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ウソメンタリーができました。と、その後。

みなさん、ついにこの日を迎えることになりました。明治二十七年の構想から百三十年。先人の、そして我々の夢と希望と野望、血と汗が育んできた国鉄南勝線の起点標を抜き去る日が来たのです。

南勝線廃線セレモニー あいさつ文より

2024年11月24日、長きにわたって真庭と倉吉をつなぐ住民の足となっていた南勝線が廃線の日を迎えました。

という体で行なったイベント「未成線 南勝線があったとしたら!?プロジェクト-ありがとう!さようなら!南勝線-」(タイトル長!)から、はや2ヶ月の時が経ちました。

廃線セレモニーに手作りの手旗や横断幕を持ってのラストランの見送り、私たちの妄想とロマンを乗せて南勝線最終便(に見立てた姫新線16:05発 津山行)はJR中国勝山駅を後にしました。

ウソメンタリー。

この様子をニュース風映像として世に放ち、後世の人がうっかり引っかかってくれたらとイタズラ心をちょいと盛り込んで記録映像を作りました。(もちろんフェイクであることは注釈しております。)

かつての乗客として思い出を語ってくれたイベント参加者さんの迫真の演技には舌を巻きます。
「誰もインタビューを受けてくれなかったらどうしよう」って心配は必要ありませんでした。なんなら出演の声掛けをする前から何を話すかめっちゃ考えてくれてました(笑)。

動画の撮影と編集は映像クリエイターとして活躍することを目指している地元の若手クリエイターさんにお願いしました。この経験も今後の活動の肥やしになってくれたらと、MANIWA BAUM総合プロデューサーが声を掛けました。

かなりいい出来になっていると自負していますので、ぜひあなたも参加者になった気分でお楽しみください。


イベント、その後。

盛大な妄想イベントで唯一の本物であり、これを保管されていた方の存在があったからこそイベントにつながった最大のキーアイテム「南勝線起点杭」。
イベントで展示させていただいたのをきっかけに、保管されていた元国鉄職員の石尾さんとお孫さんの今石さんの元へ取材がありました。

未成に終わった路線ですが、今回のイベントをきっかけに当時の品が日の目を見、南勝線や当時の鉄道熱を現在に伝えることができるという歴史の一片を担えたことはとてもありがたく思います。

森の芸術祭応援企画としての南勝線プロジェクトはこれで終了になりますが、南勝線の夢の下に私たちは再び集まることができます。
実はまだまだエクストラ企画へ続きます。

再びお会いできる日を楽しみに。

ごあいさつ

みなさん、ついにこの日を迎えることになりました。明治二十七年の構想から百三十年。先人の、そして我々の夢と希望と野望、血と汗が育んできた国鉄南勝線の起点標を抜き去る日が来たのです。

百三十年の間に、元号は明治、大正、昭和、平成、そして令和へと移り変わりました。ここ美作では、まず明治三十一年、中国鉄道岡山市・津山間が開業しました。大正十二年から昭和五年にかけては作備線津山・新見間がレールで結ばれました。昭和七年に全線開業した因美線は、中国鉄道、宇野線との連絡により、伯備線に続く山陰山陽連絡鉄道の役割を帯びました。さらに昭和十一年、鉄路は姫路から新見へとつながり、芸備線への接続で、美作を経由する山陰山陽中央横断鉄道へと発展しました。そして昭和十九年、中国鉄道が国有化され、美作の国鉄鉄道網が完成しました。

その輝かしい歴史の陰には、計画されながら開業にいたらなかった、数々の鉄道があります。我々は、先人が築こうとして努力した鉄道の歴史を忘れてはなりません。その最初は、明治二十二年に仮免許を申請した陰陽鉄道です。姫路から津山、勝山、四十曲峠を越えて、鳥取県の根雨から米子にいたる鉄道です。明治二十二年は岡山県南に先駆け、ここ美作で鉄道敷設熱が起こりました。つまり美作は、岡山県、そして中国地方においていち早く、鉄道に情熱を傾けた所なのです。

陰陽鉄道計画から五年後の明治二十七年、岡山、津山、勝山、湯本、中和、倉吉、米子を結ぶ山陰山陽連絡鉄道中央線構想が提唱されました。この明治二十七年の提唱をして、我々は、国鉄南勝線計画の嚆矢と呼びたいと思います。先人たちはその後も鋭意、国に対して南勝線建設の陳情を繰り返してきました。その努力は実り、大正十一年四月十一日に公布された法律第三七号「鉄道敷設法」の第八十九号予定線に「岡山県勝山より鳥取県倉吉にいたる鉄道」が明記されました。それはまさに、国鉄南勝線開業に向けて大きく歴史が動いた瞬間でした。

昭和三十九年に「鉄建公団」、つまり「日本鉄道建設公団」が設立され、国鉄南勝線は、智頭急行線や井原鉄道などとともに、「鉄建公団」により建設されるはずでした。しかし昭和五十五年二月二十七日、法律第一一一号「国鉄再建法」、つまり「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」が公布され、同年十一月二十八日には、第九三回参議院本会議で「国鉄再建法案」が可決・成立しました。そのあおりを受け昭和六十年四月一日、国鉄倉吉線が廃止されました。ここにいたり、国鉄南勝線は山陰側の着地点を失い、計画は完全ストップしました。

いまに生きる我々は、国鉄南勝線をあたらしい観光資源、真庭の発展インフラ、人と文化が交流するあたらしい動脈に位置づけ、第三の山陰山陽連絡鉄道としての構想を固めてきました。「銀河鉄道九九九」で星野鉄郎とメーテルは、C六二形蒸気機関車をモデルにした、九九九機関車で宇宙を旅します。南勝線は、我々のドリームプランの中を永遠に走り続け、美作、そして真庭の人々に、夢と希望を運び続けます。

みなさん、我々は再び、国鉄南勝線の元に集まり、さらなる夢と希望を求め、そして語り合おうではありませんか。南勝線は永遠に不滅です。

令和六年十一月二十四日

南勝線プロジェクト顧問
就実大学人文科学部総合歴史学科特任教授
小西伸彦

南勝線廃線セレモニー ごあいさつ全文

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