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子供の「側にいる大人」の大切さ

私自身が、自分の家事育児に価値を見出していなかった話。なんなら今も価値を見出している途中。

当たり前のことをしている

家事育児は、人が生活していく上で"当たり前の事"だとずっと思っていた。その認識のまま子育てをした。

それは自分の仕事に生産性とやりがいが見出せない事に等しい。

誰も評価してくれない。給料や昇格などの目に見えるものが無いから、自分に価値を見出しにくい。

本当は自分で自分に「よくやってる、えらい」って言い続けなければいけないんだ。でも私はそうじゃなかった。


働いている人に比べて、自分は楽をしている。

自分で産んだんだから、育てて当たり前。


そう思っていた。でも違う。


周りに頼った人にしかその価値は見出せない

周りに頼って始めて自分の時間ができて、自分が大変な仕事をしていたことに気づいた。

保育園にあずけるにしてもかなりの金額がかかる。時間をいただくことにはお金がかる。そして子供は思った以上に自分を必要としている。換えはきかない。


それを理解するまで、当事者である私にも時間がかかった。悲しいのは、私自身が私がやっている事を当たり前の事だと思い、自分の価値を下げていたこと。これじゃ、育児に前向きになれないよね。やる意味があると自分が思って初めてやる気が出る。やってる自分に自信が出る。


周りの人は、育児をやってる人の価値を認めてあげてほしい。

田舎では近所のおせっかいおばさんが、お母さんを労う言葉をかけてくれる。村感が嫌という人もいるけど、そういう「見てくれている感」て、子育てをしている人にとって大切な気がする。


―子供はある程度大きくなるまで、必ず大人が側にいないと育たない。そうじゃないと、事故が起こったり、心が育たない。

その「側にいる大人」の役割を貴方はしている。とっても大切な仕事で、やったことがない人がすぐできる事ではない。スキルもかなりいる。

その仕事はとても大変で、でも貴方だからできる。そしてそれをしている貴方はすごく素敵だと。だから心配せずに自信を持ちなさい。―


もし昔の私が居たら、

そう、今のおせっかいおばさんの私は言ってあげたい。

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