東京の旅・福井の旅 ①
11月下旬、東京を経て北陸へ行くという旅をしました。今年の3月に北陸新幹線が福井県の敦賀まで延伸されたので、その様子を見に行くというのが旅の目的でしたが、どうせなら、昨年行けなかった東京にもついでに行こうということで、今回の東海道新幹線と北陸新幹線を乗り継ぐ3泊4日の旅になりました。
まずは東京。昼過ぎに品川駅に着き、今回の宿舎である品川プリンスホテルに荷物をあずけ、巨大ホテルの構内にあるフードコート「品川キッチン」で急いで昼食をすませた私たちが向かったのは、千駄木にある「文京区立 森鷗外記念館」でした。
その日は月曜日でしたが、普通、公共の施設は毎月曜休館のところが多いのに、この記念館は休館日が少なく、11月は翌日の火曜日が休館日でした。もう十年以上も前になりますが、森まゆみさんの数々のエッセーに触発されて、いわゆる「谷根千」地区を家内と二人で歩いたことがあります。その時に、団子坂にある、鷗外がその死まで暮らした「観潮楼」の跡地も見学しました。当時は、文京区の図書館の古い建物が建っていて、鷗外関連の資料はその別室に展示されていました。それはとても貧弱で、明治の文豪鷗外を顕彰する施設としては物足りないなと感じたことを覚えています。その場所に、立派な鷗外記念館が建設されたと知った私は、機会があれば行きたいなとずっと思っていました。
たまたま今年、長年のファンである朝井まかてさんの小説「類」を読んだ家内が、「観潮楼」の跡地を見たいと言い出したので、今回の旅の目的地にこの「森鷗外記念館」が入ったというわけです。この小説は私も読んでいました。「類」というのは、鷗外の子息の名前です。この小説は、優秀な人物ばかりの森家にあってただ一人落ちこぼれた末っ子の森類を主人公にした伝記小説です。とても面白かった。もちろん、類もこの「観潮楼」で生まれ育ちました。
「森鷗外記念館」は団子坂の上にありました。見たところ、安藤忠雄風のコンクリート打放しの建物のように見えましたが、よく見ると、中国風の灰色のレンガを張ってから表面を削ったものでした。設計者は、陶器二三雄という方で、いくつか建築賞を受賞してる建物だそうです。この日は、特別展「111枚のはがきの世界」が展示中で、それはそれで興味深い展示でしたが、残念ながら、期待していた、昔の「観潮楼」の模型など、当時の森家の暮らしぶりを知ることができる展示はありませんでした。果たしてここは本当にあの「観潮楼」の跡地なのかなと疑問に思った私は受付の女性に確認したところ、間違いなく跡地ですと答えがあり、では、あの「三人冗語の石」がある庭はどこにあるんですかと尋ねたら、外から行けますが、その後ろにあるカフェに入ればガラス越しに見えますよと教えてくれました。
とうわけで、「カフェ モリキネ」で休憩しました。ここからは、旧「観潮楼」の庭(の一部?)がよく見えました。あの有名な「三人冗語の石」もちゃんとありました。私にとっては十数年ぶりの再会です。「三人冗語」というのは、鷗外が主宰していた雑誌のコラムの名称で、鷗外、露伴、緑雨の3人が作品の合評をしていました。その3人が観潮楼の庭で記念撮影した有名な写真があります。その写真で鷗外が座っていた大きな庭石が「三人冗語の石」です。鷗外ファンにとっては聖なる石ですね。大きなイチョウの樹も当時からあったものだそうです。
「森鷗外記念館」から東京駅に戻った私たちは、駅前の「東京ミッドタウン八重洲」を少し見物してから、大丸の高層階にあるレストラン街で、美しい東京駅の夕景を眺めながらの夕食をとり、すぐに品川のホテルに戻りました。初日の街歩きはこれで終了。もう年ですから、夜の街歩きはしません。
翌朝、ホテルを出た私たちは、昨日とは逆方向の山手線に乗って恵比寿駅に向かいました。そこから地下鉄日比谷線に乗り換えて神谷町で下車。目的地は「麻布台ヒルズ」です。建築と街並みを観ることが趣味の私が、建築中から注目していて、昨年11月にオープンしてからは一刻も早く見物したいと思っていた建築です。建築というよりも、ひとつの新しい街と呼んだ方がいいですね。デベロッパーの森ビルは、「緑につつまれた、人と人を結ぶ広場のような街」をめざしたそうです。計画から30年以上もかかって、やっと完成しました。ここはかつて、小さな住宅が密集する起伏の多い地区だったそうです。
建築としては、麻布台ヒルズの中心に建つ森JPタワーは、現時点では大阪の「あべのハルカス」を抜いて、日本一の高さを誇りますが、ビルの形状は六本木ヒルズの建物に似ていて新鮮味はありません。でも、その低層部は、急峻な丘陵のような、あるいは北斎の浪のような、いままで日本にはなかった奇想天外かつ斬新なデザインで、いったいどういう構造をしているのか、私は観る前からワクワクしていました。麻布台ヒルズには、故シーザー・ペリをはじめ、数多くの海外のデザイナーが関係していますが、低層部は、トーマス・へザウイックという54歳の英国人が設計デザインをしたようです。この人はこの他にも人々の度肝を抜く斬新な建築を上海やニューヨークなど世界各地で手がけているようで、どういう人物なのか興味が湧いてきました。(ネットで検索すると、彼は「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチだ」と称されているそうです。)
というわけで、私としては、麻布台ヒルズの建築を外からも内からも隅々までじっくりと観察したいと思っていたんですが、同行した家内は別の考えを持っていました。彼女は建築には興味がありません。関心があったのは、どういうテナントが入っているのかだけでした。どうやら、事前の調査で、行きたい店も見つけてあったようでした。地下鉄駅を出て麻布台ヒルズの構内に入った家内は、一直線に目的の店舗に向かいました。といっても内部は複雑広大で、結局はインフォメーションで場所を尋ねることになったわけですが、家内が向かったのは「鈴懸」という和菓子の店。なんと、開店前の店の前で行列に並んだのでした。この時点で、麻布台ヒルズの建築探訪はほぼ諦めました。家内が行列している間、私は、韓国人の建築かデザイン関係者だと思われるグループが、周囲のあちこちの写真を撮りまくっているのを横で羨ましく眺めていました。
それでも、ざっとではありますが、麻布台ヒルズの全容はほぼ見ることができました。この日に庭園で開催中だった「クリスマス・マーケット」を抜けて、森JPタワーに入り、テナントのショップを見て歩いた後、レストラン街のインド料理店で昼食をとりました。(案外、リーズナブルな価格で安心しました。)なお、この森JPタワーでは、展望台を一般には開放していないようです。オープン当時には開放していたようなのに、どうしてなんでしょうね。麻布台ヒルズに対しては、富裕層やインバウンドにばかり目を向けて、一般の日本人庶民は相手にしてしない。お高くとまっている、だからガラガラだというような批判があるようですが、それは森ビルの営業方針のことなので、私のような外部の人間がどうこう言うことではありません。少なくとも、ガラガラではありませんでした。ただ、これから東京へ行くことがあっても、また麻布台ヒルズに行こうとは思わないだろうなとは思いました。私は根っからの庶民ですからね。なんて言いながらも、建築を隅々まで見るために
また行くかもしれない。