能登振り返りレポート(執筆中)

総体的な感想
大学が始めるスタディツアー:表面的。
学生が始めるスタディツアー:深層的。双方からの主体的なコミュニケーション。

今回の前提

10/2-10/3は大粒の雨だったため、泥かきボランティアはできなかった。10/3は県からもボランティア中止の連絡がきたため、泥かきボランティアではなく、代わりにサロンを実施することとなった。

能登エリアと金沢市は、皮肉的にも近い距離にあった。。穴水、輪島市、珠州市、それぞれの距離感を体感して、土地勘を高めることができた。
↪︎goodなポイントとして、土地勘が上がり、行く前よりも、ニュースを読み解けるようになった

総体的な感想
 NPO法人ETICが「経営者の右腕派遣を行っている」中間支援組織「のと復耕ラボ」に直接連絡を取り、能登へ伺った。能登の元気な状態を知らない、そこで暮らしをしていたイメージが湧かない、実際にボランティアに行って役に立つのか、本当に役に立てているのか、というモヤモヤを抱えて帰ってきた気がする。個人的に特別な想いがある八戸と比較すると、能登には「その町で暮らす人の顔が浮かぶ」経験がほぼない。そのため、平時で「その町で暮らす人」を知る事や、元気な町の状態を好きになる事が、災害時にいかに効果を発揮するかを体感することができた。

炊き出しサロンのボランティアに関して
炊き出しボランティアは、物理的に食べ物を提供だけでなく、住民へのヒアリングだけでは出てこない住民の不満や本音が聞き出せるニーズがある事を感じた。

※炊き出しサロン中に住民から聞いて興味深いと考えた話
地方自治体の長問題
 行政の腰が重い輪島氏とメディアの出方を知っている珠州市の違い。長によって、復旧や復興の進み方に差があること。。ボランティアへの頼みにくさ。行政の説明会が形式ばりすぎて、聞きたいことが聞けない、という住民の意見。
仮設住宅の住民の話
 6月から仮設住宅へ移動。浄水槽の匂い、新築の匂い。私たちは、古い家に住んでいたのに、、。地震で崩れた家の中に着物を広げる場所もない。

輪島市市街地視察での感想
被災した町の中で、復旧とこれまでの暮らしが並立して存在してる感じ。良くも悪くも、「一歩一歩のと」というフレーズがピッタリ。
-倒壊した建物とそうでない建物の差が激しい。雨が降っていたため、ボランティアが入っている様子は全く見えず、住民それぞれで泥のかき出しをやっているように見えた。

◆個人的なエピソード
個人的に1番印象的だったのは、輪島市内や珠洲市内だけでも建物の倒壊などの被災状況がまだらで、被災地の住民同士でも被災状況が全く異なることでした。それがやや残酷だと感じました。特に、建物の倒壊や家事で家族を亡くした住民のメンタルに堪えるものがあるなぁ、、と。東日本大震災はある意味「わかりやすく」沿岸地域が被災したため、「みんな辛い。みんな流された。だから皆んな手を取り合って頑張ろう」という文化を作れたけども、能登はその文化醸成が難しそうだと感じました。

◆番外編
このフィードバックを同じ祭りを見つめている「祭り先駆者」と話してみた結果考えた事

>そうなのです!"one 能登"にはなれない。
集落ごと、持ち場持ち場で頑張るって結論に至ってしまう。
今年参加した能登の祭、去年と同等かそれ以上に盛り上がってた。
「能登」と括れるものでもないというか..,

まの)

被災状況をデジタルで可視化するというやり方もあると思うのですが、能登は範囲が広すぎる、且つ、範囲が広いから被災地が全て被災してる訳でもなく、集落も離れていて被災状況が分かりにくい。。

同じ町でも通りごとに被災状況が全く違うことに驚きました

まなぶん)
そうだね。その通り。

まの)

また、周りがほぼ山、且つ古い建物も多いので、老朽化で崩れたんじゃないかと思ってしまうほどです。それも能登の被災に共感者が増えない理由の一つなんじゃないかと思いました

まなぶん)

少なくと都市生活者にとって「身近」ではないよね.

都会から見た非日常性に惹かれて移り住む人もいたんだろうけど、それが今回崩れ去ってしまった.

確か地震で輪島から2-3割は二時避難して金沢付近に移り住んでて結果的に、皮肉なことに、それはとても合理的な判断だったかもしれない.

まの)

確かに今回の水害で苦しんでいる住民を実際に見ると、とても合理的な判断だと感じます.

今学さんと話していて、「移り変わる暮らし」みたいなことも考えた事を思い出しました.

まなぶん)

移り変わる暮らし?

まの)

はい。倒壊した建物も、水道のインフラも、世界農業遺産みたいなブランドも、言ってしまえば、人間が煽り高ぶって勝手に”作ったものですよね。

自然と共に生きてたつもりだったけど、自然に脅かされて初めて自然に生かされてたことや、自然と生きていく暮らしをしなくてはいけないことに気づく、みたいな地球全体が気づいて方向転換しなくてはいけないという事に気づくきっかけのような気もしていました。

苦境から這い上がる為に生まれた祭りも多くある中で、誰かが愛していた何かの役割が終わり、次世代が愛する新しい何かが始まる、、、のように事前によって暮らしが移り変わる事に少しでも寛容になれたら見方はまた変わってくるなぁ、とも感じました。

でもこんな無責任で許されない事を言えるのは、私が家族や友達を失っていない人であり、能登出身ではないからです。。

この気づきを外に出したら能登の人を傷つけてしまうので、noteには書かずにオフラインでの報告会にて早大生には話そうと思います。

まなぶん)

疲れてるのに丁寧にありがとう。とても共感します。
愛は本来的に湧いてくるものなのに、愛着からいつしか執着に変わる。そうなると老けてくよね。人も土地も。
新鮮さに敏感でいたいし、新鮮なものを心地良いと思えるようにしたいよね。移ろいゆく暮らし。
そういう気づきが得られただけで、まのの人生にとってとても大きな経験になったね。冒頭のボランティアが役に立ったのかどうかということよりも、その方が大切なんだと思う。

例え被害者/当事者であっても、おんなじ問いかけがあると思うし。アップデートという概念じゃなく、移っていくという言葉にしっくりきました。

目の前に広がる(広がってしまった)新しい景色を受け入れられるか、楽しもうと思えるか。その気持ちが「若さ」なのかもしれないなぁ。この間テーマになった。
しかし悲しいかなそれに直面してる殆どの方々が高齢者だということ。

最後に

愛は本来的に湧いてくるものなのに、愛着からいつしか執着に変わる。そうなると老けてく。人も土地も。

新鮮さに敏感でいたいし、新鮮なものを心地良いと思えるようにしたいよなあ、と。移ろいゆく暮らし。

そういう気づきが得られただけで、私の人生にとってとても大きな経験になったね。冒頭のボランティアが役に立ったのかどうかということよりも、その方が大切なんだと思う。

例え被害者/当事者であっても、おんなじ問いかけがあると思うし。アップデートという概念じゃなく、移っていくという言葉にしっくりきました。

目の前に広がる(広がってしまった)新しい景色を受け入れられるか、楽しもうと思えるか。その気持ちが「若さ」なのかもしれないなぁ。この間テーマになった。

しかし悲しいのは、それに直面してる殆どの方々が高齢者だということ。

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