マレーシアの微笑み
2011年12月、私の現役時代最後の海外出張はマレーシアの首都クアラルンプールであった。4泊5日と短期間ではあったが、最後ということで、家内のほかに次女もついてきた。
午前中は会議に出席したが、最後のお勤め、かつ家族同伴ということで、午後からは職務を放免していただき家族に付き合った。
イスラムモスクのマスジッド・ジャメ、KLタワー、イスラム美術館、バタフライ・パーク、セントラルマーケットなどを訪れた。
夕食は、スコール上がりの大気温度26~27℃、クリスマス・ミュージックを聞きながら不思議な雰囲気でスチーム・ボートを戴いたり、スリ・ムラユでショー付きのマレーおよびニョニャ料理を楽しんだ。また、ホテル・トレーダースのスカイ•バーからペトロナス・ツインタワーの夜景を鑑賞したりもした。クアラルンプールは予想以上に大都会であった。
この間、何のトラブルもなく、いつもの海外出張に比べると贅沢に過ごし十分楽しかったのだが、強い思い出としては残っていない。家族が同伴すると現地の人たちと触れ合う機会が少なくなるからであろうか。陽気なタクシーの運転手とバカ話をしたぐらいであった。
最終日の午前中、私は会議参加者にお別れの挨拶をし、家内と娘はブキッビンタンに買い物に出かけた。
正午過ぎホテルをチェックアウトした頃、娘の体調が悪くなった。ホテルのフロントは病院を紹介してくれたが、娘はそこまでの必要はないというので、タクシーで取り敢えずKLセントラルまで行った。クアラルンプール国際空港までタクシーで行ってもよかったのだが、途中で一層気分が悪くなると困るので、KLトランジットで空港に向かうことにした。
空港に着いたころには娘もずいぶん回復した様子であった。そこで、我々はスーツケースを空港の一時預かり所に預け、軽食を取ったのち、KLIAトランジットでプトラジャヤに向かった。
クアラルンプール国際空港はクアラルンプール中心部の南約50 kmに位置しており、プトラジャヤはほぼその中間にある。
したがって、もともと空港に向かう途中にプトラジャヤで下車する予定であったものが、娘の体調不良のために取り敢えず空港まで行ったのであった。従って、空港からのプトラジャヤ行きはクアラルンプール市街の方向に半分戻ることになる。しかし、飛行機の出発時間は21時だったので何の問題もなかった。
KLIAトランジットのプトラジャヤ駅からプトラ広場まではタクシーで行った。プトラジャヤはマハティールの発案で開発された官庁街で、首相官邸、外務・財務などの国の省庁が計画的に配置され、ワシントンDCのような公園都市の風情がある。
途中でスコールに遭ったが、プトラ広場付近のピンクモスクを眺めたりショッピングモールに入ったりして、14時半ごろから2時間程度のんびり過ごした。
娘はすっかり元気になって見知らぬ人たちと記念写真を撮ってもらったりしていた。
さて駅まで戻ろうとタクシーを捕まえようとしたが、これがなかなか捕まらない。まったく空車が通らないのである。同じようなタクシー待ちの一組がいたので尋ねると、もうかれこれ1時間近く粘っているが捕まらないと言う。
そこで、すぐ近くのインフォメーション・センターに駆け込んでタクシーを呼んでもらおうとしたが、いずれも出払っていてすぐに配車できそうにないとのこと。むしろ、徒歩10分ぐらいのところにバス停があるから、そこからバスで駅まで戻ったほうが早いだろうと言う。
地理不案内な街でのバス乗車は結構勇気がいる。路線が複雑だと、とんでもない方向に連れていかれる不安があるためだ。
教わった方向に歩くと確かにバス停があり、色鮮やかな民族コスチュームを身に纏った女性ばかりが7~8名バスを待っていた。一人の女性に駅まで行きたいけどこのバス停でいい?と尋ねるとコックリ頷いて、「ここでいい」というジェスチャーをした。しばらくして1台のバスが来た。私は少し躊躇して路線番号を確かめようとした。
ところが、その時、7~8名の女性全員が我々の方向を振り向いて、「このバスよ」というひと言と仕草をしてくれた。それは、私の不安を一気に払拭するのに十分だった。
次の問題は、降りるバス停と料金である。15分ぐらい経つと何となく駅近くの街並みになってきた。確信は持てないがこの辺かなと外を見回し始めたとき、例の女性たちがほぼ全員で、「ここ、ここ!」という合図を送ってくれた。バスの運転手も、私が大きなお札を出したにもかかわらず、キッチリお釣りを返してくれた。
みなさん優しかった。後ろ姿で申し訳ありませんが、下の写真の皆さまに心から御礼を申し上げます。
さて、空港に戻って預けたスーツケースを返してもらおうと、一時預かり所に出向いた。
ところがである。一人の担当者があっちこっち探していたが、どうも見つからないらしい。担当者が3人に増え、何か相談していたが、一人が電話で誰かと話し始めた。
しばらくすると一人のおばさんが我々のスーツケースを引いてどこからかやってきた。そのおばさんは担当者に何かクレームを言って、私には「あんたたちはラッキーだったわよ」と言った。どうも、彼女はツアーのローカル・コンダクターで、団体客の預け荷物に我々のスーツケースが紛れ込んでいて、担当者の不手際を叱責するとともに、我々には「良心的な自分が戻しに来たのよ」と言いたかったのだろう。
確かにそうだ、一つ間違えば、我々のスーツケースはどこかの航空会社のチェックイン・カウンターの付近で置き去りにされていても不思議ではない。
おばさん、ご親切にどうもありがとう!
生死に関わるピンチはまっぴらゴメンだが、この程度のトラブルなら、解決した後は人の優しさに触れた気がして、心和む思い出として長く記憶に残るものである。