2.蔡さんのふるさと泉州を訪ねる 1993年
泉州にある塔。「九十九の塔」のモデルになった
蔡さんが平に来る時、お土産に持ってくる烏龍茶「鉄観音」は最高にうまかった。それは、彼の生家のある福建省泉州市より車で2時間位のところにある安渓という地域で栽培されているというものだった。
沸騰したお湯で淹れる鉄観音のうまさは、言葉にできないほどの美味さがあつた。銀色の袋に包装された500グラムのお茶をもらうと本当にうれしかったものだ。友人・知人にも飲んでもらうと全員が「こんなにうまいものは飲んだことがない」という。これを飲んだら自販機で売っているのは飲めないと評する人もいた。皆の感想を聞いているうちにお茶の産地へ行ってみたくなった。
蔡さんにお茶の栽培地に行きたいことを話すと、現地での通訳を紹介してくれ又、実家へも寄ってくれるようにとの話になった。私の好奇心はいつも旺盛だった。お茶にも勿論興味があったが、もうひとつは蔡國強氏が生まれ育った海のシルクロードの始まりと言われる泉州市に行ってみたかったのだ。
香港経由でアモイまで飛行機で行き、アモイからバスに乗り2時間弱で泉州市に着く。町の中に入るとクラクションが鳴り響いているのにはびっくりした。町中の道路には人と自転車があふれ、自動車はクラクションでそれをかき分けるように鳴らしっぱなしで進んで行くのである。このクラクションの音は夜9時まで鳴り響き、朝は生活が始まると同時に鳴り始まるのだった。
ホテルに落ち着き、翌日蔡さんの実家を訪問。ホテルからそんなに遠くない距離なのでのんびり歩いて行くと、レンガと石で積まれた塀の美しさに気をひかれた。泉州の古い町並みには、木と石とレンガがバランスよく使われ、きれいだった。
泉州の町並み
大きい通りから入った小さい路地の奥に蔡さんの実家があった。レンガの塀で家は囲まれ、木のドアを開くと石張の中庭があった。庭の端のほうに高さ40cm程の井戸があり、きれいな水が満々としていた。蔡さんのお父さんは、長いこと書道の仕事に携わっており、毎日練習を欠かさないと言った。紙を無駄にしたくないので、壁や床を使って練習するという。小さい文字は筆に水をつけ、大きい文字はぼろきれに水をつけて一気に字を書いて見せてくれた。本当に字を書くのが好きなことが伝わってきた。
蔡さんのおばあさんはとても元気で、牛肉の団子が入ったスープを作ってくれ、たくさん食べろと何度も勧めてくれる。壁を見上げると1枚の絵が目に留まった。4人がいろいろな方向を向いている絵だ。後で蔡さんに聞いて分かったことだが、自分の人生の進路に迷っている頃に書いた絵だそうで、タイトルは「どこに行っていいか分からない自分」だった。
その絵を見て、いつも目標と行動によどみのない蔡さんに、そんな時代があったというのが感じられ、私はうれしくなったのを記憶している。
蔡さんの実家・門から中庭を見る
中庭にある井戸
蔡さんの父。壁を使って字の練習をする
蔡さんの実家は、庭の隅にある花壇の花や、石の床等にも手が行き届いており、気持ちよい環境だった。蔡さんが育った泉州の町や家、そして家族の人々を知った事で、蔡 國強の心の一部を見たような気持ちになった。
蔡さんの家族と
左から蔡氏の奥さんの妹・お父さん・おばあちゃん・私
実家に飾られた蔡氏の作品
「どこに行っていいかわからない自分」
訪れた茶畑
茶の葉
数日後、通訳同行で乗用車を貸し切り、安渓へ茶畑を見に出かける事になった。安渓へ行くのは大変だった。いろいろ手続きが必要だった。泉州で運転手と私と通訳の3人が乗った車が安渓の町へ着くと、まず市の職員が2人乗り込んだ。村に着くとまた村の役人が2人乗り込み、現地へは7人で着いた。川の両側にある烏龍茶の茶畑は、ほとんど外国人が行くことがない場所らしかった。
山の中腹にあるお茶の製造工場に着いてすぐ聞かれたのは、「日本からお茶畑を買いにきたのですか?」だった。びっくりして否定した。彼らにとってわざわざ日本からお茶の畑を見に来ることは信じられなかったのかもしれない。工場といっても、モーターで廻る大きな乾燥機があるくらいで、ほとんど手作業で烏龍茶が作られていると説明を受けた。
説明の後、事務所でお茶をごちそうになる。いつも蔡さんがお土産に持ってきてくれるのもうまかったが、そこで飲まされた「鉄観音」は、それよりも香りがあり味もよかった。美味しいものにはきりがないという気持ちになる。私が欲しいというと、そのお茶は予約ですでに残っておらず、ほんの少量分けて貰う事になる。お茶を入れる袋もなく、ビニールに入ったお茶は宝物だった。ここまで来るのに泉州から3時間ちょっと、また帰るのに3時間、その苦労に見合うくらい美味しいお茶を手に入れることができ満足だった。
泉州市は昔、海のシルクロードの基点になっており、江戸時代に日本からもたくさん訪問した記録があった。町中を歩くと「あれっ」と思うほど、日本人のような顔をした人に出会った。祖先は日本人かもしれないと思いを巡らすのに十分だった。
宗教もキリスト教あり、回教あり、仏教ありといろいろな国の文化が入って育った事を聞かされた。同じ家庭で違う宗教を信仰していても、問題はないとの説明を受け、泉州の人々の気持ちの大らかさを感じた。
滞在期間は短かったが、必ずまた訪問したくなる蔡國強氏のふるさと「泉州市」だった。