人生をとおしてオポジションの両方の視点を学ぶ①〜演奏家として〜
オポジションという配置を太陽や月に持っていると、「人からどう見えるか」ということを通して、自分視点と、反対側(人)から見た視点との両方を人生の中で意識させられるのではないかとおもいます。
正反対の位置からもう片方を見つめるような経験を通して、自分の中に双方の視点を身につけていくような感覚です。
私は太陽ー冥王星のオポジション、
月ー天王星のオポジションを持っています。
どれがどちらの体感か、までは掘り下げられていないのですが、ざっくりと「オポジション」というものの体感や、人生にどんな事象が起こり、どのようにして学んできたのかについて書いてみたいと思います。
特に無意識の領域の強かった、若い頃は(記憶にあるのは高校生くらいまででしょうか)
「人から見られている気がする」という、強迫観念は、とても強かったように思います。
たとえば、ちょっと飲食店に入って何かを食べるとき、誰も見ていないのに、周りのお客さんや店員さんから見られている気がして落ち着かないんです。
お店に入り、上着を脱ぎ、椅子をひき、鞄を椅子にかけ、座り、メニュー表をとる・・・
その一挙手一投足を人から見張られているような、そんな気持ちになって、しまいにはカーッと頭に血が上り、顔が真っ赤になってしまうような、そんな感覚です。
実際には誰も見ていないのに、そんな気がして、自分の行動すべてが「大丈夫か」気になってしまう、そんな感覚です。
そういう「人から見られている」という経験は、前述のような「そんな気がする」というものだけでなく、実際の経験しても多くありました。
小学校から東京の私立の学校に通った私は、制服を着て、電車に乗って通学をしていました。東京にお住まいの方はすぐに想像がつくと思いますが、朝のラッシュの通勤電車に、背の低い小学生が制服を着て、ランドセルを背負って、大人たちに紛れて通学するんです。
制服をきているのでどこの学校か、わかる人にはわかるし、学校でも「あなたたちの通学時の素行は大人たちに見られているし、お叱りのお電話が入ることもあるから気をつけるように」と、日々注意を受けて6年間を過ごしたものです。
「見張られている」ような緊張状態は、小学校だけではありません。
私は3歳からピアノを初めて、幼少期から発表会で人前で演奏する、という経験を重ねていきました。
音楽高校に進むと、人前で演奏する、という機会はぐんと増え、その経験は演奏家として、30歳になるまで続きます。
時には800席満席のお客様の前で1人演奏する、という経験もあります。人前で演奏するというのは、多くの目が同時に自分1人に集中する、という、強烈な体験です。
いやでも、そのエネルギーに負けないような自分、が育っていくような経験となります。
そのような経験が増えた高校生頃から、外で1人で食事をしたりするときに、頭に血がのぼるようなことは、なくなっていきましたね。
「他者からどう見られるか」ということのエネルギーに負けないくらいに、「自分は自分の目の前の世界をどう見るのか」という太陽側の視点の大切さを徐々に学んでいったように思います。
オポジションの学びは、「2つの、遠い、別世界」を移るような、渡るような経験からも学んでいると感じています。
その話は次のポストにて!
沙紬