ行こうとしたその時、背の高い、髪を束ねた見慣れた背中が、通路の奥、視線の先に見えた。

加持くんだった。
今日は顔合わせたくないな…って思ってたから、そのまま見過ごそうと思っていたのに、ふと行き止まりで曲がるその横顔が、いつもの柔らかい顔ではなく、深刻に見えたことに胸騒ぎがした。

気がつけば、そのまま後をつけていた。
会いたくないって思ってたのに、何をやってるんだろう。
いつも通りに声をかけるべきか、いや、いつも声なんてかけてない…何言ってるの、なんてそう思いながら後を追いかけた、すると彼が立入禁止区域にするすると入り、地下への直通エレベーター室へ入っていった。

わたしは立ち尽くす。

そっか
そういうこと…だよね

特務機関NERV特殊監査部所属でありながら、日本政府内務省調査部所属でもあった彼のことは、NERVの諜報部が突き止めていた。

貴方の目的が何かは分からないけれど、昨日の今日でも、わたしを欺くのかと、やりきれない想いが心を通り抜けていく。
…彼の肩書きがそういう仕事をしてるって、ただ、それだけのことなのに、あまりにも分かりやすい展開に、何故か笑ってしまう。

昨日のことで、加持くんのことが好きだの、キスがどうとか、昔の恋に雁字搦めにされて、ぐるぐるしてた自分が、愚かに思えた。

彼の存在はまるで水月鏡花のようで…わたしにはもう、手に届かない存在なのではないだろうか。
再会してから交わした唇も、その腕の温もりも、全ては幻だったのではないかと…

いえ、違う。
ちゃんと加持くんは、そこにいた。
何もかも受け身だったわたしだって、それを望んだ瞬間だってあった…
何度も思い出して切なくなった。全部覚えてる、全部愛しい、全部嬉しい、彼に与えられた全てが。

ならば、彼がどうするのか自分の目で見なくては…

深呼吸しながら、左脇に手を当てる。
既に銃は携帯していた。それは毎日の当たり前のことだったから。
彼が何をしているのか、最後まで見届ける、その覚悟もある。
わたしは制服の上から銃を再度確認すると、加持くんが消えたエレベーターホールへ、カツカツとブーツの踵を鳴らしながら向かった。

わたしのセキュリティでは入れないはずの、そのエレベーターホールは、ロックが解除されたままだった。
一つだけ設置されているエレベーターも、あっさり乗ることが出来た。
何か違和感を感じながら、警戒して先へ進む。

ターミナルドグマ直通のエレベーターに乗るのは初めてだ。最深部はいかなる時も立入禁止とされているから、わたしもこの先何があるか知らない。

エレベーターは、目的の場所へとわたしを運ぶ。そこに辿り着くまで、長く遠く感じた。その間に、銃をホルダーから抜いた。何度も握り返し使い慣れた、その無機質なカーボンスチールの感触を確かめる。本部に来てからこれを使うのは初めてだな、と思いながら。

こんな時に出番が来るとはね…

わたしを運んだ鉄の箱から降りると、ここから先の道は一つしかない。
真っ直ぐ伸びる一本の道。
周辺に監視カメラをチェックしながら、そのまま足を進める。

その先の行き止まり、予想通り加持くんがいた。
目の前の、重量感のある大きな扉を前にして、セキュリティを解除しようと何か打ち込んでいるところで。

突き付けられる現実に、わたしは迷わず銃を彼に向けた。

「…二日酔いの調子はどうだ?」

彼は振り向きもせず、いつもの口調でわたしに話しかける。

「おかげでやっと覚めたわ」
「そりゃ良かった」

彼の顔は見えないが、恐らくいつものポーカーフェイスのまま、表情を崩してはいないだろう。
わたしも、彼のペースには巻き込まれたくはない。

「これが本当の貴方の仕事?」
「それとも、アルバイトかしら」

「どっちかな」

やはり情報は本当だった。
彼はスパイ行為、即ち諜報活動をしていたのだ。

「特務機関NERV特殊監査部所属、加持リョウジ」
「同時に、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジ、でもあるわけね」

