目指してたのは何?
エロ漫画?<(´・ω・`)>知らんがな
描きたいもの描くだけじゃぃ!
誠に勝手な言い草だけど、今の自分がこうなんだから仕方がないw
子供の頃から漫画家になりたいと考えても行動に移す事は無かった。
「お前には無理」「どうやって食べていくの!?」
後は定番の説教と悪い環境に毒親がセットで大体の人が夢ややりたい事を諦めてきたんじゃないだろうか?
そんな生ける屍の自分が誕生していたとも気づかずに生き続け、最近になって憧れの漫画家さん達がTwitterで未だ前しかむいてないのを垣間見た時、幼少期に読んだ作品で価値観変わった事を思い出した。
今やらないと後悔する!!と「漫画家になります!」と宣言して直ぐに、コロナで生活費もギリギリ、バイトで時間も削られるとは思わなかった。この時は全世界がそうだったと思うけどな!
そんなの他の人だって条件は同じだ!!と自分を奮い立たせて描いても、話を仕上げても、違和感を拭えない何かがあった。
当初はそれをシナリオや設定不足だと認識して、シナリオを先に仕上げようとやっきになってやったが、描く事は1Pも進まない。
「表紙すらない。題名も決まってもないんだよな」
1人でどう頑張っても同時にはできない。んなこたぁわかってる!と描きたくて仕方ないシーンのシナリオをメモ書きにしたり設定を深めたりする日々を過ごした。
その間も、創作村では描き続けている人達が互いを認め合いながら前進を始めていて、自分も創作をしているのに遠くで見るようになっていった。
「描く」という事が出来てない自分に居場所はないと自分で自分を創作村から追いだし、創作村に行く事がなくなったバカだ。
達成感や次に繋がる情熱があるべき所に無いと、迷走しているのに気づけないまま、人は迷い道に自ら歩き出す。
5月から運よく自分を知る事ができ始め、漫画家になるより「楽しく描く事が好きなのだ」と認めるまで恥ずかしいやら悔しいやらで辛かった_| ̄|○
選べども選べども堂々巡りで損ばかりの誤作動する頭を変えるには、
人によって様々だが、環境を見直したり、要らないものを捨てたり、本当に欲しいモノだけを知る事から始めたりしないといけない。
新たな自分で歩き出す為に名前を変える事にした。
外野腕子から蓮華(れんか)に改名した。理由は蓮の花が好きというだけ。
天竺如意子(てんじくにょいこ)は如意棒で天竺に連れて行くという意味だろう、急に降りて来たw
目指しているものに、近づいている気はしている。
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