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彼と、彼女と、正月と

NERV本部の新年会から抜け出した彼は、自室の鏡の前で緩んだ衿元を直し、帯を締めなおしていた。
和装は嫌いではないが、崩れやすいのがな…などと思いながら、そろそろ彼の愛すべき彼女を初詣に誘いに部屋を出ようとした時、ドアが開き、凄まじい嵐がやってきた。

その嵐…である彼女は、和装の所作や立ち振る舞いを無視し、草履の音をバタバタ荒く鳴らして中に入ってくると、彼の前で仁王立ちする。
目の前にいるこの美人の顔は、台風の目そのものだ。

そのただならぬ雰囲気に、圧倒される。

(なんか、このまま襲われそうだな…)

程なくその嫌な予感は的中する。

「ちょっと!」
「なんであんたワタシの写真に写ってんのよ!!!!!

その右手にはタブレット。

「…いきなりなんだよ」

彼は明らかに怒りをぶつける彼女を見ながら、心当たりを探したが、答えは彼女から提供された。

「さっきの新年会の写真よ!!!!!!」
「NERVの新年会共有アルバムに入ってたのを、リ…リツコが教えてくれたのよ」
「それに何これ…なんで背中に手を回してんのよ!」

画面にはNERVの彼女と彼、つまりここにいる彼女と、この部屋の主が写っている画像が表示されていた。
一瞬、驚いた顔をした彼は、そのタブレットを暫く見つめていたが、やがてにっこり笑って彼女の方を向く。

「さっきの写真か、誰が撮ってくれたんだ?」
「共有クラウドあるんなら、リっちゃん俺にも教えてくれればいいのに…」

全く温度差のある二人。

彼女は大激怒。
彼はご機嫌。

狭い執務室に不思議な空気が流れている。

「ああ、よく撮れてるなぁ〜、いい写真だ」
「葛城、これNERVの宣伝になるんじゃないか〜美男美女もいますよ〜なんて」

再度タブレットに目を落とした彼は、茶目っ気たっぷりにその画像を見ながら、軽口を叩いた。彼の言葉に、更に顔を赤く染めた彼女は、いつもの様に色々叫んでいるが、画像に目を奪われていた彼の耳には、殆ど入ってこない。

(誰がこんな写真を撮ったんだ…サンキュ)

顔を上げると、目の前には今にも大噴火しそうな彼女が彼を睨みつけていた。見慣れてはいるが、怒った顔も可愛いと彼は思う。そしてつい、憎まれ口を利いてしまうのだ。

「そんなに顔しかめると、シワになるぞ…もう三十路間近だろ」
「よし、落ち着くために、珈琲でも淹れるか」

「うるさい!このバカ!!!!!!」

(もう加持!殺してやる!!!!!!!)

彼の前でだけ、度を外れて短気になる彼女は、全力でタブレットを投げつけた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

NERV本部の女子から、日々大変な業務をしていることのリフレッシュとして、正月は和装をして仕事がしたい、との声があがった。その声を受けて、厚生部が職員からの要望として、『着物で新年を祝おう』という企画書を上部に提案したところ、その要望は沢山の承認印と共に帰ってきた。

大晦日、24時間体制のNERV本部も、形ばかりの仕事納めの日。
早速、レンタルされてきた大量の着物が届き、派遣された着付け師が次々と職員を、見慣れた制服から、それぞれが選んだ和装姿に変えていく。
当番の職員も希望者は和装することが許されたので、施設内は、正月を迎える華やかな空気に包まれていった。
見目麗しい二人、戦闘指揮官と、E計画総責任者も、他の職員以上に多忙ではあったが、0時を回る前ギリギリに着替えを終わらせ、その装いで、各部署に挨拶回りをした。

ひと通り回り終えると、金髪の美女は用事があるからと、新年会の出席は断り、不貞腐れる親友を残して、足早に何処かへ去っていった。

新年会の会場のために解放された大会議室は、立食ながらも軽く食事をしたり、職員と話をしたり、普段からバンド活動をしているオペレーターが、ライブをしたりと、普段の使われ方とは全く違う明るい雰囲気が漂っている。

