見出し画像

ペンチメント

ペンチメントという言葉がトレンドだったので調べてみたら、油絵の描き直しのことで、もともとは後悔という意味なのだそうです。

誰の人生にもあのときああしておけばよかった、という後悔があります。

でもそのときは辛くても、その体験が長い時を経て人生に渋みや甘美さを与えることにつながることもあります。

わたしには忘れられない人がいます。

彼の名前はまーちゃんといって、研究所にいたとき、わたしを妹か娘のように可愛がってくれた職人さんでした。

まーちゃんとは、たまにメッセージをやり取りしていました。

電気室でひとり孤独に過ごしていたわたしは、つまらなさがピークに達するといつもまーちゃんの作業場に行ってはとなりに座って、まーちゃんの仕事を眺めたり、おしゃべりをしては気持ちを和ませていました。

まーちゃんは忙しいのにも関わらず、いつも笑顔で迎えてくれました。

そしてわたしが何もできてないことを知りながら、決してそれを責めることなく、常に暖かく見守ってくれていました。

まーちゃんは、いくつくらいだったのかな。たぶん50代だったと思うけど、そういう情報にあまり興味がなかったので、よく知りません。

まーちゃんの本名も、じつはよく知りません。

まーちゃんだから、「ま」から始まる名前だとは思います。

わたしが研究所生活にも慣れ、すっかりまーちゃんに頼りきっていた頃、まーちゃんが突然倒れたと連絡があって、わたしは驚いてすぐにメールしました。

このときは心配したものの、まーちゃんそのうち元気になるだろうと大して気にしていませんでした。

でも、まーちゃんの具合はどんどん悪くなり、あっというまに別人のようにやせていきました。

わたしが思っているより状態は深刻なのだとわかっても、まーちゃんはきっと治ると信じていたので、普段通りに毎日まーちゃんの作業場に遊びに行ってました。

いま思えば相当具合が悪かったと思いますが、まーちゃんはいつだって、

「おう、マナちゃん来たか」

と笑顔で迎えてくれました。

わたしは本当はその笑顔を見て、まーちゃんは大丈夫なのだという安心がほしかったのだと思います。

まさかね、まーちゃんがいなくなるなんて、絶対ないと思っていました。

でもじょじょに、まーちゃんはお休みすることがふえてきました。

ある冬の夜、まーちゃんは自宅で倒れて、救急車で運ばれました。

そのまま入院となってしまったまーちゃん。

大丈夫、大丈夫。

まーちゃんのことだもの、きっと良くなって、退院する。

そう言い聞かせないと心臓がドキドキして涙が出ます、わたしは本当は心の奥で、まーちゃんの死期は近いと感じてたのに、大好きなまーちゃんがいなくなることがどうしても受け入れられなかったのでした。

あんなに普段、法則の話しを聞いてるのに、生も死もないと知ってるのに、自分が心から信頼して、ときには甘えられる大事な存在を失うのが嫌だったのでした。

まーちゃんの病院に何度もお見舞いにいきました。

すっかり弱って横になっているのに、わたしが行くと作業場にいたときと同じ笑顔で、

「よう、マナちゃん」

と迎えてくれるまーちゃんは、ほんとにやさしかったです。

自分の身体のつらさより、わたしを優先してくれるまーちゃんのそのやさしさに、わたしはまだ甘えていたかったのでした。

まーちゃんは手術することになりました。

最後の望みだったのに、結果はおもわしくありませんでした。

まーちゃんが初めて、ほんのすこしだけ弱さを見せた瞬間でした。

それからまーちゃんは意識を失うことが多くなり、メールの返事は返ってきませんでした。

わたしはそれでも、毎日メールしました。

最後に病室で会った時、まーちゃんは静かに眠っていました。

わたしが入ると、

「おうマナちゃん・・・来たか」

と弱々しいけど、やはり笑顔で迎えてくれました。

まーちゃんが、寒い、と言うのでお布団をかけようとしたら、布団は重いからいい、と断るので、かわりにタオルケットの中に手を入れて、まーちゃんの手を握りました。

「マナちゃんの手は、あったかいな」

と静かに目を閉じて、まーちゃんは眠りました。

病室ではがまんしていたわたしですが、帰り道には涙が止まらず、道端でたくさんの人とすれ違いながら普通にワンワン泣いて駅に向かい、電車のなかでもずっと涙と鼻水を出していました。

それから数日経って、まーちゃんが亡くなったと電話がきました。

わたしはそれでも信じられず、信じられないまま、喪服を着て斎場に行きました。

棺桶の中のまーちゃんは、不謹慎なくらい笑顔で、まーちゃんは最後までわたしに笑顔を見せてくれたなと思いました。

冒頭の写真は、まだ元気な頃のまーちゃんとドライブしたときに助手席から撮った写真です。

大好きなまーちゃんのとなりに座れて、とってもうれしかったです。

あるときまーちゃんが、病院のベッドで急に真剣な顔になって、

「マナちゃんはそのままでいい。そのままで大丈夫だからな」

と言ってくれたことがありました。

まーちゃんたら、遺言みたいなことやめてよ、と思いましたが、結局それがまーちゃんのわたしへの最後にして永遠のプレゼントになりました。

まーちゃん、見てる?

ごめんねこんなとこに書いちゃって。

まーちゃんとのメールも勝手に公開してごめんね、でも大事な思い出だからいまも消せないよ。

まーちゃんみたいなすごい人がいたって、一度でいいからどこかに書きたかったんです。きっとまーちゃんのことだから、

「オレのことなんて書いたってしょうがねえよ、でもまあ、いいよ」

と笑って許してくれると思います。

まーちゃん、とても男らしい人でした。

装置も飛行機も誰よりも上手く作ってたし、博士の言いたいことをいちばん理解して、博士のやりたいことをいちばん再現できていた人の一人だったと思います。

ペンチメント、は後悔という意味だけど、まーちゃんに対しての後悔は、あるといえばあります、それはまーちゃんが生きてたとき自分は何も結果を出せなかったことです。

あれから3年近く経って、ちょっとずつ自分の道を奮闘して、少しはまーちゃんに対して胸を張れることが増えてきました。

いまだに何かあるたび「見て!!まーちゃん」「こういうときはどうしたらいい?まーちゃん」と心で呼びかけます、でもまーちゃんにだって進む世界があるだろうから、あまりわたしがこっちから呼びかけてきっと反応してくれるであろうやさしいまーちゃんの足を引っ張ってもいけないかな、と反省してます。

死者との思い出は辛い時間を経て、自分を推進する勇気に変わることがあります。

肉体が無くなってもわたしを鼓舞してくれるのは、まーちゃんの生き方が、すばらしかったからに違いありません。

まーちゃんありがとう。

あれから夢には2回しか出てくれないから、ちょっとさみしいけど、まーちゃんの笑顔を思い出してがんばります。

まーちゃんほんとに、ありがとう。

#日記 #エッセイ #思い出 #ペンチメント #死 #ありがとう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?