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私が存在することの気持ち悪さ
日本では無理やけど、200万くらいで安楽死できるって話を聞いたことがあって、そこから半年くらいかな、どのくらい考えたかわからへん。でも、ほぼ毎日、そのことについて考えてた。
楽しい日も悲しい日も「200万で安楽死したい?ほんまに?」って自分に問いかけてたけど、いつでもYES。断言できるわけじゃないけど、いつ考えてもどちらかといえばYESだった。
自分が存在してることがどうしても気持ち悪い。人から認められてると思うし、人から愛されてると思うし、夢も希望もあるし、やりたいこともたくさんある。自分のことも別に嫌いじゃない。でもやっぱり根本的な感覚として、キモいねんな。自分が存在していることそのものが。
生きることの難しさとか、もう何も考えたくなくて苦しいやっていう、思考停止したいなって気持ちから来てるのかなとも思うけど、やっぱりそうでもない。
楽しい日も、夢が叶った日も、素敵な予定ができた日も、奇跡みたいに美しい時間を生きた日も、自分が居なくなってしまうことを望んでる。存在することそのものがとても不自然で、いない方が自然だと思うから。
それやのに、なぜ生きてるかと言うと、いくつか思い当たることがあって、一つは命が好きってこと。自分も命だから、それを考えた時、やっぱり自分が老いたときのこととか見てみたいなって思う。存在することの違和感は、己の好奇心に負ける。
あとは、生きてることに違和感はあるけど、自分が生きることで引き起こる色んなことにたいして、かけがえないなって感じてるから。ここまでわざわざ生きて来て消えるのもどうかと思う。消えたら周りの空気が揺らぐことくらい想像できる。自分が撮る写真とか、人と過ごす時間とか、常に奇跡。消えてるのが普通だと感じてる人間からしたら、毎日の出来事が引き起こってるのがすごいなと思う。
最後に、死にたいわけではないってこと。いなくなるための手段が死ぬことしかないって絶望的。死ぬのって、どんな手段使ってもしんどいやろうし。そもそもべつに死にたくはない。フワッと消えられたらええんやけど。
消えていたいのになんでわざわざ沢山の人に会うような日々を生きてるのか、自分でも不思議やった。
消えてるのが自然っていう意識の中、自分が存在してるのが常にキモい。どうせ存在するなら、存在してることを受け入れたいなって気持ちがあるねん。だから人に会ってるんやなと気付いた。人は合わせ鏡なので。対話することで自分の存在を分かることができる。
それでも身体を忘れるんやけど。いまだに自分の顔に対して綺麗とか汚いとか思えない。コンプレックスを抱く段階にすら至れてなかったりする。
安楽死の制度、私も受けられるんやったら、死ぬ日を設定して、そこから生きるのも得策な気がする。
100日後にいなくなる想像をしただけで気持ちがかなり楽になったりするから。
違和感を拭うのがほんとうに難しい、もっと自分の生き方を考えていきたいな。
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