艶やかに着飾った戦闘指揮官が会場に着いた時には、挨拶も乾杯も終わった後で、職員もそれぞれリラックスして楽しんでいるようだった。

「葛城さんさ〜、写真とってもいいですかぁ」
「あ〜わたしも!!!!!」

少し酔っぱらった、女子職員が何人か上司である彼女に声をかけた。
その申し出を快く引き受けると、彼女達を遠くから見ていた他の職員も同じ申し出をして、ちょっとした人だかりになる。
彼女は、その仕事とは対照的でとても美しく、本人の知らないところで人気があった。同じ目的で使徒と戦っているとはいえ、普段同じに空間にいない職員程、彼女に憧れるものは多い。そのせいか、男女関係なく彼女の周りに集まってくる。

実際、社交的な場所であることを配慮してか、お酒は2〜3杯程度しか口につけず、ほんのり頰を赤く染めて、かつ和装した彼女はいつもの制服より何倍も増して、眩しく、人目を引いた。

有名人さながらモテモテな彼女。その様子を、乾いた笑みを浮かべた主席監察官が、喫煙室で見つめていた。

彼がこよなく愛する戦闘指揮官は、面倒見もいいし、愛想はいいが、人が多いのは苦手だ。その証拠に、最初は楽しそうに笑っていたが、時間が経つに連れ、僅かに顔が引きつっている。
彼女の頼みの金髪美女は、そもそもこの会場で見かけなかった。彼女らしく人付き合い宜しくなく、退席したのか、最初から参加しなかったのだろう、この場にはいない様だった。

(しかし…奴らも遠慮ないな)
(まぁ、アイツは可愛いからな…)

灰皿には彼自身が押し付けた煙草が所狭しと埋まっていた。そして持っていた最後の煙草に火を付け口につけようとすると、彼女の側に見慣れたオペレーターの姿が目に入った。

『彼女に近づくオトコは全て除去しなくてはならない』、という彼自身の使命感に加え、彼女に憧れ、仕事でもいつも一緒にいるそのオペレーターが、この場にまでいることに…加えて、自分より近くにいることに、苛立つ。

それが導火線になった。

傍観者に徹していた彼は、煙草を灰皿に押し付けることも忘れ、喫煙室を出て彼女へと足を向けた。だが、慎重さも忘れない。あくまでも気持ちが急いていることを気づかれないように、表情は柔らかく、穏やかに。

そして、彼は後ろから0距離まで近づくと、彼女の肩をそっと抱いて、自分の方に引き寄せる。
周りの目が二人に集中する中、いつもの朗らかで心地よい声が意思を持って響いた。

「あ〜みなさん、申し訳ない」
「戦闘指揮官殿はこれからお仕事ですから、そろそろ撮影会は解散しよっか」

この一連の流れは、映画のワンシーンのような光景で、見るものを魅了した。

それまで作り笑顔を崩さなかった『みんなの戦闘指揮官』は、後ろから急に引き寄せられたことに驚いた。見返ると、スマートな紳士を演じながら、彼女をエスコートする見慣れた彼。

「…かっ加持、何やってんのよ」

彼は、明らかに慌てる彼の姫の耳元で、小さく呟いた。

「お姫様を救いに来たんだけれど」

彼は周りには余所行きの顔をしながら、周りに気づかれない様に、彼女の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑った。

実際、戦闘指揮官だけでなく、首席監察官も人気があった。彼もまた滅多にお目にかかれない女性職員は彼を目で追い始める。男子職員も、好奇心を持って彼を見ているようだった。

…彼女に恋い焦がれる一人の職員を除いては。

やがて、彼女を丸く囲んでいた職員たちは、二人が通ることができるように二手に分かれ、道を作った。

「何よ、せっかく楽しんでたのに」

と、彼女は言いつつ、ホッとしたことを顔には出さずに、慣れない着物で職員に対応し続けてた疲労からか、彼に促されるまま、会場を出ていった。

その背中を見送った後、羽織の中から煙草を探そうとしたが、最後の一本を置いてきたことを思い出すと、彼は苦笑いした。

(この着物…煙草臭かったかな…)
(葛城…煙草の匂い苦手だからな)

