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他人の価値観を変えるより、自分の価値観を変える方が難しい

よく育児コラムとかで「少しくらい部屋が散らかってたっていい、自分を責めない!」的なことが書かれている。それを見て思ったこと。

ずっとなんかしっくりこないなあ…と思っていた

わたしも何かができなかったことに、目をつぶったことはある。たくさん。するとそのできなかったことが、ずっと脳裏から離れない=自分を責め続けてる。結局、そのことをやり終える、または解決するまで心は落ち着かない。

ダメな自分って思っている時点で、何かをやらずに終えることはできない」と思った。

人って、ダメな自分で居続けるのはしんどいと思う。ダメだと思うなら、動いて何かをやってしまった方が楽だ。でも何かをしないで終わらせることを終着点とするなら、ダメな自分を「良い自分」と捉えるようにしなければならない。でもそれって結構難しい。

潜在的な価値観

そもそも、子育てをし始めて「自分って本当にいいママだな」って思ったことって、あんまりない。でも、それって何でだろう?

逆に何がいいママなんだろうと考えてみると、自分の母親が浮かんだ。そうか、自分の母親データって、自分の親しかないから、知らず知らずの間に、自分の母親にしてもらったことが、善悪の基本になってる。実際、自分の母親にママ業について褒められると、すごく嬉しい。

そこで自分のママ業に対する価値観をできるだけあげてみた。

ごはんはきちんと手作り、子供が3歳までは専業主婦、旦那さんに家事はさせない…etc

うわあ、これ、わたしがしたいけどできないってやきもきしてるヤツやん…と思った。別に自分の母親にそうしろと言われたのではない。勝手に自分がそうあるべきと思っていた。そしてそれに苦しんでいた。

たくさんの価値観に触れること

だからって、明日からそれを気にせずに生きていこうと思っても、それも難しい。価値観って染みついていて、変えようと思ってすぐ変わるものでもない。現に昭和を生きた母に育てられたわたしが、令和の時代にかなり時代錯誤な価値観にとらわれている。最新の育児情報だってたくさん入ってくる環境にいるのに。

じゃあどうする?うーん、、、わたしはたくさんの人の価値観を聞こうと思った。子育てって、家庭によって価値観が全く違う。でもみんな、その中で同じ「子育て」をしている。テレビなどで情報を得るのはダメだと思う。実際にしている人の話を聞かないと現実味が帯びないし、感化されない。

子育てしていると、どうしても考えが凝り固まってしまう。たくさんの価値観を、自分がまずフラットに飲み込むことから始めないとね。



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