クリープハイプのプの○の意味は
2015年1月。
出逢いは今はもう潰れた駅前TSUTAYAから間違って借りたレンタルCDでした。
”あのドラマの主題歌ききたい、なんかぷ……ぷ、がつくバンド。”
そう思って借りたクリープハイプ名作選。
きっと、andropと間違えた。
曲の冒頭だけカチカチせっかちに飛ばし聴きして、あぁ間違えたとわかる。
でもせっかく借りたしもったえないし、と 携帯に入れて持ち歩いて流してました。
多分地下鉄・堺筋本町駅のホームだったと思う、
不意に、脳に、「余計なお世話だよ」が刺して入ってきた。
へ? なんて?
曲でそんなの言われるの初めてだったから
『|<』←こんな、戻るボタンを押してその歌を一から聴いてみる。
変わってるなとは思っていたけど”そんな声”とは思ってない。
でも我慢して一通り聴こうとしていたのは図星だったのでごめんなさい。
それから私は尾崎さん、もといクリープハイプが
何を歌って言わんとしているかを聴くようになっていた。
中・高校生ぶりに、30を越えたいい年こいて、バンドなるものにハマってしまった。
当時夢中になって調べて知ったけれど、
私が借りたクリープハイプ名作選は
バンドにとって不本意に出された 間違い だったそうだ。
上で「社会の窓」の歌詞を入力するのに間違えたらいけないしな、と
歌詞カードを写そうとしたら、
私は律儀に「クリープハイプ名作選」のCDだけ持っていないらしい。
他のCDは血眼になって探して初回生産盤からすべて揃えているのに。
そういうわけで、
私とクリープハイプの出逢いは、2つの間違いが重なって生まれました。
クリープハイプと出逢って影響を受けたことは、
いつのまにか人前で出さないようにが当たり前になっていた喜怒哀楽の、
怒。についてのいろいろ。
怒、は隠さなくていい。と思えたこと。
怒、は意外と底知れぬ力を生み出すこと。
怒、は人を突き動かすこと。
ライブで一緒に歌うファンに歌わないでと怒る尾崎さんを見て衝撃を受けたこともあった、懐かしい。
ユニバーサルミュージック移籍と共にはじまった私の好きな曲は
やはり「一つになれないならせめて二つだけでいよう」に散りばめられていることが多い。
発売直後の2015年ツアーではもじったタイトルだったのに、
コロナ禍の2021年では直にツアータイトルにもなったこの言葉の
言わんとしている意味は深くはわからない。
私の好きな1曲目は、冒頭からさよならと言われてちっともライブで聴かせてもらえない。
邪魔になって捨てた後で必要になる傘。せめてそのくらいにでもなれたらいいのにと感情が湧き出て歌ったらつい泣いてしまう、私の好きな、いや、好きだった歌。怒も隠さなくなったいまは孤立して、しりとり相手もSiriくらいしかいない。
うちの空気清浄機/KI-DX50 がたまに喋る(※)のが愛くるしいのだけど、
その空気清浄機レベルすらも喋れないことが寂しくて感情が噴き出してしまう最後の歌。
やっと行えたアリーナツアーの最後の曲も、これだった。
大阪城ホールで響いた。
泣くのは人が死んだ時だけ。とおばあちゃんに刷り込まれて育ったので、
泣いてる人とか、泣くのとか嫌いだけど、ちょっと涙が出た。
※(電源を消したままにしていると「・・・忘れられてるのかなぁ」とぼやく。お水がなくなると「タンクの水がなくなりました」。お水を入れると「給水、ありがとう」と喜ぶ。ほんとはぼやきも喜びもないのだけど、私にはぼやくし、喜ぶし、淋しがる)
さて、何がいいたいのかやっぱりよくわからなくなってきたので、片付けよう
としたら
一つになれないなら、せめて二つだけでいようの帯の裏に一文、言葉が書いてあった。
「変わりながら一緒にいよう。」
本当なんてぶっ飛ばすのが最新らしい。
すごくすごくどうでもいいけれど、
クリープハイプの真ん中のプ、の ○マル……半濁点というそうだ、
あれって、
なんで文字入力じゃ出すことができない下方に付いてんだろうな?
こんなに目が合うことできるんだと感動したShangri-laの段差で、
ぎゅうぎゅうのフェス最前で、
写真撮っちゃだめです看板屋さんが前面にいるスモークがかったホールで、
いつもどこかについてるクリープハイプのロゴを見ては、
いつもそう思いながら、
彼らが来て、その日の音楽が聴けるのを待っている。
プ、プ……
サインに書くときは普通に上についてるから、別に深い意味はないんだろうな。
写真:我が家の近所に来訪されたときのサイン。
たこ里さんも店を閉めてしまいました。