ふと羽織の袖を鼻先の前に持ってきて、くんと匂いを嗅ぐと彼はその場を離れる。

喫煙室では、最後に灰皿に置いた彼の煙草が燃え尽きていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「痛ってぇ…」

彼女から投げられたタブレットをキャッチしようと手を出したが、その努力も虚しく、問題の画像データが入っているその端末は、その手をすり抜け、彼の鳩尾に突き刺さった。

身体を抱えて蹲る彼。
その姿に我に返る彼女。

しばらくの間。

「壊れたらどうするんだよ…」

声は苦情を言いながらも、タブレットが無事だと確認すると、ホッとした顔で彼女に差し出す。彼が無事なようで、同じくホッとした顔をした彼女は、気まずそうに彼から目を逸らしながらも、手を伸ばしてその端末を受け取り、背後にあったベンチソファーに座り込んだ。

「加持くん…ごめん、大丈夫?」

下を向いた彼女は、何とか謝罪の言葉を絞り出す。

苦手な場所から連れ出してくれた彼。まるで、お姫様になったような気分で、正直心地よかった。

そのお礼を言おうか迷っていた、その時、あの画像データを見た瞬間、自分の身体の血が全部沸騰してしまった。

(ああ…またやっちゃった)

結局のところ、彼女は自分のやりきれな気持ちを彼にぶつけていたのだ。

彼が連れ出してくれる瞬間を切り取られたことは、またも甘酸っぱい気持ちを呼び起こした。

それが嫌だった。

本当は新年会の画像データも嬉しかった。二人で撮った学生時代の写真は、勝手にアパートに残した荷物の中に置いてきて、手元には一枚だってなかった。
彼女の美しい友人も、それを見透かして、彼とのツーショットのデータがあることを、教えてくれたに違いない。

素直になれない自分。意地っ張りな自分。離れていても、ずっと心の何処かにいた彼。今はいつも側にいてちょっかいを出してくる彼。ただでさえ、落ち着かない日々を送っているというのに…と思うと、気持ちが整理できないままで。

彼女自身、彼が目の前にいると、自分がすぐ動揺するのは今までの経験から分かっていたはずだった。だからと言って、当たり散らして、痛い思いをさせて何をやっているのか。

今回もまた自分が全面的に悪い。

自責の念からか、頭の思考回路が堂々巡りをして、俯向く彼女は、急に温かいぬくもりを感じた。

それは、彼女の頰にそっと当てたコーヒーカップだった。温かさに続く彼の声。その声は彼女を穏やかに包む。

「落ち着いた?」

カップを受け取った彼女はコクンと頷くと、コーヒーに口をつけた。その様子を見て、彼は彼女の横に座る。

「悪かったわ…」

「まぁ…一応あの端末だって官給品だから気をつけろよ」

「そうね」

時計はAM5:00を少し過ぎた時間を知らせている。

彼は思う。
これから彼女を初詣でも誘おうかと思っていた矢先に…新年から波乱の幕開けだ。

今日は彼女がオフなのは調べがついていた。正確にはAM6:00までの勤務。それは彼も同じ。
滅多にない二人一緒のオフを逃す気はなかった。あと一時間…テンションだだ下がりの彼女をどうすればいつもの彼女に戻すか。

彼は仕方なく決心した。瞬間湯沸かし器のように、すぐ熱くなる彼女。また、同じことを繰り返すかもしれない。だが、想像以上に引き摺っている彼女に元気になってもらうにはこれしかない。大学生時代によく使った手だ。

彼は殆どため息のような深呼吸をして、隣に座る彼女の肩に手を回す。

「なぁ、葛城」

「俺、負傷しちゃったし」
「お詫びに欲しいものがあるんだけれど…」

言い終わらないうちに、彼は乱暴に彼女の唇を奪った。

こんなことをしたら、彼女はいつものように、自分を跳ね飛ばすに違いない。再会して、何度か唇をあわせたが、彼女はいつも凄い力で抵抗してきた。だから、彼は覚悟して待った。

