上書き
「この時期はコンタクト2日持たないな。目がゴロゴロする。」
誰かに答えを期待したわけではない不満の声は宙を漂い、慌ただしく化粧をする彼女の耳に届いた。
「メガネにすればいいのに。」
と彼女は答えるとでもなく鏡の中の自分に向かってつぶやく。
聞こえないふりをしてもよかったが、その声を拾って応える。
「メガネかけると鼻が痛くなって。」
「・・・」
彼女の興味は既に自分のまつ毛のカールに移っていた。
今は一心にまつ毛を反らせている。
鼻が痛くなるというのは私の彼女に対する優しい嘘だった。
メガネをかけても鼻が痛くなることはない。
本当はメガネは無いのだ。
正確に言うと彼女に捨てられたのだ。
しかし、当の本人は捨てたことなど忘れているようだ。
今はまつ毛の反り具合に満足した様子で身支度を整えている。
そのメガネは黒縁だった。
自分の趣味ではなかったが、似合うからと元カノにプレゼントされたものだった。
彼女にメガネのことを聞かれた時にそのことをつい言ってしまった。
数日後、いつも置いていた場所からメガネがなくなっていた。
彼女に聞いても知らないという。
それ以来、コンタクトレンズで過ごしてきた。
異物感のあるコンタクトレンズに目を瞬かせていると、不憫そうな顔をして彼女が私を見ていた。
「今度、一緒に買いに行こうね。」
「あぁ。。。」
「黒縁のメガネなんて似合うと思うな。じゃ、行ってきます。」
そう言い残して玄関を出て行った。
いいなと思ったら応援しよう!
田舎の経済を潤します。