1ページをめくってみる楽しさ
万作です。季節は梅雨に入りまして、家にいようが鬱屈となりがちな日々を過ごしております。自室を改めて見ると本が実に多い。商業、同人に限らず結構な冊数があります。そろそろ棚を追加しないとやばそう。それでもやはり電子に手を出すのはなかなかできません。今回はそういうお話です。
なぜ自分は電子に切り替えないのか
紙媒体書籍がかさんでくると、普通は手持ちのスマホなりタブレットなんかに読みたいのを入れる「電子書籍」を利用するはずです。比較的多くの人が、たぶん。ただ自分はほぼ使ったことないです。というのも、電子になると全く読まなくなります。これは昔に経験しまして、スマホに或る電子版の小説を入れてたのですが、サラサラッとスクロールしてざっくりと読んだ後、一度も読まなくなりました。恐らく「いつでも読めるだろう」と後に回すのを繰り返した果てだろうと思います。いつも肌身離さず持っている媒体に入れたが故の事ですね。
逆に、自宅本棚に入れていた本は何度も読み返してます。夕食の後、暇な時、そういえばと思い返して手に取って読み始める。そういう癖みたいなものがついてしまってます。
「読む」という行為
昨今の電子書籍への潮流、街の本屋さんの在り方などなど、本を取り巻く環境が大きく変わる中、自分が紙そのものに固執する理由がもうひとつあります。「紙をめくるのが楽しい」のです。随分子供じみた......と思われても仕方がないのですが、もう少し具体的にはめくる音です。
シンとした静かな空間で、ペラリとページを移すのが、本の本たる性質の最たるものではないかと思います。何度読み返しても、めくる度に変わる情景がありありと浮かぶ、そういうのが楽しくて読んでいるようなものです。液晶画面をスライドさせるのとは少し違います。重くも無ければ軽くもない。うまい塩梅に重なった紙の層を、少しずつ崩していくような、そういう感覚です。
終わりに
電子でも紙でも、各々それぞれの良さがあり、短所もあります。既に場所を取りつつある自室がその証明です。しかし懲りもせず本は増えていくでしょう。
これはもう、ある種の病気のようなものかもしれませんが、おおよそ我が生涯、本というものは物理的に蓄積され、自らの知を育む糧になっていきます。うまく付き合う他はありません。そうして今日も、ふと手に取った蔵書の一冊を、自分は読み耽っていくのです。