初恋1
2013.6.17 mon. (加持くんお誕生日記念)
五限目が終わって教授の荷物を研究室に運ぶように頼まれたミサトは
教授と並んで研究棟へ向かった。
その授業…形而上学の講義について、ミサトは理解するのが難しかった。
割り切れる答えと思想が相まって、自分の中の答えを見つけられない。
講義の度に教授に質問に行くとすっかり顔を覚えられ
こうやって興味があるのに、さっぱり分からない授業の内容について
またいつものように熱心に研究室で1時間程話込んだ。
礼を言って部屋を出ようとするミサトの後姿に声がかかる。
「そういえば」
「君は今晩は来るのかい」
教授は部屋を出ようとするミサトに声をかける。
振り返るときょとんとする彼女に柔らかな笑みを投げていた。
「今日はこれからうちのゼミの懇談会だよね」
「僕の個人的な集まりでもあるけれど」
「ゼミ生の…誰だったかな」
「そうだ、加持リョウジ君だ」
「彼の誕生日だということでその祝いもするとメールあっただろう」
とそこまで話すと教授は
「あ。」と声を出してから納得した様にうなづく。
それから少し間があって口を開いた。
「君は私のゼミ生ではなかったか、すまなかった余計なことを聞いて」
「いつも君は熱心に質問してくるから、つい勘違いしたようだ。」
**********
ミサトは大学のピロティに設けられたラウンジで
今日受けた授業の講義のテキストをパラパラとめくりながら独り言ちていた。
少し前に聞いたばかりの教授の言葉が部屋を出てから、何度も頭の中でリピートする。
どうやってここまで来たかあまり覚えていない。
(別にただの友達だもん…)
(だいたい入学してまだ2ヶ月ちょっとよ、そんなに親しくもないし)
(はぁ…聞かなきゃ良かった)
寂しいとか悲しいとか…そんな感情とは少し違う。
でも急に遠い存在になってしまった様な、そんな気はした。
(加持くん…か。)
ひたすら授業でとったノートに目を落としながら心は別のことを考える。
入学してからとても親しくなった、頼りになる友達でもあるリツコは
レポート提出の為に研究室に篭ったり、大学外の講習会を受けに行ったり
6月に入ってから忙しいようでここ2~3週間程全く顔を見ていない。
コトコ達とも履修科目が合わないせいか、すれ違う日が続いた頃に
声をかけられ、たわいもない話をするうちに
それまでもちょこちょこ顔を合わせていたけれど
最近頻繁にランチするようになった、同級生の加持リョウジ。
リツコもそうだけれど加持は同級生より少しだけ大人びて見える。
確かに実際に歳は2人共に1つ上。
優秀なリツコが留年する訳もなく、加持も話していると頭の良いことが分かるので
学年が一緒になったのは、セカンドインパクトの混乱もあってなのかもしれない。
リツコはその件について、口を閉ざしていたので敢えて聞かないけれど
あの事件は人々の人生を狂わせる大惨事だったことは確かだ。
ミサト自身、
『セカンドインパクト、南極での唯一の生存者』
という肩書きをぶら下げてこの大学に入学した以上
好奇の目に晒されることは覚悟していた。
けれどそんなプレッシャーを感じずに付き合うことの出来る
数少ない友人達と同じ印象を加持に持ったせいか
親しくなることに最初は抵抗を覚えたものの
今ではすっかり気にならなくなった。
話していると面白くてついつい話しこんでしまい
慌てて次の授業の講義室に飛び込む事もあり
落ち着いたらリツコ達に紹介しようと思っていたのだけれど…
(…誕生日だなんて聞いてない)
(そんなの聞いてないもん)
今日の昼も一緒にご飯を食べた。
授業のこと、寮のこと、友達のこと
…いろいろプライベートな話もするようになっていたのに。
今晩の飲み会の話なんて一言も出なかった。
別にあの教授のゼミ取ってる訳じゃないし、誘われないのは当たり前だ。
教授はわたしがしつこく質問するから顔を覚えてくれて
勘違いして声をかけてくれたのだ、それは分かる。
けれど加持くんは…最近親しくなったばかりとはいえ
お互いいろんなことを話しているのだから
今日誕生日なら言ってくれてもいいんじゃないか。
そんな想いが頭の中を過ぎると別に何をされた訳でもないのに
傷ついたような、悲しいような、今まで感じたことがない
言葉出来ない想いに囚われて、ミサトは混乱した。
***
テーブルに広げたままのテキストの上に、ぺたりと頬をつけた状態で
同じことをぐるぐる考えては、どうしようもない疎外感を感じたり
それを頭の中で打ち消したり、その繰り返しをしているうちに
ラウンジに人気が増え、帰り支度をしている二部の学生達の姿に気づいた。
時計は22時になる所で。
(ヤバ、そろそろ追い出されるわ~帰ろ)
テーブルのテキスト類を無造作にバックに入れ、ラウンジを後にする。
とぼとぼと家路に着く、といっても大学から寮まで歩いて10分もない帰り道
そのまま一人ぼっちの部屋に帰る気がしなくて
近くのコンビニに寄ってビールを何本か買った。
女子寮は飲酒は禁止されているので、寮から抜け出してビールを楽しむ
馴染みの公園へ寄っていつものベンチに陣取りプルトップを開ける。
(は~美味し)
(しっかしなんで寮で飲んじゃダメなのよねぇ)
(あの中にいるコ達もよく我慢してるわ)
女子寮の真面目そうな仲間達の顔を浮かべながらミサトは2本目を開ける。
