2度目のブダペスト:1990 and 2017の時間旅行
「2度目のパリ」といった「2度目の海外旅行先」をテーマにした紀行番組や書籍があります。1回だけの旅行では物足りないので、2回目の旅行で、もっとディープに楽しみましょうと言うわけです。
私の場合、昔のある時点で外国のある都市を訪れ、それから20年以上経って再び同じ都市を訪れたとすると、その間の街の変化を探し求めるのが大好きです。
今回は、出張で立ち寄った1990年のブダペストと、退職後に観光で訪れた2017年のブダペストを振り返って比べてみようと思います。
ハンガリーは長いこと旧ソ連の共産主義の支配下にありました。とくに1956年のハンガリー動乱に対する旧ソ連軍による武力鎮圧は決定的なものでした。(1956年のメルボルンオリンピック、ハンガリー対ソ連の水球競技において流血事件が起こりました。試合自体は成立し、ハンガリーが勝ったと記憶しています。)しかし1980年代には他の東欧諸国に比べると民主化が進み、1989年のショプロンにおける鉄条網の開放がベルリンの壁崩壊のトリガーになったことはよく知られています。
今ここでブログを書いているように、インターネットが世界を変えました。同じように、当時のヨーロッパではテレビの衛星放送が国境を超えていました。これも東西の壁が壊れた一因なのでしょう。
1990年の夏はベルリンの壁崩壊から1年も経過していませんでした。従って、航空券を依頼した旅行会社は、この時期の私のブダペスト滞在を非常に心配し、万が一のことが起きたらドナウ川の船でウィーンに脱出するよう忠告するとともに、ウィーンの市街地図までくれたものです。
実際に訪れた1990年8月のブダペストは当時の西欧諸国の大都市と大差なく、明るく開放的な雰囲気に満ち溢れていました。ただし、これは私がそれ以前の共産主義全盛期のブダペストを知らなかったせいかもしれません。例えば、このあと訪問した1990年夏のプラハは1981年夏のプラハとは格段に違いましたから。
バンケット後の屋外テラス、星が輝く美しい夜空の下、そこで知り合ったハンガリー人に聞いてみました。「共産主義が終わったけど、どう思うの?」。しばらく俯いた後の彼の返答、「土地を返してもらいたいね」。
さて、1990年は出張でしたから、観光は定期観光バスを利用した半日観光のみでした。2017年は完全に観光目的の滞在でしたので、ここでは1990年に撮った写真に合わせて2017年のブダペストの街並みや風景との比較を行なってみることにしました。撮影した場所は以下の通りです。
1.王宮の丘:マーチャーシュ教会、三位一体広場、漁夫の砦
ただし、妻も娘も子供にその民族衣装を着せることはありませんでした。お父ちゃんとしてもお爺ちゃんとしてもとても悲しいです。
2.ゲッレールトの丘:ツィタデッラ
これのみ1990と同じ場所で写真を撮ってもらおうと、2017では初めから企てていました。
これが最もわかりやすく劇的な違いでした。
3.ヴェレシュマルティ広場
4.英雄広場
結論として、政治体制の変化による違いはあるものの、ブダペストの魅力的な街並みや風景、人々の優しさに違いはありませんでした。
なお、2017年の通常のブダペスト旅行記については、後日、改めて詳細に記述したいと思っています。