「…バレバレか」

わたしの方が冷静でいられない。
監視カメラの手前、銃を突きつけているのはいいパフォーマンスなのかもしれない。けれど、分かってたとはいえ、あっさり認める彼に、苛つく。

「NERVを甘く見ないで」

自ら属する組織の名称に反応したのか、彼の声の温度が変化する。

「碇司令の命令か?」

「わたしの独断よ」
「これ以上バイトを続けると、死ぬわ」

知りすぎて消される…その可能性は大いにある。そして、一緒にいるわたしもかな、そんなことを思う。

わたしと加持くんとの過去を、NERVは知ってる。わたし自身、施設を出てからずっと監視されてたし、恐らく今もそう。
自分の境遇を恨んだこともあったけれど、いつしか、疾しいことなんてないし、見たいならどうぞ、という気持ちに変化し、今は気にしないようにしていた。
それは、セカンドインパクトの唯一の生き残ったわたしの十字架なのだと思っていたから。

もしかして、恐らく、ここへ来たことも、もう既に分かっているのかも知れない。

「碇司令は俺を利用してる…まだいけるさ」
「だけど、葛城に隠し事をしてたのは、謝るよ」

そんな何の慰めにもならない言葉を吐いて、貴方はどこまでも…わたしの心を揺さぶるのね。でも、お生憎様、流される気はない。
本気で撃てることができるのかわからないまま、彼に銃を突きつけている。安全装置も解除してた。今この瞬間も、このひとはわたしと敵対しているもかもしれないから。

そう思うと、自然と声に力がこもる。
多分彼ではなく、自分に負けたくなかった。

「昨日のお礼に、チャラにするわ」

「そりゃどうも」

「ただ、司令やリっちゃんも、君に隠し事をしている」
「それが…これさ」

彼がセキュリティカードを通すと、重そうな扉が音を立てて左右に開き、張り付けにされた大きな人型の巨体が目に入った。なんとも不気味な光景、でも、過去に見たような、そんな気がする。
あの日がフラッシュバックする…光の巨人?まさか、あの南極でのあれと…同じ?

何度も何度も思い出すあの光景を思うと、事の大きさに身震いする。

「確かに、NERVは私が考えているほど、甘くないわね」

自分でも驚く程に、低く暗い声が出た。
想像よりもっと深刻で、重い現実が突きつけられたせいなのからかも知れない。

彼は第一使徒がここにいると言った。
それは何の為に…何故ここに…そして碇司令だけではなく、リツコ?

加持くんもリツコも、わたしには何も教えてくれなかったのね…
確かにリツコが、何かわたしの知らないところで動いていることに、気づいてはいた。そのことを、加持くんも知ってるっていうこと?

わたしだけが何も知らない…
わたしだけが置いていかれる…

彼に向けてしまった銃口の行き先を見出せないまま、わたしは立ち尽くした。
胸の奥が潰れるような、そんな感覚が全身に広がっていく…その心に反応するように、銃を持つ手がふるふると揺れる。
そんなわたしの気持ちを悟ってか、いつも通りの変わらない、よく響く声が降ってきた。

「その物騒なもの、下さないか?」
「大丈夫だ、カメラのダミープログラムは1時間は流れているはずだから」

彼は一番近い監視カメラに視線を流した。

でも、このロックを開けたのは、セキュリティシステムが反応して分かるはずよ、というわたしに、それも手回ししてあると、彼は口角を上げた。そっか、わたしが安易にここに辿りつけたのも、貴方のシナリオ通りだったのね。

こういったことで、敵わないのは知ってる。
わたしは、素直に持っていた銃をホルダーに収めた。

ふと彼を見ると、理性を保った二つの瞳が、揺らぐわたしを捉える。

「葛城…俺は、こっちに来いとは言えない」
「だが、君を利用することは、二度としないよ」

わたしを自分の偽装工作に利用したことを、あっさりと認めた彼。その表情は柔らかいとはいえ、厳粛さを混えた声でわたしに語りかける。今回のこの行動だって危険すぎる位だ…そう、彼もまた、命がけなのだ。

