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助手席

1999.7.26 mon.

車が停まる音。
ドアが開く音。
傘が開く音。

そして、小雨の中、道端に蹲っていたアタシを見つけた彼の声が降ってきた。

「なにしてるんだよ」

見上げると彼の怖い顔。

そう、ほんの少しだけれど怖かった。
見たことない彼の、そう多分怒った顔に、アタシは少し震える。
けれど、膝を抱えてうずくまってたアタシに、手を差し伸べてくれた彼。
その手を横目に、アタシは自分で立ち上がった。

そのまま無言で彼の車の助手席に乗る。

ここは最近のアタシの定位置。

寮までの短い時間。
毎日毎日一緒にいる時間。

***

車の免許を取ったのはアタシの方が早かった。

すぐに中古だけど、スポーツカー的な車買って、乗り回してたんだけれど、スピード出しすぎちゃったっていうかパトカーに追いかけられちゃって。

言っとくけど逃げた訳じゃないのよ。
アタシの方がドライブテクニック上だっただけ。

仕方ないから車停めてやって、警察官と言い合いして、結局切符切られちゃったんだけれど…

その時にずっこけて両膝負傷。

子どもみたいにおっきな絆創膏貼って
若干足引き摺りながら学校来て

ひっさびさにリツコと顔合わせたってのに、アタシの話終わった直後に、

「無様ね」

って、表情も変えずに言われた。

確かにスピード違反したのも、警察官と言い合いした挙句ずっこけて両膝負傷したのも、自己責任ですとも、ハイその通り。

でも久々に会ったのにそりゃないよ。
大学入って、折角友達になったのに…そりゃ彼女はちょっち辛辣なとこあるけれど。

「…ってことは免停になったのね」

リツコは呆れ顔でアタシの顔を見る。
アタシなんだか急に惨めな気持ちになって俯いた。

「まあね…」

「その両膝はともかく、無事で良かったわ」
「でも歩きづらいんじゃないの?」

「うん、歩くと傷広がったりするから」
「でも大丈夫!だって…」

そこまで言いかけてアタシは口を噤んだ。
毎日加持くんに送り迎えしてもらってるなんて言ったら、更に何言われるか。

別に付き合ってるわけじゃ無いし、やましいことはないけれど…
リツコ真面目過ぎるトコあるし…
でも黙ってるのもイヤだな…

なんてグルグルと考えを巡らせていたら、

「ミサト」

リツコの声にハッとする。

「私は教授に呼ばれているから行くけど」
「…ちゃんと治すのよ」

そう言い残すと、エレベーターホールへ向かうリツコの、ヒールの音を鳴らす音が響き始める。
素っ気なさの中に、先程までの厳しい声とは一転して、優しい口調で言われて少し嬉しかった。

「うん、サンキュ」

アタシは、友だち…多分親友の背中に向かって声をかける。
リツコは一瞬立ち止まったけど、そのままエレベーターへ消えた。

苦笑い。

膝の傷がアタシのココロを見透かしたように、チクリと痛んだ。

ちゃんと紹介しなきゃ…ね

***

と、あるボランティアに誘われた時だった。

コトコが誘ってくれたんだけど、セカンドインパクトで孤児になった子どもの施設でお祭りの、手伝いや子どもと一緒に遊んだりする、そんなボランティア。

ついこの間まで、アタシもそんな場所にいた。
アタシの場合は、周りに子どもは1人もいなかったけれど、そゆとこにいたから、セカンドインパクトを体験した怖さや辛さはよく知ってる。

何もかも失った
残ったのは自分の命だけ

あの日、南極にどれくらいの人がいたか知らないけど、大勢いたと思う。

生き残ったのはアタシだけ。
父との命と引き換えに。

今でも夢に見るくらいに、心の傷になっている。

だから、ボランティアの参加は悩んだし、迷ったけど、行こうと思った。

小さい子どもがいる児童養護施設へ行くメンバーには、加持くんも入っていて、それが意外だったんだけど、彼はどんな想いで参加したんだろう。
そういえば最近一緒にいるけれど、彼の生い立ちのこと、アタシはよく知らない。

結局、膝を怪我したアタシの運転は怖いので、加持くんの運転で施設に来た。

加持くんは、子どもにとっても人気があって、楽しそうに一緒に遊んでた。
コトコは彼女特有の面倒見の良さで、子どもとすぐ仲良くなっていた。
アタシも、膝が痛くって走れなかったけれど、小さい子に触れるだけで、なんだか優しい気持ちになれた。

施設のお祭りは想像より賑やかで、合成食品ではあるけれど、ケーキやアイスクリーム、焼きそばやフランクフルトの屋台が出ていたり、茶道の先生らしき人がお抹茶点てていたり、劇や歌の演し物があったり、手作りだけれど、あたたかい雰囲気だったと思う。

最初はその光景を、穏やかな気持ちで見ていたはずだったのに、その優しい世界がアタシの中に闇を作った。

決して仲睦まじい家庭に育った訳ではない。
けど、家庭のあたたかさにしあわせを感じる時もあったその記憶が、フラッシュバックする。

決してもう戻ることのない時間
会うことのない両親
たくさん経験した恐ろしい出来事

それら全てに、自分の中で無理やり整理をつけ、アタシは1度手放したアタシ自身を取り戻した。

…そのはずだった
そのはずだったのに

めまい吐き気、立つことさえ、おぼつかない。

自分の心が暗く深い闇で覆われていくのを感じたアタシは、その場から消えたくなった。
子どもたちから離れ、ボランティアの裏方の仕事を全て片付けると、逃げるようにアタシは施設を飛び出した。

