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神須屋通信 #09

ワクチン接種と東京五輪 

 7月の神須屋亭での出来事を振り返ると、まずはワクチン接種が第一の話題になるだろう。65歳以上の高齢者のワクチン接種は7月中に2度目も済ますことが政府の方針だったから、7月16日にやっと第一回目のファイザーワクチン接種を受けた私たち夫婦は、かなり世間から遅れたことになる。二度目の接種は8月初旬の予定だから、もちろんまだ免疫はできていない。だから、7月も、私たち夫婦は一度も大阪府外に出かけることなく、巣ごもり生活を続けた。なにしろ、大阪は蔓延防止等重点措置の下にあったから。そんな7月には、熱海で土石流が起こったり、大リーグで活躍する大谷選手がホームラン競争に出、オールスターゲームに史上初めて二刀流で出場したという事が大きな話題になった。まあ、大谷選手の場合は大騒ぎと言ってもよかった。テレビが生中継したくらい。大関から陥落して、一時は序二段にまで落ちていた照ノ富士が横綱に昇進したこととか、白鵬が永いブランクを経て復活優勝したことも7月の出来事だったのだが、こちらは影が薄かった。でも、感染症専門家や識者や一般市民らの、多くの開催反対あるいは延期論を乗り越えてというか無視して、23日に、予定通り、東京五輪が開会式を迎えたことが、後世に記録される、7月最大の出来事だったことは間違いないだろう。今回の「神須屋通信」は、この東京五輪について書くことにした。素人考えだから、間違ったことも書くと思うが、(大げさですが、)後世への一市民の記録として、現在の私の考えを正直に書いておく。 

 東京五輪については、私は招致の段階から反対論者だったから(大阪万博誘致についても反対。理由は、もう日本はこんな巨大イベントで国威を発揚したり経済を刺激したり、社会のインフラを整えたりする段階ではないし、これら国家的イベントには不明朗な金品の移動がつきものだから。でも、東京五輪も大阪万博も体験した私のような年寄りが、未来ある子供たちの体験の機会を奪うのは我が儘かなという思いもあった。)、昨年、新型コロナのせいで開催が一年延期になった時には、このまま中止にするか、どうしても開催したいならば、少なくとも、たぶんコロナ騒動が収束しているだろう、2年後に延期するべきだと思っていた。それが、当時の安倍晋三首相の判断(だと言われている)で1年延期になった。安倍首相の判断の根拠として、1年後にはワクチンが普及しているだろうということがあったようだ。一種の賭けである。でも、どこまでも強運な安部氏は、その賭けに勝ちそうになった。なぜなら、国産ワクチンではなく、ファイザーやモデルナやアストラゼネカなどの外国産ワクチンではあるが、コロナワクチンが奇跡的に間に合ってしまったからだ。そう、本来ならば間に合ったのだ。しかし、日本の硬直した行政機構が、この奇跡を台無しにした。無駄な国内治験のために、国内でのワクチン特例承認が遅れたのである。当然、接種開始も遅れた。この文章を書いている7月末の時点で、東京の感染者は1日4千人を越え、全国でも1万人を越えていて、またもや五輪中止論が力を増しているのだが、感染者の大半が20代、30代の若者であり、中等症・重症で入院するのは40代、50代が多い。つまり、かつては重症での入院や死者の大半を占めていた60歳以上の人たちが劇的に減少したのである。60代以上の高齢者に限り、ワクチン接種がかろうじて間に合った証拠だった。ワクチン接種の開始がもう少し早ければ、感染しても重症化しにくい20代、30代はともかくとして、今頃は40代、50代にもワクチン接種が完了していて、現時点における、医療崩壊の危険などなかったかもしれないのだ。このことについては、戦略的思考のできなかった政府や官僚とともに、国民に自粛を要請するしか能のなかった専門家たちにも大いに反省をうながしたいと思う。

 7月末の時点において、日本は金メダルラッシュに沸いていて、現在すでに、過去の金メダル数を越えた。その一方、先ほども書いたように、コロナ変異型ウイルスの猛威は底知れず、感染者数は今後どこまで増えるか予断を許さない。悪いニュースと良いニュースが同時にあれば、良いニュースを重視したいのが人情の常だ。感染者の増加と東京五輪開催に因果関係があることの証明は難しいと思うが、東京五輪の祝祭的な空気が、現時点における感染拡大に影響していることは否定できないと思う。東京五輪の中止を訴えた多くの人の心配が、残念ながら、今、現実になっている。でも、私自身は、今すぐ東京五輪を中止すべきだとは思わない。理由は、まがりなりにも、60代以上の世代のほとんどにワクチン接種が完了し、死者の数が減少していることだ。もともと日本は、ヨーロッパやアメリカに比べて一桁少ない感染者や死者だったのであり、今回のコロナ禍においては優等生の国だった。だからこそ、これだけ多数の国や地域から選手が東京に来てくれたのである。また、パラリンピックだけ中止すべきだという意見にも反対だ。それは差別だ。五輪とパラリンピックは一体であり、中止するなら両方を中止すべきだった。

