義父と私 パート3
3月20日はなにもかも目まぐるしく過ぎた。
家に帰りたいと強く願っていた義父を一度家に連れて帰る事になったのだが、先に帰って義父の寝る部屋をしたくするのが私の役目だったのに
私より先に義父が帰宅した。
本当に早く帰りたくてたまらなかったんだね…。
そこから先は、過去に経験のしたことのないありとあらゆる出来事で
それをこなすのに懸命で、みんな呆然としつつこなすしかなかった。
あまり悲しみだけに心がフォーカスされなくて、いいのかもしれない。
義父の携帯の中に、前日母とやり取りしていた会話が録音されていた。
母はそれを何度も聞いて、私にも聞いてほしいと携帯を渡してきた。
連なる履歴。最後の発信履歴は、私の名前になっていた。
みんなそれはただの押し間違いとして、気にも留めなかった。
私のスマホをなんど確認しても、着信履歴に義父の名前はない。
ただの押し間違い、で済ましてもいい。
でも、私には、義父の意思がそれに込められてる気がしてならない。
実の息子でも、義母でもなく、私。
母さんを頼むよ。
息子を頼むよ。
店を頼むよ。
仕事してくれてる人たちを頼むよ。
悪かったね。
ありがとうね。
もっと、ちゃんと向き合って、話をしていたら。
私たち、もっと実りある会話をたくさん出来ていたかもしれませんよね。
お義父さん。
義父が死んでからの方が身近に感じて、義父が言ってそうな言葉がずっと頭に響く。
長男を心配していたり、義母を呼んでる声だったり。
そんな中、ネットで知り合って、一番つらい時期から私を見守り応援し励まし続けてくれた親友のなかっちから届いたライン。
本人の了解を得て、ここに一部紹介させて貰います。
「お義父さんのお陰で真乃っちの 打たれ強さや
我慢強さのレベルは 今や MAX!
もはやレベル上げの必要もない程に。
ありがとう お義父さん。
真乃っちをここまで鍛えてくれて。」
確かに、昔の私なら、メンタルとても弱くて少しの事で気落ちしていた。
今も、鋼の心とはけして言えないけれど
でも、少々の事はあまり心折れもせずこなせるようになった。
誰がなんと言おうと、私は私。言いたいなら言わせておこう。
そういう図太さは私をとても楽にしてくれている。
過去を振り返って、今の私を作ってくれたのは、育ててくれた母の存在は絶対だけど。
同じくらい大きな意味で、義父がいなかったら、今の私はいない。
そして、私は、今の私がとても好きだ。
初めてそう思えた。
葬儀場の控室に「ご自由にどうぞ」と書かれた折り紙があった。
小さな折り紙だったけど、裏に手紙を書いて鶴を折って入れる事にした。
「今生、お疲れさまでした。
不出来な嫁でごめんなさい。
もっとちゃんと向き合って、お腹の底から話し合えたらよかったと今強く思ってます。
おかあさんの事は、安心して任せて下さい。
おとうさんの元に送る日まで、お土産話を山ほど持たせます。
おとうさんに出来なかった分も」
義母も孫もみんなでそれぞれ折った折り紙の中に
黄緑色の私の鶴は紛れ込んだ。
きっと義父は読んでくれたと思う。
ごつい指で開いて読んでくれたでしょう。
葬儀の前の打ち合わせで、故人様に送りたい歌はありますか?
と聞かれた。
故人が特に好きで聴いていた歌は?
誰も無言だった。
私がお嫁に来た頃、車の中に置いていたCDが堀内孝雄で
なんどもなんども「愛しき日々」を聴いていた記憶があります。
と伝えると、義母が「糸」を聴かせたい、とリクエストした。
甥っ子が「おじいちゃん、野球男子だったから甲子園のテーマはどうかな」
そんな中、私の長男が私に視線を送った。
ああ、そうだね。リメンバーミー。
義父と長男を繋ぐ歌かもしれない。
義父はアニメ映画を見る人ではないから、見てもらえなかったけど。
魂になった今なら、その本意は伝わるかもしれない。
「リメンバーミー お別れだけど
リメンバーミー 忘れないで
たとえ離れても 心ひとつ
お前を想い 歌うこの歌」
葬儀は身内と親戚だけで執り行います、と遠慮させてもらった。
職場の人には、たった一人に連絡だけした。
フランチャイズなので、本部には知らせたのに、音沙汰はなく、花も弔電もなにも届かなかった。
土日だから?土曜が祝日だから?
義父が生涯費やして築いた終末がこれなのか、という虚しさは強く感じた。
つつがなく、ひっそりを式は進み、
お経が終わって、今からみんなでお花を手向けますよ、という瞬間
静かに流れたのが、リメンバーミーだった。
長男とのいきさつ、歌に込められた意味、すべて理解してる次男は真横で
号泣。私も泣いた。
花をそれぞれ棺に入れてる時、次男が「会社の人が来てくれてる」
と私に告げる。
ずっと義父が作った会社を共に作り上げてきてくれた、私より付き合いの長い人が3名、泣きながら花を入れてくれてた。
私は気づかなかったけど、次男が言うのは
元々穏やかで優しいいい顔の義父だったけど、
会社の人が来てくれた姿を見たからか、すごく笑って見えたそうだ。
そりゃそうだよね、うれしいよね・・。
出棺して、式場を後にするため外に出ると
冷たい風の吹く雨の中、10人ほどの職場の方が、ずらりと並んでいた。
連絡ついて都合のいい方は、飛んできてくださっていた。
すでに一線を退かれた方も来ていた。
私以上にすったもんだあって、義父と犬猿の仲の方も。
喧嘩もしつつ、一番古くから仕事してくれてる方も。
日が浅いけど、誰より会社に貢献してくれてる方も。
ありがたくてありがたくて、義父がどれほど喜んでいるだろうかと思うと、また涙が止まらなかった。
今日で、義父が他界して、ちょうど一週間になる。
まだ、義父母宅には、義父がいそうな気がしてる。
でも、立派な祭壇がおかれていて、大きかった義父の身体はちいさな箱になってる。
みんなであれこれ美味しい物を仏前にそなえて話しかける。
今はまだ気が張り詰めていて、誰もみな目の前の事をこなすのに懸命。
とくに義母はそこまで力を落としてはいない。
次男は、義母が義父の為にリクエストした「糸」を
弾き語り出来るように練習して聞かせたい、と計画している。
心配性の義父だけど、みんなそれぞれ、手の届く範囲、出来る事をこなします。
人生、雨の日風の日あるでしょう。
山あり谷ありが人生ですもんね。
でも、あなたが私にくれた耐久性いかして、
どんな時もなるべく笑ってふんばってやっていきます。
ハラハラもさせるでしょうが、どっかりと観戦していてください。
ここからは私たちの戦いです。
長文にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
追記
友好関係になってからの長男は、的確な義父の真意のメッセンジャーになってました。
義父は、自分が言いたい伝えたい気持ちと、口から出る言葉が、まったく違う事が多かったようです。
義父が他界してから、長男と話す会話のいくつか抜粋です。
「じいちゃんも、母ちゃんの事、わかりたいと思ってたんだよ」
「じいちゃん、母ちゃんが表面上だけで本当の母ちゃんを見せてくれないことを寂しく思ってんだよ。」
「じいちゃん、嫌われるのはとても悲しくてさみしい人だったよ。しょぼんってなる。」
義父母のめおと湯のみ