芒に片山津のこと
──ススキが見たいな
見たいのである。秋は紅葉というのが相場であろうが、銀色に波打つススキの海原の方を個人的に好んでいる。野道や川沿いを進む途中、目に入るのは背を伸ばしきったススキらの面々ばかりで、ことに密集している処なぞあれば前方不注意にならぬ塩梅で眺めてしまう。
──近くにあるだろうか
あったのである。"近く"の意味する距離、或いは時間を考えてみたことはないが、信号なき道を車で三〇分というのは近いのか否か、これは迷いどころだ。幸い時間だけはある─昼刻に限るということにしておく─から、迷わず「ススキの名所」なる処へと向かう。
人烟見えぬ山間に蜻蛉が飛び交う光景にはある種の恐ろしさがある。とても人の地ではなかろう空気の中、手を鳴らしながら進む。風に揺れる葉の音にさえ敏感になり、時折息を殺して気配を窺うなどする。コウキシン君、キミには付き合っていられない。勝手にするがいい。ボクは引き返すさ。
宿は片山津のキャピタル温泉宿に。晩も宿にて豪華キャピタル飯、中坊顔負けのドカ食いを披露したのち、行動不能で九時過ぎに就寝す。入浴は朝であった。
この温泉街に泊まるのは三度目で、その最初の夜は忘れられない。当時付き合っておったガアルフレンド、いまの妻なのであるが、初めての泊まりがけの旅行でここ片山津に宿をとったのであった。宿に着き、いざチェックインの手続きをしようと思うたら、そんな予約は受けていないと言われる。よく調べてみると一週間ずれておったのだ。
その宿も当日は満室。流石にへこんだが、幸運にもすぐそばの宿で空きがあったからそちらに泊まった。その部屋からの眺めが頗る宜しく、多分に救われたことを今でも覚えている。こうして、今の部屋から外を眺めてみても同様の風景である。大き過ぎない湖のその全景は視界に収まり、湖東には長閑な平野が開けている。どこに泊まっても同じようなものなのであろう。
さて、朝飯でも食べに行こう。