明るいほうへ kaji part
2020.12.22 tue.
「イイオトコになったわね。」
「流石ワタシが目をつけた男だわ…」
光沢のある黒いスーツに、10cmはあろうかという真っ赤なハイヒールをカツカツ響かせながら歩く女性は、喫煙所でタバコを吸う加持を見つけると、ミニスカートから真っ直ぐ伸びた長い足を止めた。
日本人にしては彫りが深く、スラブ系の血が混ざったような美しい顔立ちに、濃いめの化粧のその女性はキャンパスに似つかわしくなく、周りの注目を浴びている。
彼女はしばらく加持を眺めた後、喫煙所まで歩みを進めると、加持の吸っているタバコを自分の口に咥えた。
「久しぶりね」
加持は彼女を見ると、少し驚く素振りを見せたが、すぐに満面の笑みを浮かべ、軽くハグする。
フローラル系の香水の匂いが彼の鼻を包んだ。
「…わざわざ来てくれたんだ」
「ええ、育ててきた可愛い子がどうしてるかと思って」
その場にいた学生は、ただただそのやりとりを息を飲んで見ていた。
そんな視線に気がついたのか、騒がせてごめんなさいね、と彼女は告げ外に出る。
「…行きましょ」
閉鎖的でむさ苦しいその部屋に、強烈で、かつ官能的なその彼女の香りが、タバコの匂いをかき消すように残った。
加持は苦笑いする。
しかし、返されたタバコをもう一度吸うと、灰皿に押し込み、その女性のパンプスお揃いのような、真紅のスポーツカーに乗りその場を離れた。
************
この助手席に乗るのはいつ以来だろう。
加持は3年前、この女性に拾われた。
弟や仲間を惨殺された後、第二新東京市で行き場もなく彷徨い、彼女の所有する、高級クラブの従業員通用口の前で力尽き、倒れていたのだ。
(…子犬みたいね)
彼女は痩せ細り、浮浪者の様な加持を自分の高級マンションに招き入れた。
その子犬は快復するまでには、少し時間がかかった。10代も半ばに差し掛かったであろう彼はその若さとは、正反対に、途轍もない闇を背負っている、と彼女は感じたのだ。
世界中で混乱が起きている。この救い難い現実の中、独りぼっちで、ボロ切れのように衰弱した彼を拾うまでに、何があったかは容易に推測できた。だから何も言わずに見守ることにした。
しかし次第に顔色も良くなり、時々静かに笑う姿が見られるようになった頃、彼女はクラブのボーイとして働かせた。
その代わり彼に必要なものは何でも与えた。
温かい食事、プレスのかかった衣服、彼の部屋、
…そして彼女自身も。
「よく見ておくのよ…」
「大人の世界は貴方が知っている世界よりもっと広くて混沌としている」
「どんな人間も裏と表がある…表だけ見ても何もわからない」
出会った頃感じられた闇を、未だ感じる加持に、彼女は意図的に世の中の暗い部分を見せようとした。
特にこの高級クラブには、官僚や大企業の重鎮が多かった。高価な車にスーツを着て、ホステスと高い酒を何本も開け、くだらない話をしている姿を何度も見た。それは大人の社交場であり、珍しくもない光景ではあった。
しかし、世の中には、貧困者が続出し、孤児が溢れ、加えて大切な人を失った苦しみを抱えながら生きている人が大勢いることなど、見て見ぬ振りをする人種に加持は思えた。
(俺なんて奴らには虫ケラと同等なんだろうな…)
加持は弟や仲間を全て殺され、一度は後を追おうと思ったこともある。が、それも出来ずに孤独に生きてきた境遇から、自分とは違う世界にいる大人を、更に冷めた目で見るようになっていった。
そんな思いを秘め、どこか影を持ったままであり、また大人へ成長する間際、あどけなさが残る加持は、店のホステスや女性客に気に入られた。
最初は手当たり次第に誘ってくる女と寝た。
実際自分の性欲が満たされたし、一瞬でも自分が背負ってきた辛い過去から逃げられるような気がした。
「気をつけなさい」
「そんな手当たり次第に寝てたら、火傷するのも当たり前でしょ」
加持との情事の後、彼女はそう忠告した。
彼にハマった女がトラブルを起こしそうになった時、仲裁し、それ以上面倒になことにならない様に処理した日のことだった。
加持がごめん、と謝ると、形のいい唇は微笑を浮かべて、ネイルが綺麗に施された指先で、加持の無精髭を撫でた。彼は衝動的にまた彼女を引き寄せ、口づけを交わす。その口づけはどんどん激しく…やがて二人は刹那の快楽に酔った。
その日2度目の情事が終わると、彼女は一人ベッドから一糸纏うことなく、シャワールームに向かった。
シャワーの音が聞こえてくる。
その音を聞きながら加持は思う。
(俺は何をしてるんだろうな…)
何不自由ない生活を手に入れて、もうすぐ半年になる。
衣食住に加えて、タバコ、酒、セックス…