「嫌よ…」
「わたしだけ、取り残されるなんて、絶対イヤ」

「どうして、どうして黙ってたの?」

散々、わたしの所に入り浸ってクセに、やたらとくっついてきたクセに、肝心なことは一つも話してくれなかった。

「タイミングが今だったのかな…」
「このまま君が、NERVで使徒殲滅の任を全うしたとしても、恐らく何も解決しない、それは、間違いないと思う」

「どういうこと?」

「それは…まだはっきりとは言えない」

彼が纏う、人当たり良く、軽薄じみた姿はカモフラージュなのはよく分かっている。その姿の裏で、こんな想いを抱えてたのか…と思うと、心臓をぎゅっと掴まれた気がした。
何がきっかけだったのかは分からない。でも本当はとても真っ直ぐなひとだから、一度決めたらそこに進むしかなかったのだと思う。
そして、今の立場を自ら選んだのは、相当な決意が必要だったと想像できた。

でも…

再会してからの加持くんとのことから、自惚れているかも知れないけれど、もし、わたしのことを少しでも思ってくれるなら、ちょっかいなんて出すより、加持くんのしてること、したいこと、教えて欲しかった。そう、今のタイミングではなく、うちの諜報部から先に聞かされるのでもなく、彼の口から。例えわたしが彼の中で、通り過ぎた女の一人だったとしても。

だから素直に伝える。

「…ちゃんと、話して欲しかった」

わたしの様子を察してか、滑らかで調子がいい口調が消えた彼が、呟いた。

「君を巻き込みたくなかったっんだ」
「いつ命が消えるか分からない、そんなことに」

何を言ってるんだろう。
無性に腹が立った。
言い訳とか、気遣いとか、優しさなんかいらない、と思うと、わたしは殆ど怒鳴っていた。

「そんなの、おかしいよ!」
「だって、NERVで働くってことは、命をかけるということよ、戦自の時に比べたら、自らを曝け出すことはないにしても、わたし達だってそのギリギリのところで戦ってる、遺書だって提出済みなのよ」

「そうだな…でも」
「この仕事は、失敗すれば消されるだけだ、遺体どころか、何もかも残らない…多分」

彼の声は静かで、でも重かった。

言葉がない。

彼に言われてることは分かる、こういった組織に身を置く以上、そういう運命を辿った人間を知らないわけではないのだから。
ただ、加持くんのその言葉は、既に自分の死を身近に感じていることを物語っていた。NERVで遺書を書き、提出したわたしだってこの仕事に就いた以上意識していたけれど、それとは全く違うレベルに思える。
その彼の覚悟を、わたしは受け止めきれるだろうか。

あ…

美しい友人のことが、気になる。
リツコは加持くん以上に、自分のことを話さない。わたしはあんなにベラベラ喋るのに、いつも彼女は聞き役で。最近は衝突ばかりしているけれど、でも自分にとって大切な友人である彼女。

「リツコは?」

「彼女は碇司令側だから、俺とは立場が違うよ」

「加持くんとは違うってこと?」

「…そう」

わたしは愕然とした。
昨晩、昔のように三人でたわいもない話をして、懐かしく愛しい時間を過ごしていたのに、実は、ここまでそれぞれ別の道を歩いてきたなんて。

そして、何も分かっていなかったのは、わたし。
自分は人類を守る仕事をしてるって、父の復讐をしていると、誇りを持ってた。そのことには後悔はない。でも、彼の命を賭けた行動に、リツコの過剰な位に仕事量と秘密主義に、自分の属する組織の大きな闇が浮かんで見えたように思えた。

