17.いわき・九十九の塔(1)「三丈の塔」から「九十九の塔へ」
「三丈の塔」いわき市立美術館、1994年
1994年、いわきの海岸に埋もれていた廃船は骨組みの部分を「龍骨」にはがされた側板や廃材は「三丈の塔」という新しい作品に姿を変えていわき市立美術館に展示された。その後、「三丈の塔」は東京都現代美術館をはじめ、世界各地の展覧会に出展され今、いわきにはない。そのことを蔡はずっと心の片隅に抱えていたらしい。
地平線プロジェクトを終えた後も、実行会を組織した私たちと蔡との交流が途絶えることはなかった。そしてその時々に彼の口から「『三丈の塔』に代わるものをまたいわきに作りたいですね」という言葉がもれることがあった。
この数年、蔡の活動は年間10本前後の展覧会を世界各地でこなす超過密ぶりである。世界中を飛び回っている彼にいわきでの制作活動が入る余地などありそうもなかった。ところがその過密スケジュールの隙間をなんとか調整して、2001年4月蔡國強は再びいわきを訪れた。
到着した夜、彼はいつものように筆ペンで「九十九の塔」の下地になる70枚ほどに及ぶ塔の素描を描き切り、翌日私たちと再会した。
interview:蔡「九十九の塔」を語る
塔はもともとお釈迦さまの教えを写した経典や記念となる大切なものを保存するためにつくられました。
やがて仏教はインドから中国に伝わり、気候風土の違いや人々の思いによってさまざまな形の塔が生まれました。党派また、それぞれの町のモニュメンタルな建造物として私たちの時代に引き継がれてきました。
以前、いわきの海岸に埋もれていた廃船から三丈の塔を作りましたが、今はいわきにはありません。今回、塔を作ることは以前いわき塔があったことにつながります。
九十九という数は無限の意味を持っています。百は完結し、九十九は永遠に続いていきます。新しい世紀の始まりに、九十九の塔を造ることになったのです。―――蔡との会話より