5.いざ、レゾリュートへ
・ケガをしている大場さんを早く迎えに行きたい
私はこれで北極へ行かなくてよくなったのかとがっかりして気が抜けたようになった。でも、断念したとすれば、大場さんはけがをしている可能性が十分考えられるわけだし、失敗した時こそ迎えに行ってあげたいと思った。
すぐに、4月11日の成田発で予約していたチケットを1週間早い4月4日に変更し、レゾリュート行きの準備を始めた。翌日になると情報は一変し、大場さんは補給を受けて横断を続行しているという連絡が入った。ピーターさんがうまくやってくれたに違いないと思った。
私がレゾリュートに着いてからわかった事なのだが、この時の補給が成功したのは、レゾリュートにいたピーターさんと、河野さんチームのサポーター・大西君の協力によるものだった。2人は大場さんからイーパブの発信(救助信号)があったにもかかわらず、補給要請の可能性を感じとってくれた。そして、ピックアップに向かう飛行機に、通常、飛行機が着陸出来ない時に空中投下する10日分の食料と燃料を、さらに3週間分に増やして積んでおいてくれたのだった。
もしもこの時点で少量(10日分)しか補給品を積まずに飛行機が出てしまえば、大場さんのこの冒険は終わっていたのである。なぜなら、大場さんがいたのは北極点を越して片道1000km以上の場所だったたね、1回の補給に600万円以上かかってしまったからである。これが北極海横断成功への最初の綱渡りだった。
補給時に大場さんと会ったパイロットの話では、「大場さんは凍傷で鼻が片側プラプラしている」との事だった。それと「補給になぜ時間がかかるのか」と怒っていたと伝え聞いた。
これは大変だ!大場さんは過去3回の冒険ですでに、足の指10本と左手の指2本を無くしている。今回はさらに鼻をなくしてしまったのかと思い、ぞっとした。私は大場さんの鼻を心配しながらも今回の補給で使ってしまった、食料等の補充を手配し始めた。
・飛行機は一路北極へ
4月4日。私は補給用の食料その他をたずさえて、成田よりバンクーバーへ向かった。バンクーバーでカナダ入国手続きをすませ、エドモントンで一泊し、ここで別の飛行機に乗り換えた。エドモントンからはイエローナイフ、ケンブリッジベイを経由して民間航空路最終地レゾリュートベイへ向かった。レゾリュートはカナダ最北の村で、北極点までわずか1650kmである。一週間に一便のこの飛行機の後部には乗客は60人位が乗り、前半分に野菜やスノーモービル等の大型荷物が積み込まれる。
観光客が利用するのは少なく、生活便なのである、エドモントンから北へ向かう飛行機からの景色の変化は北極に近付いている事をひしひしと感じさせるものだった。エドモントンかで見えていた木々の緑色は、イエローナイフでは次第に雪の白色に支配されていき、ケンブリッジべイに着いた時には、白一色の世界だった。海も山もなにもかも真白である。
これより北のレゾリュートはどんな所なのだろう。不安は増すばかりだった。レゾリュートに近付くと、機内放送があり飛行機が降下し始めた。真白い平原の中に40~50軒の家が見え始め、その村のすぐ近くの飛行場に雪煙を上げて着陸した。ずっと飛行機から見ていたが、周辺数百km以内に人の住めそうな所はなかった。すごい所に来てしまった。これがレゾリュートに着いた第一印象だった。