日本人て何なのか〜炭はたしかにすごいけどそれ以前にまずは自分〜
新米食べようの会の翌週、わたしはまた水戸にいて、炭の粉で真っ黒になっていました。
炭埋という方法で本格土壌改良をやりました。
もうね・・・めちゃくちゃ大変でした。
しかしわたしはこの日、人生の最高の夢が一つ叶ったので、やはり宝物のような1日として一生胸に刻んでいきたいと思っています。
さて、まあだいたい飯村さんちでは食べて飲んで笑ってます。
この日もお友達と前日から宿泊して、着くなり風呂に入り(ルールその1。先に風呂はすませて寝るだけの状態にする)、あとはドンチャン騒ぎをしていました。
この日は笠間のかもすさんから大橋さんというお友達も来て、ワインとかハムとか地酒とか持ってきてくれて、すごい楽しかったです。
ちなみに全員「大橋さんも炭埋手伝いに来たんだろう」と思ってたのに翌朝ふつうに帰って驚愕しました、本当にただ単に飲みに来ただけという、それがまた大橋さんらしいというか、帰るのかよwwと思って爆笑でした。
さて、翌朝さっそく作業開始です。
ところでさすがに炭埋は男子の力がいる、と思ったので、研究所時代のスタッフ仲間でもある友人に来てもらいました。
とっても助かりました。
男の人の力とかはやっぱり、ひたすらに尊敬です。
男女の性差問題はいままた社会で重要視されてますが、どんなことも良いところを良い目的で正確に使えばいいだけのことだと思います。
とはいえ初めてのことなので、ひとつめの穴をやるのがいちばん大変でした。
しかし楽しかったです。
これまで2年近く宮嶋さんの講義を聞いて、炭埋は電子の流れ云々という理論を勉強しては来ましたが、実際やってみたらそんなことより土が重たいとか、穴が丸くならないとか、困難の連続で、でもその困難を工夫するのがいちいち楽しかったです。
子どもの砂場遊びと同じです。
大人なのでスコップがユンボに進化してるだけで、つまり子どもの遊びの100倍楽しい穴掘りをやってるわけです。
大人になっても全然遊べるじゃんと、キャッキャしながらやっていると、いつのまにか知らない人が至近距離で見学してて、さらに勝手に参加し始めて、マジで公園の砂遊びと同じでした。
「これ何やってるの?」
「土壌改良です!!(誰?!)」
それ以上の説明はいらないわけです、楽しそうにやってるのを見かけて何となく惹かれてきたなら共鳴してるということなので、しかも本人がやりたいならウェルカムですだって、炭の袋とかめっちゃ重たいのに、やってくれんのラッキー!!て感じです。
ハウスの間はせまくてどうなることかと思いましたが、たった半日でコツをつかんだ飯村さんがすごい上手に旋回して、なんとかこの日は計画の半分まで炭埋の穴を完成することができました。
疲れたけど、楽しかった!!