過去に比べたら充分過ぎる程満たされている生活。でもそれは全て彼女から与えられているものだ。
心は空虚だった。
そんな時だった、偶然あの話を聞いたのは。
「例のブラフ…映画化の話が出てるそうですな」
「セカンドインパクトは隕石が原因だということを知らしめる必要がある」
「…真実は闇に葬ればいい」
加持がVIPルームに新しい飲み物を運ぶ時入室すると、客が声を低く話す声が聞こえる。
ボーイの姿を見た客は、すぐに別の話に切り替えたが、彼の耳にその会話がしっかりと刻みつけられた。
部屋を後にすると、高鳴る鼓動を抑えられない。同時に身体中の汗が噴き出した。
冷静になるために、加持は外へ出た。
(どういうことだ…)
あの日…セカンドインパクトと言われる、南極に隕石が落ち災害をきっかけに、世界各地で戦争が勃発した。
日本の首都、東京にも新型爆弾が投下され、政府機能は停止、一時的にしろ国家としての舵を取るものがいなくなった。そして、この時点で世界の人口は、災害前の半分になってしまったらしい。国内どころか、世界が混乱し迷走したあの自然災害は、加持の人生にも大きな影響を与えた。
(セカンドインパクトがブラフ…)
しかし、俄かに信じ難い話でもあった。
それから加持は、要人達が店に来ると、話を盗むようになった。自分の耳で、仕掛けた盗聴器で。いつもその話になるわけではない、少しずつ会話を集め、聞き、また気づかれそうになる時は、すぐに止めるようにした。加えて、噂レベルの小さな情報から、要人の配偶者から巧みな話術で、聞き出していく。また、この時期にパソコンのハッキング技術も習得した。
少しずつ亀の歩みのような地道な作業。
しかし、加持には苦にはならず、次第にその行為自体に、ますますのめり込んでいく。
そして、例の話に信憑性があることが分かってきた。
激しい怒りが全身に音を立てて湧き上がり、広がっていく。
自分の失ったものは何だったのか。
両親、仲間、そして小さかった弟…それぞれの顔が脳裏を駆け巡る。
本当なら真実が知りたい。
もしそれが、どんなに危険なことでも。
加持は決意した。
それは彼がこれから生きていく為の原動力の一つになっていく。
真実への道。
その道が加持の想像以上にどれだけ困難で、危険なものか、彼はまだ知らなかった。
************
加持と彼女を乗せた車は、一般道からバイパスに出て加速した。
運転席に座る彼女を美しいと加持は思う。
その横顔は30歳を超えている彼女だったが、年齢不詳としか言いようがなく、若くも見えるし、熟女の艶めかしさも垣間見える。出会った頃から大輪の薔薇のようなそんな、男をそそる雰囲気を持っていた。
大学に進学を決めるまで結んだ肉体関係も、本来なら高校生の加持には、刺激が強すぎるものだった。
あのまま自分が生きる道を見つけられなければ、彼は彼女から離れられなかったかもしれない。
関係を解消しても、ボーイのバイトは続けた。昼間は猛勉強し、大検を受け、大学の受験資格を得て進学に備えた。そんな加持を彼女は変わらず支えてくれた。
20分ほど走ると、車は高台にある、小洒落たレストランに着いた。
「貴方は飲んでいいのよ」
彼女は、私は運転するから、とミネラルウォーターを頼み、加持にはワインをオーダーする。
「ビールの方が良かったかしら」
オードブル、スープ、魚料理…食事の進み具合に合わせて、料理が運ばれてくる。
いつもはコンビニのパンか、大学の定食の加持には、豪華すぎる料理だったが、テーブルマナーは、彼女との生活でしっかり身についていた。
加持の始まったばかりの大学生活の話を、彼女は静かに笑みを浮かべ、時にはその目尻を珍しく下げ、聞いていた。そして満足そうに頷くと、その口を開く。
「大学に進学するって聞いた時、何の冗談かと思ったわ」
「それに貴方が目指したのは、この国の最高学府だし、勉強どうするのかって」
「でも頑張ったわね…」
「本当はわたしの右腕になって貰いたかったけれど…まぁ良いわ」
2時間程の食事の後、車はまた第二東京大学に戻ってきた。
加持は助手席のドアを閉じると深々と頭を下げた。
「俺は…貴女に命を助けてもらった」
「ありがとうございました」
それはシンプルではあったが、暗闇の中でもがき、生きる希望を見失っていた彼を救い、明るい世界へ、行くべき道へ歩み出すきっかけの1つを与えてくれた彼女に贈る、彼の心からの感謝の気持ちだった。
(恐らく、もう2度と会うことはないわね。)
いつも自身たっぷりで余裕のある彼女の美しい顔が、ほんの少し寂寥の表情になったことを、彼は知らない。
少なくとも今の加持は前しか向いていなかった。
fin.
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