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祖父の日露戦争陣中日記:(5)橋頭・楡樹林子付近の戦い

祖父の第24連隊は7月5日の李家堡子付近での戦闘でロシア軍を敗退させたのち、7月16日まで張家堡子、喜鵲嶺及び大甸子周辺に滞在して警戒に当たります。しかし、ロシア軍はすでに橋頭付近まで退却したとの情報を得て、再び行軍を始めます。

7月17日:当支隊は橋頭にいるロシア軍を攻撃する目的で前進を再開した。午前6時30分喜鵲嶺を出発し、午後2時30分頃草河長嶺に着いた。当初はここに宿営のはずであったが、支隊長よりさらに前進を命ぜられたため、直ちに出発した。午後7時50分頃通子峪に到着した。分隊は風紀衛兵に服した。行程40 km。

7月18日:大隊は午前7時通子峪を出発した。分隊は食糧倉庫の衛兵として残留し、師団本隊が到着した際に交代したのち中隊に合流するよう命令を受け当地に留まった。午後3時30分頃師団本隊が到着したので師団副官に交代の依頼を願い出た。しかし副官には、どの隊が残っても同じことであるので引き続き居残って衛兵に服務するよう命ぜられた。

結局、祖父の分隊は7月24日近衛後備と交代するまで当地に止まらざるを得なかったようです。

明治37年7月22日の第1軍第12師団の位置

7月25日:午前5時通子峪を出発し、午後5時頃橋頭へ到着し中隊に合流した。午後8時より、宿営地の西方約600 mの松林へ下士哨の交代に行く時に降雨となった。方向が分からず仕方なく天幕を広げて松木林中で警戒体制をとった。

7月26日:午後2時40分下士哨の交代を終えて宿舎に戻った。

橋頭付近の地図(左上:当時の地図、右上:現代のGoogle Earth
上で見る地形図、下:祖父が描いた略図)

7月27日:午後1時より工作作業のため出発し宿営地の西南方向の高地において作業中、敵の騎兵約2千、砲7門、我々の左翼へ前進する模様ありとの連絡を受けた。そこで、直ちに作業を中止し、陣地に赴いてこの敵に応戦する準備をして待機した。しかし、ロシア軍は前進する様子はなかったので、中隊は当地で露営することになった。

7月28日:夜明けに銃声数十発が聞こえた。午後6時頃陣地の西方約8 kmのところで敵は軽気球を揚げて我が軍を偵察しているのが見えた。

7月31日:午前2時橋頭を出発し、季家堡子に至り夜明けを待った。午前6時頃敵の砲弾は「ピューン、パン」と凄まじく飛んでくるし、銃声も烈しかった。情報によれば、歩兵46連隊は午前8時枕山を占領したという。大隊は河岸の掩堡で戦闘隊形をとってまま露営した。

明治37年7月31日の第1軍第12師団の位置

8月1日:大隊は連隊に戻り、敵の右翼に迂回して攻撃するために午前6時ごろよりその行動を開始した。幾山も超えてある高山に到達すると、敵兵は31日の暗夜に乗じて退却していた。そこで大隊は楡樹林子を経て賣家堡子に至った。当地はロシア軍の兵站部があったところである。連隊が集合したのは午後8時であった。中隊は賣家堡子の東南方向1 kmの高地における前哨を任ぜられた。

ここから先8月18日まで、大隊はこの賣家堡子の近辺に露営し、時には激しい降雨の中で前哨として周りの警戒に当たります。またロシア兵が肉眼で見える距離で対陣したことも数回あったようです。

8月19日:大隊(1個中隊を欠く)と騎兵1個中隊は敵の陣地偵察のために午前2時30分露営地を出発した。楊家堡子より徒渉して点線の路上を前進した。分隊は「イ、ロ」の中間より斥候として「ロ」の位置に至ったとき、敵の騎兵約30騎が現れ「ハ」の地点より射撃を始めた。しかし敵側は歩兵隊が来たのを見てとったのか、一部は「ニ」の方向へ、他は「ホ」の方向へ退却していった。このとき、我々の騎馬が銃声に驚き、3頭が敵騎と同方向に走っていた。敵は2、3名の負傷者を出した模様であった。大隊は午前11頃偵察を終わって宿営地に引き揚げ、中隊は孤家子を経て賣家堡子へ帰った。当日は濃霧で展望が悪く、偵察は著しく困難であった。午後5時△印の地点で展望哨を勤めた。

8月20日:夜明け頃、敵の騎兵4、50騎及び機関砲若干が孤家子付近まで前進してきたため我々は互いに銃火を交えたが、暫くして敵は退却して行った。午前8時歩哨を交代して宿営地に戻った。

8月19日の行動についてはその時の略図を日誌に挟んでいます。これについても当時の地図と現代のGoogle earthの地形図とを互いに見比べると興味深いものがあります。

上図:明治37年8月19日の祖父が描いた陣地偵察の略図
中図:当時の地図
下図:現代のGoogle Earth上で見る地形

投稿記事中の写真は、日露戦争PHOTOクロニクル(澪標の会編、分生書院)のものです。
冒頭の写真は、楡樹林子付近の戦闘で、7月31日の第12師団右翼隊とロシア軍の砲撃戦の光景。
また当時の地図は、参謀本部編纂「日露戦史」デジタル地図(文生書院)から切り出し加工して使用しました。


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