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正解のない世界で旅をする
このタイトル、前にnoteを書いていた時にとても気にいっていたもの。
気にいっていたら、保存くらいしておけばいいのに、私のオールリセット癖が発動して、残っていない。
なので、このタイトルで今感じている事を書いてみようと思う。
「正解」って一体なんだろう?って、最近特に思う。
これって「しあわせって何?」というのと同じくらい 難しい問な気がする。
わたしの中に日々の中に様々な「正解」が生まれていて
その「正解」は、日々の現象や過去からきたもので形成されている。
1年前「正解」と思っていたことが今は違うことはたくさんある。
日々、自分の「正解」に自問自答している。
「正解」は、人の数だけある。
人の数だけあるから衝突もあるけれど、あるからこそ世界が鮮やかになる。
「誰か」の正解をどれだけ許容できるかが、世界に彩りをもたらす方法なのかも?と思っている。
正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解正解。
正解のゲシュタルト崩壊笑。
誰かの「正解」と自分の「正解」が違ったときは、ふたつの「正解」を袋にいれて、シェィクして2つの角を少しまあるくするのがいいかもしれない。
「正確」同士がぶつかりあった世界は、なんだか寂しい。だって「正解」が悪いわけではないから。
「正解」の取り扱いが上手になればいいだけのこと。
「正解」に囚われず、わたしの中の「正解」を大切にしたい。
誰かの「正解」もわたしの「正解」も両方「正解」
だから世界には「正解」がない・・・のかもしれない。
なんかぐちゃな感じになっちゃった。
ま、よい・・か。
2024.4.25 ヨコタユウコ