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分断国家
もやがたちこめるソウルの夜明け。
高層ビルに太陽が反射してゲームの世界みたいです。
外国で家やマンションを見ると、この窓のひとつひとつに人が生きていて、人生があって、世界はなんて広くて地球にはなんてたくさんの人がいるのだろうとうれしいような、気が遠くなるような、そんな感じがします。
さて、韓国に行くならどうしても行ってみたいところがありました。
北緯38度線と呼ばれる韓国と北朝鮮の軍事境界線です。
わたしの祖母は戦争中に満州にいました。
敗戦で大混乱になり、おばあちゃんは二人の子供を連れてなんとか日本への帰還船に乗ることができましたが、そのとき助けてくれたのは中国の人といまの北朝鮮の人と韓国の人だったそうです。
80年前、たしかにおばあちゃんはこの38度線のどこかをこえてきて、そのおかげで帰国後にパパが生まれて、わたしもいます。
だから一度直接この目で見てみたいと思っていました。
そこは戦争の爪跡なまなましい鉄道や崩落した橋が残されていました。
新しい鉄橋は北朝鮮へと続いています、一時期は北朝鮮まで走っていたこともあったそうです。
北朝鮮と韓国はいまもまだ、いちおう朝鮮戦争の最中という設定で、軍事境界線をはさんで2キロの範囲はお互いに非武装地帯となっています。
そのエリアをDMZ(Demilitarized Zone)と言って、鉄道を模した展示のLED窓には世界中から平和とつながりを求めた画像が#loveforDMZのハッシュタグと共に寄せられていました。
日本ではDMZという単語すら知られてないし、そもそも北朝鮮と韓国が分断されたのは日露戦争までさかのぼった日本の半島支配というところからスタートしないと始まらない。
ガイドさんの説明でわたしもはじめてしることばかりでした。
慰安婦像もありました。
わたしは慰安婦像は肯定派です。
なぜなら事実だったに違いないと思うからです。
アウシュビッツのように、戦争での悲惨な体験は後世に戒めとして残し、定期的に負の遺産にふれて2度と繰り返さないよう反省するのはいまを生きる人類として当たり前のことです。
韓国の人はそれを子供の時に学び、日本人は一切何も知らないまま、大人になります。
そして前述のとおり韓国はまだ朝鮮戦争継続中なので、徴兵制度があるし、わたしたちのバスも軍事境界線に近づく時、バスの中に兵士が入ってきます。
前にヨルダンからイスラエルに向かった時も、同じように兵士がチェックしにきたことがありました。
でも中東と違って、韓国ではあまり緊迫感は無く、やはり韓国の空気感としては戦争なんてなるべくやらずに、穏便にひとつの国に戻りたいという本音を感じました。
そりゃそうです、中東のように数千年にわたる宗教と民族の対立があるわけでもないのに、どう考えても、ひとつの半島、ひとつの民族がいまだに分断されてるなんておかしな話しです。
20年くらい前は北朝鮮といえば恐ろしい国という雰囲気が強かったけど、実際来て鉄条網なんかをみると、中東のガチでおふざけは絶対禁止といった緊張感はほとんどなく、ただ便宜上そうしてるだけって感じがしました。
豚コレラが流行っていたおかげで急遽予定変更になり、ふだん観光客はほとんど来ないという江華島展望台に入ることができました。
ここは韓国国内に何ヶ所かある展望台のなかでも最も北朝鮮に近い場所だそうです。
この日はとても天気が良く、対岸の北朝鮮側がはっきりと見えました。
あそこが北朝鮮・・・
山並みが美しい場所です。
ますますなんでこんなにも長い間、分断されてるのかわかりません。
ビルの3階では、500ウォンでさらに望遠鏡をのぞくことができます。
同じ人間同士なのに、なんで対岸に渡ることもできず、望遠鏡でその生活をのぞかないといけないんだろう???
何もかもがシュール。
この強烈な違和感を抱きながら、北朝鮮へとレンズを向けることがとても大切な行為である気がしました。
北朝鮮側だって、毎日対岸から観光客がのぞいてることくらい知ってます。
だからいろいろとフェイクかもしれない、実際韓国に見せるため用の建物もあるそうです。
でもレンズの中にいたのは、ごく普通の人が歩くのどかな光景でした。
自転車に乗ってる人、白いガチョウの群れを追いかけてる人・・・
北朝鮮にだって当たり前のように、人がいて、ひとりひとりの人生がある。
なぜこれらの普通の光景を、金を払ってまで何キロも手前から望遠鏡で見なくてはならないのか。
不思議不思議、なんて不思議。
そしてこれこそがまさに分断国家のリアルです。
顔をあげればそこには、わたし同様「この状況はいったいなんなのだ」と思いながらも北朝鮮をガン見するたくさんの人々。
なんだかわたしは、統一は近いんじゃないかと思いました。
新しい世代は、老人たちが引き起こした重苦しい分離意識なんてとっくに超えています。
韓国の人が、暖かい日差しのなかで対岸の北朝鮮の美しい光景を、おそらくは複雑な想いを抱きつつも、ただじっと見つめている背中は、なんだか感動的でした。
同じ民族、いつか手に手を取れる日が来るまで、いつまでも待っているよと言ってるみたいでした。
そのときは心から祝福したいし、もしできればそこに、日本人のわたしも入れてもらえたら本当にうれしいです。
そして直接、昔わたしのおばあちゃんを助けてくれてありがとうと伝えたいです。