寮の人間関係に全く不満はないが
お酒を付き合ってくれる人間が誰も居ないのは、ミサトにとっては辛かった。
それにリツコにもコトコにもキヨミにも、暫く会ってないから余計に寂しい気がする。
(ヤダ…寂しいって)
(もういつまで経っても子供っぽいんだから、ワタシ)
「あ~も~ワタシのガキんちょ~」
こんな夜更けに近所迷惑なのも忘れて、思わず叫ぶ。
その行為自体が全く大人気ないと余計に自己嫌悪したり
今日はどこかマイナス思考で、その悪循環のスパイラルから出れそうになかった。
ミサトは大きなため息をつくと一気に缶の中身を開ける。
それから3本目をコンビニ袋から取り出すと背後から声がした。
「噂には聞いていたけれど」
「葛城、ホント酒好きなんだな」
振り返ると今日誕生日でゼミのメンバーと飲みに行ったはずの主役がいる。
ミサトが空にしたビール缶を見て目尻を下げていた。
少し顔が赤いのは沢山飲まされたからなのかもしれない。
しかし丁度加持のことを考えていたミサトの方が
本人を目の前にして加持以上に顔を真っ赤にしていた。
加持はミサトの隣に腰を下ろす。
「飲みの帰りに研究室に忘れ物取りに戻ったんだ」
「そしたら葛城の声が聞こえて、まさかと思ったんだけれど」
「ホントにいるとは思わなかったよ」
加持は楽しそうに笑っている様に見える。
その笑顔はミサトにとって眩しい位だった。
そして自分が言っていたことを聞かれたかもしれない、と思うとさらに顔を赤くする。
彼女はその恥ずかしい気持ちをごまかすように、あっけらかんと笑って言った。
「あちゃ~声おっきかったかな、寮長にまた怒られちゃう」
「いつもここで飲んでるんだ」
「だって寮の中で飲んじゃいけないんだもん」
「そりゃ、酒好きは辛いよな」
「そ~なの。あ、加持くんも飲む?」
「じゃ、一本頂くとするか」
加持はミサトからビールを受け取り、口をつけた所で
ミサトは先程まで頭の中でぐるぐると考えていたことを思い出した。
「そいえば」
「お誕生日おめでとう」
言葉にしたら思っていたよりもとても照れくさい。
ミサトは自分を落ち着かせる為、気づかれないように軽く深呼吸する。
「へ?」
加持は顔を赤らめて自分を見ているミサトを見つめた。
ミサトと言えば、加持の反応は思っていたものと違って慌てて言葉を足す。
「今日形而上学のゼミのメンバーで…」
「加持くんのお誕生日の飲み会だって教授が言ってたから」
「あーそれ聞いてたんだ」
「けど、ちょっと違うんだよ」
加持は苦笑いする。
「あのゼミの教授、雑誌に論文載ったから、そのお祝いの飲み会だったんだ」
「昨日さ、自動車免許の試験に行ったら、偶然免許更新に来てた教授とバッタリ会っちゃって」
「俺、幽霊ゼミメンバーつーかあんまり顔出してなかったから」
「…まーちょっとお小言くらったんだけれど」
「交付された免許証みられてさ、俺の誕生日明後日だってバレちゃって」
「折角だから今日の飲み会でついでに祝っちゃえって感じで」
「まぁ…俺の誕生日はハッキリ言って後付けだな」
それでも加持の顔はまんざらでもない顔をしていた。
「そうだったんだ」
「今日のお昼何にも言ってくれなかったから…何でかなって」
自分でも驚く位に小さな声しか出なかったのが嫌で
ミサトは首をぶんぶん左右に勢い良く振った。
「あ~わたし間抜け過ぎる!」
「誕生日じゃないのに、おめでとうなんて~」
ミサトはつい本音を漏らしてしまった自分が恥ずかしかった。
けれど、自分の中で何故だか分からなかった鬱々とした気持ちの理由が分かった。
(あ、そっか。)
(ひとこと、おめでとうを言いたかったんだな、わたし。)
それまで彼女の中で燻っていた憂鬱な気持ちが一気に晴れたような気がして
ミサトの顔から自然な笑みがこぼれた。
加持は一瞬ミサトの笑顔に釘付けになった。
「いやいや、そもそも誕生日は明日だし」
「それに今日そんな話したらプレゼント催促してるみたいだろ」
「あ、じゃ今度お昼一緒になったら学食おごるし!」
「高い方のBランチとか!ちょっち豪華だし!」
加持はビールを吹出しそうになるのを抑えようとして、むせてしまった。
ミサトは慌てて鞄の中からポケットティッシュを出して加持に差し出す。
加持はそれを受け取って口元を綺麗にしてから、やっと口を開いた。
「気遣うなよ~女性にご馳走になるのは学食と言えども気が引ける」
「…それに」
加持の声が一段低くなった。それから上目遣いでミサトを見る。
「俺が葛城に欲しいもの言うとしたら」
ミサトはその視線と表情に、いつもの加持とは違う面を感じると
鳥肌が立つと同時に不安になり、表情が強張った。
が、加持はまたいつもの調子に戻る。
「いやいいんだ、気にしてくれただけで嬉しいよ」
その様子に、ミサトは体の力が抜けて安心した。
けれどどうも今日は自分の中で整理出来ない気持ちがどんどん沸き出て
上手く立ち回れていない気がして、ついついビールに手が伸びてしまう。
もちろんお酒が大好きなミサトだった。
しかし、今回は酔うことで少しでも面倒なことを考えることなく
陽気に振るまいたい気持ちから、どんどん飲んでいるのに
ちっとも酔うことが出来なかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?