ジャッジするのは、いけないこと?
バスに乗っていて、気がついた。
「あの靴は合わないな〜」と心の中でつぶやいてる私。
「またやってしまった!!批判する癖がどうも抜けない。どうして私はこうなんだー」と、自己批判をする。
そんなこと、ありませんか?
〝自己批判〟をするクセはどこから来ているのだろう?
ふとそう思った時に、私のタイムラインを振り返ってみたら
まずは、小さな時のことを思い出します。
『私が弱く産んでしまったから』
そう言っていた母のことを思い出します。
病弱だった私はすぐに寝込んでしまって、親戚にも心配されていました。
父も「あの子は大丈夫だろうか」と将来の私を心配する言葉。
何度もその言葉を聞くたびに、私は「自分が悪いんだ」とお布団の中で咳き込みながらも落ち込んでいました。
母は、私が中学生になった頃には開き直っていて
「自分の身体のこと自分でちゃんとしなさい」と言ってましたけど。
呪文のように繰り返される言葉。
もう誰も言っていないのに、私の脳裏に何度も映し出される言葉。
人格形成の時期、12〜15歳くらいまでに見聞きしたことは
大人になっても影響を受けることですが
〝批判〟すること、ジャッジすることで子供は善悪を確認していきます。
だから決して悪いことではありません。
例えば、「A子ちゃんのうちはおやつにケーキが出る。でもうちはおにぎり、羨ましいな〜」と誰かの言葉を模倣するかのように始まっても、次第に自分の考えのようになります。
しかし、本当にケーキが良かったのでしょうか?
少なくとも、私は甘いものがあまり好きではなかったのでおにぎりが良かったのです。
白米の甘味が好きでした。ちょっぴりしょっぱい味。
ミネラルが必要な私の身体には必要なおやつだったわけです。
そうやって、自分の世界を少しづつ広げていくのが〝批判=ジャッジ〟です。
私は、テレビ番組のスタイリストになりました。
衣装をコンセプトに合わせて選び、言葉を用いることなく
着用されるアナウンサーさんやタレントさんのイメージを創る仕事がファッションスタイリストです。
イメージ創りは、着用される方の好みではなく
「どのように魅せていくのか」というものです。
体型や雰囲気、番組の中でのポジション。
人に与える雰囲気を服装や色で表現してゆきます。
そのためには、〝批判=ジャッジ〟が必要です。
もちろん、自分の好みでも良くありませんので
世の中の人がどういう服装だとどのようにイメージを受け取るのか!?というニュートラルなセンスを必要とされます。
完璧なファッションセンスの場合もあれば、ちょっと外すことで好感度を得る場合もあります。
担当するタレントさんの体型や髪型、仕草、声のトーン、その元となる材料はいくつもあります。
ライティングや環境、セットなどを計算して用意するのが衣裳です。
モデルさんの場合は服に合わせてくれるのでやりやすいですが
タレントさんの場合は、そうはいきません。
だからこそ、ニュートラルに〝批判=ジャッジ〟する視点がとても重要なのです。
修行時代から数えると、その仕事を13年ほどしていましたので
自然と身についてしまった習慣。
誰に会って、どのようなストーリーがこの1人の人にこれから起こるのだろうか?
そういうことを考えながら、街ゆく人を見てしまうのです。
職業柄身についた癖。
私の〝批判=ジャッジ〟はそういうものです。
それまでに何をしていても「私が悪い」と思い込んでいましたが
それが十分な訓練となって、ファッションスタイリストとしてのセンスを身につけていました。
そう考えると、悪くないな。
と思えます。
善悪の場合もあれば
かっこいい!カッコ悪い!
誠実、いい加減、
様々な
2極の状況を見極めるのが〝批判=ジャッジ〟な訳です。
もし
自分の好みで相手に押し付けるのであれば
余計なお世話
でしかありませんが、必要なジャッジというものがあるのです。
「ひど〜い!」なんて女子の声も聞こえてくることがありますが
冷静に判断するとどちらかしかない時に、最善を選ぶためにも
ジャッジが必要な場面なんていくらもあります。
誰かを全否定するために〝批判=ジャッジ〟ではなく
選ぶための〝批判=ジャッジ〟であれば、それも善なのではないかと思います。
微妙な違いなように感じますが
そこに『真実』を見つけられるか!?ということではないでしょうか?
例えば、ぽっちゃりしている人に
フランス製の38サイズをピチピチで着せるよりも
ふわっとした身体のラインを表に出さない大きめのサイズを選んだ方がいいわけですから。
「ひど〜い!私が太っていると言うの?」と嘆く女子はタレントさんにはなれません。
そして「そうですよ」というスタイリストも向いていません。
ましてや、身体のラインがばっちり出てしまうピチピチの服を着せるなんてもっての外!
どちらがその人の美しさを引き出すかを提案できるのがスタイリストです。
そしてご本人に納得いくように誠実に説明するコミュニケーションも大切です。
いかに素敵なぽっちゃりさんに仕上げるのかが腕の見せ所なのですから。
そういう世界に居たことを振り返ると
私は自分の〝批判=ジャッジ〟する癖を肯定することができます。
人には、始めすごく悪い性格のように思える部分があります。
それに気がついたということは、次の成長の扉を開くお知らせですね。
どのような形であれ、培ってきた性質を完成形へと磨いていくことは可能です。