平成7年1月17日生まれ
午前5時46分。
阪神淡路大震災が発生。
大きな揺れが街を襲い、人々は深い傷を負った。
その一時間後、香川県の病院で私は生まれた。
しかし、当時の記憶も無い私はその日に生まれた意味を意識することはなかった。
なんとなく、そういうことがあったんだと眺めていた。
でも、今年はなんだか一味違う。
阪神淡路大震災のことが妙に気になる。
深夜1時。
放映されていた特集番組を、生まれて初めて、自分の意思で、観ようと思って観た。
私の誕生日は、ただの「お誕生日」じゃなかった。
多くの人が亡くなり、苦しみ、悲しんだ日。
その日に生まれた私は、そんな出来事を想い起こさせる存在でもあった。
被害を受けたわけじゃないし、その出来事を眼にしたわけでもない。
けれど、生まれた時からずっと、阪神淡路大震災は私の一部だった。
子どもの頃、問題児だった私はその誕生日を理由に「沢山殺して生まれてきた奴はやっぱり頭がおかしい」と言われたことがある。
その台詞は、まぁ、色々と突っ込みどころはあるのだけれど、でも、結局はそういうことなんだと思った。
私のせいで震災が起きたと言われても否定出来ない。
そのくらい、私と事象は結び付いていたんだ。
そんな私が、僧侶という道を歩んでいる事実。
「なにかを託されたんじゃないか」
今年は、そんな想いが心から離れない、
この日この時に生まれたこと。
それなりの人生を歩み、いまこんな風に想っていること。
その全てが、何かに導かれてのことのように感じた。
私は生きることが苦手だし、やりたいことも別に無い。
けど、それでも、『平成7年1月17日にこの人が生まれて良かった』と想って貰えたら、そんな人になれたなら。
きっと、自利と利他は円満する。
生き辛くて、苦しくて、もう嫌だって逃げ出したくなる時もあるけれど、それでも最後は大団円が待っている。
お誕生日、ありがとう。
こんなに大きくなったよ。
ありがとう、だいすき。