
心をなくしても、なくさなくても。
文章を書くというのも、簡単な世界ではない。どんな文章でも、書くことなら誰でも出来るというだけ、やっぱり心に響く何かを感じたりするものを文章にする人っていうのは特別な何かがあるのかもしれない。
前に、自分が書いた文章で、「誰かが少しでも気が楽になれば嬉しい・・・」なんて、言ったけど、やっぱり傲慢だったんだなぁって思った。特に、ここに自分が綴っていることは、私が書きたいから書いているだけで、それを誰かのために、なんていうのは後付けであって、押しつけがましい。
noteを初めてまだ3ヶ月ほど。まだまだ、文字というものを綴っていく世界においては、赤ちゃんみたいなもの。やっぱり、継続して力をつけて、文章というものを磨いていきたいなって思う。でもやっぱり一番大切なのは、正直に、継続していくことだと考えてるので、構える姿勢も辞めようと思う。
さて、ここ2ヶ月、リモートワークが継続して在宅勤務中だけど、コロナで自粛したこの時期には、たくさんの感情が表出した時期だった。自分のやりたいこととは何か?自分の弱さとは何か?強みは何か?これからどうするのか?目の前の仕事は忙しいと言いながらも、リモートワークのお陰で時間に余裕が出来て、こういうことを考える余白が、良くも悪くも頭と心に出来てしまった。こういう人は他にもいると思う。そして、価値観の見直しが始まるのだ。危機に直面したときこそ、人間の本性は出やすい・・・。コロナという危機の中、どのように考えて、どのように振る舞っていくのか、というのは、一人一人の価値観の上に成り立つ。ここで、日常では感じられなかった他人の一面が露わになったり。良い発見もあれば、ショックな発見もあったり。
敏感になってしまうのは、時に疲れる。心に余裕が出来てしまったから考えちゃうんだ、とのコメントをいただいたので、「心に出来た余裕」を意図的に埋めて過ごしていた。仕事に打ち込んだり、学会発表へ応募するための研究概要を書いたり(進行中)、本を読んだり。正直仕事と概要作成でほぼ連日時間は追われたので、頭から余白が徐々に消えていった気がする。忙しいって言うのは、「心をなくす」というけれど、本当にその通りだと思った。悪い意味で、よく「忙しくても心はなくさず」、っていうけれど、嫌なことを振り払える技でもあるので、忙しくすることも、たまにはありだなと、今回思った。仕事に疲れ、仕事に助けられる、という皮肉な構図が出来てしまったことにも失笑してしまったが・・・。
自分を救うように、生きている足跡を残すために、綴っていく。まだまだ赤ちゃんだけど、一歩一歩確実に、書き進めていきたい。心をなくしても、なくさなくても。
(おわり)
2020/6/12執筆