義父と私 パート2
昼までは元気でいた義父。
昼食前に体を少し動かそう、と、廊下を往復して歩いていた際、
咳きこんでから苦しみだしたらしい。
義母に付き添われて救急車は家を後にした。
その後、肺に穴が開いて緊急手術となり、
義母が一旦荷物を作りに帰宅したのは夕方だった。
2~3週間は入院する事になったという。
義母も青白い顔をしていた。
昼食抜きで右往左往したのだから疲れたろう。
荷物が出来たら、私が車で病院に連れていく手筈になった。
丁寧な仕事は得意な義母。忘れ物がないようにかなり念入りに考え、
19時過ぎて届けに行った。
コロナ禍の影響で、身内でも部屋に入れない。
病院の方に荷物を預けるしかない。
義母が荷物の説明をしていると、わずか、3メートルも離れていない義父の部屋から、「退院する手配をしてちょうだい。家に帰るから」と訴えている義父の声が聞こえた。
昼間の苦しんでいた声は無く、いつもの調子に聞こえて、私は安心した。
義母も安堵の表情になった。
私の提案で、義母から義父の携帯に電話を掛けた。
ドアを隔てた3メートルの距離での会話。
帰宅したがる父をなだめ、「バックに手紙を入れてるから読んで」と義母。
昔の人には珍しく、ふたりは恋愛結婚。
それでも手紙を書くなんて、そうそうない事だったろう。
義父はおとなしく電話を切った。
時計は20時に近くなっていた。
入れ歯を持っていくのが遅くなったけど、お父さんはご飯を食べれたのかしら?
3週間もの間、手のかかる義父を預けるのは、義母も心配でたまらない様子だった。
駐車場まで歩いていると、義母の携帯がなり、義父。
「帰りたい」そればかりだった。
手術したから帰れないんよ。と義母は再び説得。
3週間もの間、義母と会わないと、義父はきっともっと痴呆が進んでしまうだろうな、と思ったが、駄々をこねてる元気が出てよかった!
と、私は単純にそう思った。手術も簡単に終わる位だし、命に別状はないと言われたんだもの。
私はここから翌朝まで、まったく、義父に何が起きてるかは知らずに過ごす。
23時過ぎて、義父から義母の携帯に再びかかる。
痛い、苦しい、息ができない、という義父。
義母はナースコールをするように伝える。
そこから一時間以上、携帯を切る事無く、義母は義父が苦しむ声と病院の方々のやり取りを聞き続けた。
(なぜか、このやり取りは、義父の携帯に録音されている。)
そばにいても何もできないが、電話越しに苦しむ様子を聞くしかできない義母も本当につらかったろうと思う。
寝てしまうと煩わしくなって酸素をもぎ取ってしまう義父なので辛いのだと判断した義母は、病院に直接電話をして、どうかこまめに義父の様子を見てほしいと頼み込んだ。
明けて翌日。
ここからは、もう、病院の方の言われる義父しかわからない。
朝は元気だったという。
気が付いたら、ベットから落ちて意識がなくなっていたらしい。
10時前に義母に電話があり、夫と義母が駆け付けた時は、心臓マッサージを受けて30分が経過したと言われた。
それでも無理を言ってしばらく続けてもらったが、もうこれ以上は無理、と断念するしかなかった。
私は、やらねばならない仕事を済ませ、夫に電話をかけ、訃報を聞いた。
遠方にいた長男に知らせ、まだ寝ていた次男を叩き起こし、病院へ走った。
次男は、救急車に乗る前になぜいかなかったのかと泣き、義父を想い泣き、義母と夫の気持ちを想って泣いた。
日のさす廊下にポツンと座る夫と義母。
義母は私を見るなり崩れ落ちて泣いた。
夫も言葉なく泣いた。
あのお義父さんが、まさか、そんな簡単に死んでしまうものだろうか?私は、ずっと半信半疑でいた。今もそうかもしれない。
病院の方は、原因ははっきりと特定は出来ないが、解剖しますか?
と尋ねられたが、ご遠慮した。
昨日持ってきた荷物を受け取る。
義母は茫然としていて、私に話しかけてくる病院の方々とのやり取りも、頭が混乱していて、認識するのに時間がかかる。
「亡くなった時に下着とズボンが汚れていて、私がざっと水洗いしてますが、大も小も出ていたので」と洗濯されて濡れたパジャマとパンツを袋に入れたものを渡されても、ただ、受け取っただけ。
次男が横でそれを聞いていた。
帰りたくて帰りたくて仕方なかった義父は、丸1日も義母と離れていられなくて、こんな形で帰ってきた。
遠方にいた長男が、雨にずぶ濡れで病院に駆けつけたけど、
「おう!来たか!」と起きる事もない義父。
穏やかに眠るように、死んだとは思えないいい顔で黙って目をつむっている。
前日の夕飯は入れ歯が間に合わなくてきっと食べずに寝たのだと思う。
朝ごはんも、入れ歯がわからなったんだと思う。口の中には入れ歯なかった。
でも、おなかすいてるから食べたんだね。
それで、詰まって死んでしまったんじゃないか、というのが、
落ち着いてから、次男と長男が考えて、夫も納得した結末。
でも、それは義母にも、義兄一家にも言わずにいる。
誰を責める事も出来ない結果だから。
痛いのが苦手な義父。
どんな出来事も、一人で出来ない人で、たとえ庭の剪定するのでも、必ず横に義母にいてもらいたがった。
だから前夜の義母との一時間の電話も、義父の最後の戦いをそばにいてほしくて起こったことなんだろうと思う。
なのに、最後の最後に、苦しく一人ぼっちで旅立たないと行けなかったこと。
これが私には悲しくてやりきれない。
自分が、人を寄せ付けない事をしてしまって孤独な時間が長かったけど。
最後くらい、一人ぼっちじゃなく、逝かせてあげたかった。
寂しがりで、かまってちゃんで、尊敬してほしいのに上手にできなくて、
しょんぼりして見える背中が脳裏に浮かんで、仕方ない。
コロナの影響で、会いたくても叶わなかった義兄一家もかけつけて、
お葬式が執り行われたのだけど、その話は、また続きにします。