ケータイが何度か鳴っていた。

きっとコトコと加持くんだ。
アタシの姿が消えたから、心配してくれてるんだろう。
でも、何度も鳴る電話に出ることなく、第二東京市の外れにあるこの施設から歩いて帰ると、2時間余りの道のりをとぼとぼ歩いた。

両膝ケガしたばっかりで、歩くのはとっても大変だった。
そういえば最近は大学から近くの寮にさえ、加持くんに送ってもらってたんだった。
体力には自信あるけれど、ケガはどうしようもなくて甘えたんだっけ。
ふっと膝を見ると、傷が開いて、血が滲んでいた。

泣きたい気分になる。
痛いし、辛いし、寂しい…
こんなことして、あの施設にいた子ども達より、幼いんじゃないかって呆れる。

何度目かのコールが鳴らなくなると、メッセージの着信音が鳴り、アタシはケータイを取り出し画面を見る。

『ミサトどこにいるの?』
『ちゃんと加持くんに送ってもらってね〜私はデートだからさ』

ボランティアの後にデートなんて、コトコらしくて、少し笑える。

一方、加持くんのメッセージは、完全にアタシを心配していた。

『葛城、車に忘れ物ー寮まで遠いぞ』
『雨降って来そうだぞ、傘、車の中だろ』
『葛城ー』
『かつらぎ〜何処だよ?』
『お〜い』

その、立て続けのメッセージに、思わず加持くんにコールしてしまった。

「あ…加持くん、ごめんね」
「ちょっち歩きたくなっちゃったから、歩いて帰ることにした」
「大丈夫だから心配しないで」

思いっきり明るい声出したはずだったけれど、いつもより声が震えた気がする。

「ちゃんと歩けないくせに、何言ってんだ、どこにいる?」

加持くんの声、少しだけ怒っていた。
でも、アタシは受話器向かって陽気な声を出す。

「うーん何処だかわかんないけど、そのうち着くでしょ」

「そこから何が見える?」

彼はアタシが何処にいるか、真剣に探し出してくれようとしていた。
なので、素直に目に入った、高速の高架橋の看板の文字を読んだ。

「新梓川サービスエリア…」
「って…あ!ひょっとして逆方向来てる?どうしよっ」

家と全く反対方向にある、サービスエリアの看板を見つけて、アタシは呆然とした。

「もうそこから動かない」
「方向音痴過ぎるだろーが!」

「戻ればいいんでしょー大丈夫だから」

足が痛い、ホントはすぐ来て欲しい気持ちを抑え、意地を張って電話を切って、再び歩き始めた。

でも、両膝の痛みが酷くなり、雨も降ってきて泣きそうになる。

加持くんの、何回目かのコールに通話ボタンを押した。

「…学校らしきもの見えてきたかも…第二東京科技大?」

あれ?高速の高架橋から離れようと思って歩いたけれど、もうここがどこだか分からなかった。

「マジかよ…今高速乗って新梓川向かったのに」
「科技大だったら、また違う方向だよ」

ため息が聞こえてくる。

「…葛城」
「もう…頼むから、本当に動かないでくれ」

「…うん」

きっとすごく心配してくれている…緊張感のある彼の声がアタシの頑固な壁を崩した。

そして、アタシはその大学の正門までなんとか辿り着き、その前で血の滲んだ大きな絆創膏ごと、膝を抱えて座り込んだ。

ホントに、何やってんだろ…アタシ。

***

車の中で、彼は一言も話さなかった。
いつも、アタシの方が一方的に話してるってのはあるけれど、それにしても、なんだか気まずい。

何か伝えたいことあったはず、と考えたらすぐ思い出した。
とりあえず、ずっと思ってたことだし、場違いかもしれないけれど、言ってしまおう、と思う。

「あの…ね、紹介したい友だちがいるんだ」

運転席の彼に声をかける。
その横顔を見ていると、驚いているように見えた。すぐにいつもの顔に戻ったけれど。

「葛城がそんなこと言うなんて珍しいな」

彼はニッコリと目尻を下げる。

「楽しみにしてるよ」

その後は、あまり話さなかった。
でも、気がついたら、しばらく帰りたくないと感じるくらいに、居心地の良い空間になっていたと思う。

でもその思いは叶わずに、寮から少しだけ離れた、入口から見えにくい場所に車は停まった。

「ありがと」
「今日は…ごめんね」

「いいよ、葛城が方向音痴だってことがわかっただけでも、収穫だし」

「もう、意地悪なんだから」

振り返ると、アタシ専用みたいな顔してる、助手席のシート。
そう見えるのはどうしてだろう。

でもその先は考えない。

「また明日」
「うん」

毎日この言葉を繰り返す。

さよならとは言わないことで、毎日会う約束をしている。
深くは考えない。考えちゃったら、ココロが自分の知らない感情を交えた、別の世界へ迷い込んでしまう気がして。

そう、これは恋なんだよね…きっと。

多分。
ホントは。

でも、気づかないふりをする。

だから

「また明日ね」

彼が去った後にそうつぶやくと、アタシは寮へ向かって歩き出した。

Fin.

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