3.いのちを預かる契約書
・4度目の失敗は?
北極行きを引き受けて1ヶ月後、山形で大場さんの支援パーティが開かれた。丁度、仕事で山形へ行ってたので、大場さんに会い、補給について打ち合わせをする予定を組んだ。パーティ会場へ行く車の中、大場さんがポツンと話し始めた。
「今まで3回失敗して4回目も失敗したら、世の中の人は俺を相手にしてくれないでしょうね」と弱気の言葉を吐いた。私は、やはり大場さんも不安になったりするのかなと思い、こう答えた。
「そんな事はないでしょう。私が大場さんを応援したくなったのは、3回失敗してもあきらめない気持ちに感動したので、4回目失敗しても精一杯やっていればまた、そんな人が増えるから大丈夫ですよ。もっと増えるかもしれませんよ。」
大場さんは「そうですか?」と言い、いくらか気持ちが楽になったようだった。
大場さんがロシアに出発するまであと3ヶ月という時期だったが、横断に必要な金額は2000万円以上なのに、まだ300万円位しか集まっていなかった。
私が「大丈夫ですか」と聞くと、大場さんは「なんとかなりますよ」と言い切った。
・代理人になって下さい
北極海単独徒歩横断のチャレンジに向けて大場さんがロシアに出発する日を明日に控え、関係者が成田のホテルに集まった。事務局を預かる明大生の村田君、会計をまかされたデジタルハウスの斉藤さん、光文社の山本さん、凸版印刷の佐々木さん…。私にとっては大場さん以外、初めて会うメンバーだった。
この時までに大場さんが準備した、北極点へ届ける荷物は、私の会社へ届いていた。しかし、それ以外の情報はほとんどなく、大場さんへ頼んでいた補給リストもこの日にようやく手に入った。出発前にいろいろ聞いておかなければという思いであせっていた。
私が「もし大場さんが用意した特殊なカロリーの高い食料『ぺミカン』がなくなったらどんな物を用意しますか?」と聞くと、大場さんは「レゾリュートには、一軒だけコープ(生協)があるのでそこでカロリーの高い物を集めてもらえれば大丈夫です」といたってのん気な様子だった。
又、連絡用の無線機がないので自分の位置を知らせるのはアルゴスのみ。「アルゴスが故障したらどうしますか?」と聞くと「その時は命にかかわるのだからイーパブ(緊急発信器)のスイッチを入れる事になる」という話も出た。これが後で大変な問題になるのだが、その時は何も知らないので、「ああそういうものか」と考えていた。
その後スタッフの中から、「大場さんは連絡用の無線機を持たないのだから最悪の場合の最終決断者を決めておこう」という話しになり、大場さんが私に「志賀さん、代理人になって下さい!」と言った。私は突然の依頼に、これは大変だなと直感した。
この時点では予算も十分でないし、冒険の全体像も十分つかんでないし、腹を据えて考えなくてはと思いながらも、数秒後には「分かりました」と答えていた。
急きょ作られた、代理人契約書にサインをした。これで補給機をいつ飛ばすか、残っているお金の使い道、冒険をやるか、やめるか、その他もろもろの事、すべて連絡のとれない大場さんに代わって決断していかなければならないのだ。
心の準備のない中、代理人を引き受ける決断は、後で考えると、大場さんが最初に北極に踏み出した気持ちとそんなに違わなかったのではないかと思われた。
その後、みんなで中華料理を食べた。明大生の村田君がメニューをオーダーし、出て来る料理を私と大場さんが同じ取り皿で食べていると、村田君にどんどん新しい皿を使っていいのですよ」と言われた。大場さんは私に「俺達、田舎者はもったいなくて、そんなに皿を汚せないよな」などと冗談を言って笑った。
大場さんは私に出発前の気持ちをこう言った。
「前回迄の3回と比べると出発時の緊張感が全く無くて、これでいいのかなと思ってしまいます。」
私は逆に、この日を境に大場さんが十分な力を発揮して、無事に帰って来るためには何が必要かを考え始めるのだった。
出発間際の大場さんに質問した。
「大場さん、準備した資金は冒険に全部使ってしまっていいですか? 帰ってきてから払わなければならない借金は無いですか?」
大場さんは「全部志賀さんにまかせます。借金はありません。帰って来て仕事がなければ、志賀さんの会社で働かせて下さい。」
こんなやりとりをして、ロシア出発を前に、お互いの気持ちを確認したのだった。