手を動かすな——続・編集後記

『Melt』編集部の学生がVol.2の制作を振り返る「続・編集後記」。本誌で書ききれなかったことや今改めて思うことをnoteに投稿します。

文:『Melt』編集部(佐藤タキタロウ)

正直言って「編集後記」として何かを記すほど、『Melt』Vol.2の編集作業に積極的に関わることができなかった。9月19日に『ジャンプ+』で公開された「地球リモコン」の執筆や教育実習など、色々な要因はあったのだが……ようするに、今回のVol.2刊行に際しては漫研立ち上げメンバー、和田、足立両名の尽力によるものが非常に大きい。無論Vol.2刊行は二人だけでなく、執筆者並びに編集メンバーの協力があって初めて実現したものだ。皆さんには感謝してもしきれない。

さて、Vol.2の序文で大いに述べられている事だが、我々漫研は、「コンテンツの批評的な読解とその言語化は創作の基礎である」、「知的創造のための自由な時間」は確保すべきだ、こういう考えを持って行動しているサークルである。

難しい言葉で言われてもピンとこない……そうお思いの多くの芸工大生読者のためにざっくりと述べよう。私は、芸工大における“先ずは手を動かして、その後から考えよう”的な

「手を動かす」至上主義を断固拒否する。


たとえ話をするなら、これを読んでいるあなたに「サイコロの絵」を描いてもらうとしよう。美しいサイコロの絵を描く上で、現在の芸工大ならまず「鉛筆を手に取る」ことが勧められるだろう。

しかし我々はこれを拒否する。

我々はサイコロの絵を描く前に、サイコロについて知る事を勧める。もしあなたが「サイコロの1の裏には6が、2の裏には5、3の裏に4が書かれていて、この法則はあらゆるサイコロに対して適応できる」という事を知らないのであれば、あなたは一度手を止め、サイコロについて学んでから絵を描き始めた方が美しいサイコロを描けるはずなのである。

これは他の場面でも応用できる。美術史、色彩学、目にする景色、友人との会話、そして普段読む漫画。「知的創造のための自由な時間」はつまり「手を止めた時間」の集合でしかない。そしてこれを侵すようなあらゆる指導を我々は拒否する。プロの舞台に立ったり、作品を大いに評価された学生ほど、むしろ「手を止める」ことへの恐怖を既に感じているだろう。その恐怖に打ち勝ち、気高く堕落する。或いは正しく堕落する方法を模索する。このことこそ、我々芸工大漫研の本懐だ。無論我々はあなたたちの愚かな邁進を否定しない。が「手を止める」ことにも技術が必要だ。ただコーヒーを口にするだけで成長する事はできない。では「手を止め」何をすると良いのか?

それは、コーヒーを飲みながら『Melt』Vol.2を読めば、自ずと答えが見えてくるはずだ。

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