 なお、東京五輪中止論についてもう少し書いておくと、ワクチン接種が遅れ、感染を抑えるためには人々の行動変容に頼るしかない日本の現状においては、東京五輪中止はショック療法としては意味があると思う。なぜなら、これまで日本で人々の行動を変容させてきたのは、政府の発令する緊急事態宣言ではなく、日々の、テレビのワイドショーなどの毎日の感染者数をセンセーショナルに伝える(よく言えば危機感を醸成する)煽り報道だったからだ。日本政府の政策は、昔から「空気」によって決定されることが多く、現在では、その「空気」をつくりだすのは、テレビのワイドショーなのである。東京五輪開幕以来、ワイドショーの内容はオリンピック礼賛一色になり、コロナ感染への注意喚起機能は大きく削がれることになった。私は、東京五輪の中止はたぶんないし、必要でもないと思う。理由はすでに述べたとおりだが、各ワイドショーが一斉に五輪中止を訴え始めたらどうなるか、ちょっと興味がなくはない。

 ちょっと、肩をいからせた、堅い文章になってしまった。一人で興奮しているようで、似合いませんね。力を抜きましょう。冒頭に、私はもともと東京五輪の開催に反対だったと書きました。反対なら見なければいいという意見がある。もっともです。でも、人間というものは、そうすっきりとはいかない。もともとは、サッカーと陸上男子の100×4リレーとマラソンだけをライブで見て、あとはハイライトをニュース番組で見ればいいと思っていたのだが、どのチャンネルを回しても五輪競技の中継をしている現状では、(NHKと民放が束になって、IOCに馬鹿高い放映権料を支払っているのだから、元を取らないとね。)ついつい目に入ってしまう。ソフトボールのあの感動的な金メダルのシーンなど、ついついライブで見てしまいました。そうそう、開会式も(各国の選手が入場するまでだけで、後はニュースで)生で見てしまった。なにしろ、前日までスキャンダルまみれだったので、どうなることかと好奇心を抑えきれなかったから。この開会式に関しては、当然ながら、さまざまな意見があったようだが、私の感想は、そんなに悪くなかったというものでした。もちろん、あのチャン・イーモウが演出した北京五輪の開会式などと比較すれば、実に貧寒としたショーでした。でも、このパンデミック下で派手な演出など出来ないではないか。一貫した思想や主張もストーリーもなかったのは事実だけれそ、まあ及第点だったと思う。聖火ランナーに王さんや長島さんが登場したのは、いかにも昭和のおじさん的発想だと批判がありました。私自身も昭和の人間で、今は阪神ファンだが、子供の頃は「巨人・大鵬・卵焼き」だった。長島さんは子供の頃のヒーローだった。だから、あの姿は痛々しかった。ご本人は喜んでおられたらしいので良かったのかな。大坂なおみさんの最終ランナーは理屈なしに良かった。点火の方法はあまりに普通で面白みに欠けたけれど、それも、この情勢下では仕方がないことだったと思う。そもそも今回の開会式にショーは必要なかったから。

 というわけで、現在の私は、コロナの拡大を心配しつつも、日本選手大活躍の東京五輪を楽しんでいるようです。太平洋戦争が始まった時、勝ち目のない日米開戦に反対していた人々は、真珠湾やその後の初期の戦闘での日本軍の大勝利(と思われていた)のニュースを知らされて、現在の私と同じような心境でいたのではないかなどと想像しながら。それにしても男子サッカー。フランスに4-0で勝った時には金メダル間違いなしと思ったのだが、トーナメントに入って、得点できずにニュージーランドに大苦戦。やっとPK戦での勝利。私は、ドキドキして心臓に悪いので、PK戦を生放送で見られなかった。まさに薄氷を踏む思いの勝利で、今回の日本チームが強いのか弱いのか分からなくなった。それが分かるのは8月に入ってから。次はスペイン戦。現在のベスト4でも十分なのだが、何色でもいいから、メキシコ五輪以来のメダルをとってもらいたいというのが、釜本・杉山時代の昔からのサッカーファンとしての正直な気持ち。やっぱり、いまさら東京五輪の中止なんてできないよね。


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