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【ENTP】要らないものなんてあるのか?

ENTPの人を見てると、定期的に何か”存在”に対して絶望してるように見える

存在(Si)がどうのこうのは別記事で書いてるのでそっちで見てもらうとして、今それに当てはまる人は次の一言を聞いてどう思うだろう。

なんかまた色々やってるね。それは今要らないよ、優先度低いから。

俺はあんまりこうゆう言い方が好きじゃない。ENTPのあなたはどうだろう?


ENTPは皆の仲介屋さん

俺が思うに、ENTPの人は実際の振る舞い以上に自信が無い人が多い様に見える。

俺の記事ではいつも、Tiは「自尊心に直結する」機能だよ、って言ってるのでそれを前提に話すと、ENTPが持つ社交的(Fe)で飽き性(Ne)な特徴がこの自尊心と有機的な関わり合いを持ってるように見える。

社交には会話はつきもので、ENTPの人は特におしゃべりを大切にしてるように思う。そもそも会話っていうのは、自分に修正の余地を設けている人以外上手に出来るもんじゃない

勿論、参加者が楽しんでいない会話なんて、例えひとりがペラペラと面白そうに話していても良い会話とは言わない。そこには合意がないから、一方にとって相手の内容は嘘に見える

当然、嘘を信じるわけにはいかないから、それじゃ会話をしている意味がない。だって、会話はお互いを確かめ合う事=自信を付け合うことだから。そしてENTPはとても正直だからこの点で会話と相性がいい。

会話によって他人を介し自分の中に知識同士の結びつきを構築していき、区切れが来たら別の話題に移ってこれを繰り返す。この様子は、何だかまるで「知識間を仲介」しているように見える。

この”知識間の仲介”によって、次第にENTPは人の心と繋がることを楽しく思うようになり、これが結果的に「あんな所にはね、こんな〇〇があって△△なんだよ、それだけじゃなくてね、、、」といった様に人と人を繋ぎ合わせる役割にもなっていく

これってよく考えたら、皆が知らなくて不安なこと(知識ひいては他人)の敷居を下げて、それぞれが手を取り合えるように仲介している不動産業者やファシリテータと同じだ。

この「自尊心」と「仲介」というのがENTPを考える上で重要だと俺は思っている。つまり、仲介できたら自尊心にポイントが加算されていく仕組みってこと。

少し前に"相手を理解する余白を設けてこそ会話が成立する"と言ったけど、ここで冒頭に書いたこの一文をもう一回見つめてみよう。

なんかまた色々やってるね。それは今要らないよ、優先度低いから。

相手を理解するために要らないものとは?

要らないって言葉、ENTPの人はきっと嫌いなんじゃないかな。

合理的に何かを話すときにはそう考えなければいけない時も当然あるけど、いざ自分が言われたら、まるで自分が要らないと言われているような気持ちにだってなると思う。だって、仲介を止めろって言われてるのと同じだから。

ただ、それで嫌な気持ちになるのはよして、在るものは在るのだから、それらが上手く結びつくように理解して広める。

もしそうだなって思うなら、あくまでもそれが自分の生きがいなんだなってたまに思い出してほしい。その世界の広さを生まれながらに大切に出来る姿勢が少なくとも俺は好きなので。

そもそも何かを仲介するってことは、お互いを理解できなきゃ叶わないことなんだから、色んなことに手を出すのは多分道理に適ってる

要らないだの止めろだの言う奴は放っといて、君は君らしく止まらずどんどん進めばいい〇

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