しかし、彼女は最初こそ、驚いた様子だったが、目を閉じ、彼の羽織をしっかり握ってその口付けを受け入れた。

そう、全力で抵抗してくると思った彼女は、彼に自分の身体の全てを預けていたのだ。

半ば強引に押し付けた唇。彼は彼女の中へ侵入し、舌を絡め取っている。彼女も激しくなる口づけを返してくる。その時々漏れる吐息が、彼を刺激する。彼女を自分の策略に嵌めるつもりが、彼の方が嵌められ、堕ちていくような気がした。

彼は離れていこうとする理性を必死で引き戻す為に、一度唇を離すと、今度は優しく、何度も唇を啄ばむように重ねた。

「煙草の匂いがする…」

唇を離した瞬間、彼女がつぶやいた。

そういえば、新年会の会場で、随分長いこと喫煙室にいたことを思い出した。着物の乱れは直したのに、消臭スプレーくらいしておけばよかったなどど、今更どうしようもないことを思う。

「煙草の匂い…嫌いだったもんな」

大学生の頃、受動喫煙を嫌い、彼が煙草を吸い始めると顔を顰めてた彼女を思い出す。
もっとも彼女がタバコを吸う時もあったが、それを知っているのは彼しかいない。…それを彼自身が知るのはまだ先になるのではあるが。

そんな、彼の思いとは裏腹に、彼女は彼の羽織を掴んで口元に持っていった。

「いいの…加持くんの煙草の匂いは特別だもん」

彼は目を見開いた。

彼女は、自分の思いが素直にこぼれ落ちたことに気づいていない。
しかし、彼にとっては、彼の耳から全身を溶かされるような告白で、今度は、それまでの彼の思惑など関係なく、彼女を抱きしめずにいられなかった。

急に抱きしめられた彼女は、そのまま彼の胸に顔を埋め、鼓動を聞く。

聴き慣れた、安心する音。

トクン、トクン、トクン…

少しずつ、少しずつ、少しずつ…

そのリズムに合わせるように、彼との距離がまた近くなるような気がした。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

『退勤時間です。お疲れ様でした』

時計が午前六時を指すと同時に流れると同時に、業務終了のアナウンスが流れた。

「あれ…もうこんな時間になっちゃった」

彼女はその温もりから離れようとする瞬間、彼は耳元でそっと囁く。

「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくな、葛城」

優しく響く、低く心地良い声。
その声は例えようもない快感を彼女に与える。

「う、うん」
「…よろしくね」

彼女の返事に満足そうな顔をし、昔よくしていた儀式をする為に、彼は彼女の真正面に立った。

「それでは、そろそろ行きましょうか、姫」

彼は軽くお辞儀をし、右手を一度胸に当ててから彼女に跪く。
彼女が自分の手を差し出すと、彼はその手の甲に口づけした。

「ね…このカッコでなんかおかしくない?」

その頬をまたも朱に染めた彼女は、差し出した反対の手の袖をヒラヒラさせて、照れ隠しのようにつぶやいた。

「姫をお連れするんですから、これでいいのさ」

「ホント、キザなんだから…」

お姫様の愛しい男は、憎まれ口を言える程に元気が出てきた彼女の手を取り、これから24時間彼女を独占するために、ドアの外へ消えていった。

Fin.


<おまけ>

「ああああああああ!」

元旦の深夜、戦術部作戦会議室から人知れず漏れる叫び声。

恋焦がれる自分の上司を、目の前で攫われた彼は、せめて持っていたスマートフォンに写っていた彼女を目に収めようと、写真ライブラリを開いた。

沢山の艶やかで美しい彼女の画像がライブラリに保存されていた。その画像を一枚一枚見ていると…の最後の方ににヤツとのツーショット現れた。
バーストモードで撮っていたせいもあり、大量に出てくる写真。

(こんなもの、消してやる)

彼は、その写真をゴミ箱に入れようと、画面をタップしようとすると、職員用グループチャットから、通知が入った。

それは、新年会の写真を職員同士で共有するクラウドへの案内リンクだった。
丁度スマートフォンをタップしていた彼は、そのチャットを開き、消すはずの写真をその共有クラウドへ上げてしまう。

それが叫び声の正体であった。

かくして、彼のおかげで、戦闘指揮官と首席監察官の写真が出回ることになったのであった。

おしまい。
(日向くんごめん💧)

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