人の出会いと別れに思うこと 前編
私には一人、弟がいる。
血の繋がらない弟。
私が12歳、彼が4歳の時に家族になった。
私は父の連れ子で、弟は母の連れ子だった。
それまで親戚に預けられていた私には、家族ができた事が何より嬉しかったし、
弟は私にすごく懐いて、どこに行くのも着いてきた。
泣かせもしたけど、可愛い弟だった。
8歳も離れているから、当然私が先に大人になった。
独り立ちして家を出てからも、たまに帰省する時にはお小遣いをあげたりしていた。
そのうち弟も大人になり、子供の頃とはまた違う姉弟関係だった。
ちょっとした親友のような関係。
カラオケも行ったり家の中でできるバトミントンをしたり。
(部屋の隅にある紙袋に何個シャトルを入れられるかを競う)
真夜中までゲームして、二人で母にこっぴどく怒られたこともあった。
天の川が見えるほど空の綺麗な田舎の夜道、一人でジュースを買いに行くのがいやで、奢るからと連れて行ったこともある。
つまり、弟と私の関係は、今、子供たちと私の関係に似てる。
なので、結婚してからも、弟は愛車を走らせて隣県の我が家にもちょくちょくきた。
主人も弟をとても可愛がってくれた。3人で狭い道に迷い込み買ったばかりの弟の愛車を傷つけたら大変だ!と神経すり減らし、クタクタになったこともあった
私が母になり、弟に彼女ができ、会う機会は減った。
そのうち弟はできちゃった婚。
顔色変えたうちの両親。挨拶行くのにどうしたらいいと思う?と連絡が来たのが弟が24歳の時。
ところが、挨拶に来てほしくないと相手がたのお母さん。
女手ひとつで3人育て上げた方だけど、上の子供たちも結婚する時に、一度も相手の親と顔を合わせずに来たらしい。
姪っ子が生まれた病院で鉢合わせたのが「初めまして」
そしてそれが最初で最後のご対面。
それから、弟はだんだん離れていった。
結婚したらそんなものだよね、仕方ないよね、と言いつつ、母はとて
も寂しそうだった。
ある日、弟が「姉ちゃんに相談があるんじゃけど」と電話してきた。
自分の本当の父親が死んだという。
その知らせは半分血の繋がった一度もあった事がない姉からもらったという。
私の母は、未婚の母だった。
好きになった人の子供を身篭り、一人で産んで一人で育てた人だった。
認知だけして貰っていたので、弟の父親が他界した時に連絡が来たのだった。
弟は高校の時にそれを知った。
修学旅行で東京に行く際、母から「本当の父親に会いたいか?」と聞かれたらしい。
「今の父さんと姉ちゃんに満足してるから、会わなくていい」と答えた。
母さんには言わない方がいいと思うか?と聞かれ、そう思うよ、と答えたけど。
電話を切ってから、養育費も何も貰わず育てた母が何のために認知して貰ったのかと考えたら、こんな時の為ではないのか。
縁もゆかりもない私が知って、母が知らないのはよくない!と思い、弟に折り返し電話して、母に知らせるように告げた。
そこからどうしたのかは聞いていない。
その前からギクシャクしていたけど、だんだんと嫁ちゃんと母は溝が出来た。
気性がはっきりしてる嫁ちゃん。
嫌いとなったら、絶対に付き合いたくない!!!という性分。
未婚の母だったのが許せない訳ではないけど、母の事が大嫌いになった。
弟と甥っ子姪っ子だけが来てるときに「今日ママは?」と聞くと
「ママは、ばあちゃん嫌いだから来ないって」と答える姪っ子。
それでも、お盆とお正月に私たち一家が帰省する時は、必ず全員で来てくれて
子供たちも従兄弟と楽しく遊ぶ時間があった。
だけど、ある年から。
母に対してだけ、弟一家全員が、無視をするという状態になった。
突然にやってきて、母が慌てて用意した料理を食べて飲んで、それなのにいただきますもなければご馳走様も母に言わない。
わざと明るく振る舞って一方的に話す母が空回り。
私の主人が懸命に母の話を盛り上げて聞いてくれたけど、胃が痛くなる程の空気だった。
嫌いなのはいい、だけど、傷つけていいわけではない。
ましてや、こんないじめみたいなやり方を親が子供に見せて育てていいのか?
私はとても見ていられなかった。
でも、弟が板挟みになるだけだ。
私と弟が血が繋がらなくて仲がいいのを快く思っていない嫁ちゃん。
「よう君(弟)はシスコンだから」と何度も言われた。
私がいうべきではない。ますます嫁ちゃんが不愉快になるだけだ。
人の道をはずれた恋はしたけど、母は愛のかたまりのような人だ。
血の繋がらない私を分け隔てなく育て上げてくれた。
私にとっては、何にも変え難い母。
その後、母に、弟にきて欲しいのか、聞いてみた。
「嫁ちゃんが嫌なら来なくていい。私ももう疲れた」
どこに行っても、誰と会っても、人間関係で揉めることなどない母にとっては、円形脱毛症になるほどの悩みになっていた。
その日から、私からは弟に連絡をしたことはなかった。
一度父がくも膜下出血で倒れた時に連絡をしたけど、
誰もいない間にお見舞いに来て、サインだけして去っていった。
母が「少しだけでも来れないか」と言ったら「そんなことしたら俺離婚しないと行けない」と言われたと聞かされた。
痴呆ぎみの父のスマホを解約するまえ履歴をみたら、弟から時々連絡が来ていた。
私にとって母はかけがえない母のように、
血は繋がらなくても、父は弟をこれでもかと可愛がって育てていた。
弟の中に少しは家族を思う気持ちが残ってた、と思い、
父がボケてしまったことで、細い糸は切れた気がしてしかたなかった。
そうこうしてるうちに8年の月日が流れていた。
小学生だった姪っ子たちは、成人して社会人になっていた。