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「梛(なぎ)」という木がある。
その葉は葉脈が縦に走り、引っ張っても切れにくく丈夫であることから「縁が切れない」「御縁を結ぶ」縁起の良い木であると重宝されてきた。
そんな梛の木を御神木とする神社が京都に在り、名を「元祇園梛神社」という。
この神社は全国的にも珍しく「元祇園梛神社」と「式内隼神社」という二つの本殿が境内に隣り合い建っている。
そんなおおらかさがなんだか好きで、数年前からお正月にはこの神社へ詣り「梛の実」というおみくじを買って帰るようになった。
梛の実は、丸い木の球におみくじが入っていて、その裏面は願い事が書けるようになっている。
そのまま神社へ奉納しても良いし、お守りとして身に付けるのも良いそうだ。
「お坊さんなのに神社へお詣りするの?」
梛の実をぶら下げていると、そんなことを聞かれることも多い。
私の属する「真宗(浄土真宗)」は、御守りやお札といった祈祷をしない宗派でもある。
「願う前に救われている」
(願いを叶えたいのであれば、仏に頼むのではなく自分が努力するべし)
という教えだからだ。
しかし、ここからは私の個人的解釈だが、敢えて勧めないだけで、御守りやお札・祈祷を否定しているわけでは無いと思う。
祈祷に頼り自身の努力を離れるのは良く無いが、それによって常に目標を意識したり気を付けることが出来るようになるのであれば、それは素晴らしいことだと思う。
幼稚園なんかて子ども達に交通安全のお守りを作らせ、両親にプレゼントすることに近いかも知れない。
健康も受験も、祈願は「神様に叶えて貰う」ではなく「願いが叶う」未来を想い描き、「そう在ろう」とする意識を覚えることが一番重要なのだ。
その意味で、私は今年も新年の「新たな御縁が楽しみで仕方ないルンルン気分」を保つべく梛の実と共にゆく。
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