楽しいってすごい大事だね、とみんなで語り合いました。
新米食べようの会でも思いましたが、法則とか炭とかよりも、「全体のために良いことしよう」と目的意識をひとつにした人が自然に集まって、楽しくやるってことが一番大事です。
だから大橋さんみたいに飲んで帰るだけの人や、あの誰だか知らない人みたいにいきなり来て参加して帰っていく人もいるという、そしてそれに誰一人違和感もストレスもないという理想的な状況が生まれてくるようになるのだと思いました。
ちなみにマスクをしてても粉状の炭は隙間からガンガン入ってきて、顔が真っ黒になります。
しかも呼吸で生じる顔面の空気の流れにそって黒い跡をつけるので、ただ暗くなるんじゃなくて、なんか顔に筆ペンで劇画マンガの表情効果の線が描かれたみたいになるわけです。
ギャ〜!!と言ってるときの楳図かずおマンガのキャラの顔です。漂流教室の翔くんになるわけです。
なのに作業が終わった開放感からか、みささんは顔面のマスクをさっさと外して「楽しかった〜!!」と自転車をこぎだすのでわたしは農道で窒息するほど笑ってしまいました。
ニコニコしてる本人は自分の顔が見えてないけど、こっちは翔くんの顔面でチャリ漕いでる怪女と歩くわけで、オイまだ明るいけど近所の人とすれちがう危険性は考慮しなくていいのかとか、ほんとに毎回みさの天然には笑わせてもらってます。(みささんにはたくさんの伝説級爆笑エピソードがあります)
博士に出会ったばかりの頃、自分で何でも考えてやれ、何も聞くな、と言われ続けて、しかしわたしはどうしてもやりたいけどやり方がわからないことがあり、それで悩んでいました。
それは地球をきれいにしたい、ということだったのですが、特にわたしは311の福島の海、あの海の水を1リットルでもいいから元に戻せたら自分は死んでもいいとすら思っていました。
博士は実際に福島の土壌改良も水質改善もやった人で、こうして自分がやりたいことのやり方を知ってる人がすぐそばにいるのに、何も聞くな、考えてやれと言われていた自分は、やっぱり安易に聞くもんじゃないよなと考えて、質問は自粛していました。
でもあるとき博士に向かって「福島の海をきれいにしたいです」「地球のためになにかやりたいです」と思いきって言ったことがありました。
また「そんなのは自分でやり方を考えろ」と怒られると覚悟していましたが、そのときの博士はなんていうか、ちょっと優しい雰囲気でわたしのことをじっと見てから
「地球のためにやるんじゃないよ。自分のためにやるんだよ」
「自分のためにやるんだ」
とだけ言ってくれました。
わたしはその言葉がずっと胸に残っていました。
あれから5年経って、炭を埋めたわたしは、微力ではあるけれども確実に地球に良いことができました。
同時に博士が言っていた意味が本当に理解できて、つまり「何事も楽しくやらなかったら意味がない」ということなのだと思います。
楽しさとは快楽主義とは違います。
真剣そのものですが、自分の意思と工夫でやるから、前向きな楽しさが出てくるのです。
全体のために、と自分のために、が完全に重ならないと、意味がない。
あのとき博士はわたしの生真面目な願いをわかってくれた上で、しかし生真面目すぎるがゆえに犠牲的な気持ちや強迫観念になってしまっては目的意識から逸れるのだということをそっと教えてくれたんじゃないかと思いました。
ただ楽しく遊ぶかのように炭埋を終えたこの日、博士に胸を張って「できたよ!!」と言える気がして、それがわたしの夢の叶った瞬間でした。
炭は古くから人間の生活にあって、火を使うためだけではなく、縄文の縦穴式住居や奥州藤原氏のミイラの墓に使われていたりなど、何か空間を良い状態に維持する力を持つようです。
宮嶋さんは物理的な側面から電子の流れや太陽光などを交えて詳しく説明してくれてるのでここでは割愛しますが、つまり炭とはおまじない的なことではなく科学的に有用性があるわけです。
だから単に埋めればいいものでもなく、地形や地層まで考えてやる必要があり、素人が安易にできない条件がいろいろありますが、それはしかし考えてみたら当然のことで、そもそも人間にしても畑にしても千差万別個性があってあたりまえ、その個性に合わせて環境を整えようと思ったら炭のポジションだって毎回変わるわけです。
わたしはもう確信をもっていえることがあり、それは生命にもっとも必要なのは安心感だけです。
では安心感とはなにかというと、自分にとって自然か不自然かだけです。
自分にとって自然な人たちと、自然なタイミングで一緒にいる、自然に何かやる、すべての人間社会はそれだけで回ったほうがいいんじゃないか。
やはりどんな良い物を前にしても、やはり肝心なのは人の力、人の心だと思います。
わたしはほんとに、友人や仲間に恵まれました。
それもまた博士との出会いの延長にあったわけで、やはりあらためて感謝したいと思っています。
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