置いていかないで

わたし達は、一緒に学生時代を過ごして、就職先も同じで、配属先は違っても、役割は違っても、同じ目的を持っていたんだと思ってた。加持くんも、リツコも、それぞれの理由がなければ、本来行くべき道を外れることはなかったと思う。そう、二人は、NERVに来てからその何かに気づいたというのに、わたしは…

置いていかないで

わたしは、どうする?
このままでいいの?
ふたりみたいに、自分の歩く道を見つけられる?
NERVは自分で選んだ、自分の生きる場所だと思って疑うことも無かったのに。
加持くんもリツコも大好きなの。大切なの。
わたしの知らないところで、何かしているなんて耐えられない。

置いていかないで

目の前の、彼が見せた『アダム』称されるものを見つめる。
SEELEの面で封印された頭部と、人が生えているような下半身と。
このことを、作戦課の長であるわたしが全く知らなかった現実は、わたしに為すべきことを見つけなくてはいけない、と強く感じさせるものだった。

そろそろ時間だ、と加持くんがわたしの視線の先を遮るように扉を閉じ、エレベータへと誘う。

でも、動けなかった。
わたしは、彼に差し出された手を、握ることが出来ない。

「葛城?」

「…置いていかないで」

ずっと反芻していた心の声が、遅れて言葉になってやってくる。
加持くんは、そっとわたしの手を取って、目を細めた。

「バカだな…」

引き寄せられる
包まれる
撫でられる

ひどく、優しく

大好きなひと。
いつものタバコの匂いがするその胸に、わたしも顔を寄せた。

「そんなことするわけないだろ」

欲しかった言葉が与えられる。

多分、それは嘘。
でも、今は信じてあげる。

だから、導かれるように、加持くんの唇にわたしの想いを重ねた。
よく知った唇が、ゆっくりとわたしの中を満たしていく。それはやがて激しくなり、もっともっと互いの全てを、求め合うものに変わっていった。

不気味で静かなその場所は、しばし、わたしと彼の吐息しか聞こえなかった。
もしこの瞬間を誰かに見られてても構わない、この人が欲しい、その純粋な気持ちが、わたしを溶かしていく。

それから熱く、蕩けるようなキスをする唇を、彼は微笑みながら離す。もうタイムリミットだ、と告げると、わたしの手を取り、脚が絡まるのではないかというくらいに、ぴったりと体を寄せながらエレベーターに移動した。その箱の中でも、本部がある上の階の終着点に辿り着くまで、再び互いに何度も何度も唇を貪りあった。

わたしは彼を求めずにはいられなかった。それは、今までのように昔の恋を思って、彼が気まぐれにくれるひとときに、浮かれることはないことを、今日この日をもって、図らずも彼に示されたからだったのか。

エレベーターが止まった。
高いベルの音とともに、扉が開く。

重ねていた唇を離すと、髪を撫でられ、彼の唇がまた降りてきて、わたしの涙を掬った。いつの間にかポロポロと、涙をこぼしていたわたし。

この涙が、嬉しいのか悲しいのか、さっぱりわからなかった。
ただ、ここを降りれば、今までとは違う世界が待っている。
それは加持くんやリツコと別の戦場なのかもしれない。

そんな感傷的になったわたしの濡れた睫毛に、瞼に、そっとキスをくれた後、再び唇を重ねる。
丁寧にわたしの唇をなぞった後、その甘い蜜はゆっくりと離れた。
そのままエレベーターホールに出ると、熱く火照った体が急速に冷えていく。

すぐにここはロックするから、と、先に進もうとする加持くんの背中を見つめる。
やっぱり、大好きなひとだと思った。どうしようもなく大好きなひと。多分この先どんなことがあっても、その気持ちは変わらなのだろうな…
こんなにもわたしの手が、唇が、心が、全てが、欲しいと、切なく疼くような、こんな想いをさせる人は他にいない。

その時気づく。
いつも現れると怯えていた影が、全く見えない。

…そこに父はもういなかった。

わたしは後ろから、彼の手を握る。
そして、そのまま背中に顔を埋めた。

そう、この手をもう離すことは出来ない。

fin.

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