〜障害の告知(真面目編)〜

私が発達障害の告知を受けたのは28歳の4月の終わりでした。

主治医から「治療方針を立て直すため」とウェイスIIIの受験を勧められたのが切っ掛け。

受験前に「僕はあなたが発達障害だとは思っていない」との言葉を頂いて大船に乗った気持ちで受験したのですが、言葉とは裏腹な残酷な結果となりました。

4月下旬にしては鋭い日差しの差し込む午後の暑い診察室。

「広汎性発達障害と注意欠陥多動性障害です。」

噎せ返るような熱気、自分の右頬を差す日差し、汗ばむ身体、、、空気が凍り付いて呼吸ができなくなって、見慣れた主治医のグレーの七三分けの髪と気怠そうな垂れ目から目線を外すことが叶わなくなった。

その瞬間、時間が止まったと思った。

いや、止まっていたと思う。

ふと我に返って「注意欠陥多動性障害?私、多動はないですけど、、、」と聞き返した私に主治医は落ち着いた声で「脳内の多動ですね。」と返した。

診察室を後にしようとした瞬間

「あなたの、障害があなたの全てではなくあなたのほんの一部に過ぎません、それは覚えておいてください。」

主治医がそう私に話した。

その時の主治医のあの悲しそうな悔しそうな申し訳なさそうな表情は、一生自分の中から消えないであろう。


診察室のドアを閉めた瞬間に気が抜けてガクンと身体が傾きかけたその瞬間、診断前に簡単に解説をして下さった男性心理士が「終わりましたか?次、詳細あるのでこっち、、、」と私に絶望する隙を与えずに言葉を掛け、あっという間に面接室に誘って下さったのが本当に良かった。

面接室では彼から「あなたの特性や長所を最大限に活かして伸ばせる職が必ずあります!!」という大きな希望になる言葉と共に、今後の生活に於いてどのような対応や支援を受けるかという話、SSTの紹介なども受け、私は頭の中を整理するために自宅まで歩いて帰る道すがら、自暴自棄になって泣き叫んだりということもなく、ひたすら彼の「あなたの特性や長所を最大限に活かして伸ばせる職が必ずあります!!」という熱い言葉に大きな光を見出して「ここからどれだけのものを掴んで立ち上がってやろうか、、、」と考えながら、比較的冷静に家路に着くことができた。

人の熱い情熱と真っ直ぐな気持ちのこもった言葉というのは、ここまで人を助けるものなのか、、、そして、あの若い心理士はちょいちょい毛色が違うからどんな心理士なのかとても楽しみだ、、、と頭の片隅で考えながら。



〜補足〜

主治医は告知から一年後に病気療養に入り、詰所に通われるようになった際に「先生はきっとあの時のことを責めておられるでしょうけれど、先生は全く悪くないから。責めないで。私、そういうの嫌だしそれにあれは不可抗力、自然災害と全く同じだから。」と伝えました。

彼は困ったように「それは難しいですね」と仰っていましたが、私よりもきっと大きな苦しみを抱えていらしたと思います。

ド素人の私には医師の立場としての彼の心中を察することは出来ません。

しかし、今でも私には彼を責めることはできませんし、私の家族も同じ思いです。

どうか、一日も早く元気な姿を診察室で見せて下さいませ。










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