兎に峠、それから蜆
絵に書いたような外面の戦闘機が、轟音とともに物凄い勢いで頭上を横切っていく。石川は小松である。自衛隊小松基地に数多く配備されているのはF-15だそうだが、今後はF-35Aなる最新型が配備される予定だそうな。後者も稀に上空を飛ぶことがあるそうで、曰く「キーンという金属音のような、高い音がする」とのこと。そんな小松にまで熊が出没するというのは吃驚である。最近は熊の話題が多い。そのぶん私の「クマなく探す─」も発動するのであるが、笑ってもろうた試しはない。
市内某所にて拳ほどの大きさの、兎の置物を買った。兎を好むのは卯年の生まれであるという、ただそれだけであれば別段なんの問題もないが、兎の彼是を憑かれたかのように蒐集したという泉鏡花への憧れもあったりするのが実。いつだかの記念館では感激したものである。そんな鏡花の生まれ干支は卯でないのだから困ったものだ。因みに彼のそれは、向かい干支を身の回りに集めるのは縁起が良い、なる言い伝えに基づいている。
北陸には安宅の関をはじめ、源平由来の史跡が数多く存在する。そのなかのひとつ倶利伽羅の峠の見物へ。角に松明を灯した数百の牛が維盛率いる平家軍を谷底に落としていったという、火牛の計で名高いかの古戦場である。はて、この私がいくら思いを馳せたとて、源平の折にまでは届かないのか。否、そんなことはない。事実、須磨寺の庭や時代の近い平泉のそれは感慨深いものであった。そういえば安宅の関まで足を運んだことなない。どうなのだろう、何かしらの感はあるのだろうか。
宿は高岡の町なかにある、古風な旅館をとった。いかにもつげ好みの構え、内装である。いちばん風呂はタイル張り、湯加減よろしい。夕飯は各々の部屋で、というシステム。出向かなくていいというのが嬉しい。持参の酒を呑みながら舌鼓、酒代がかからぬのも嬉しい。
宿には門限があるから迂闊に出歩けない。高岡には馴染みの店も持っておらんから、そんなのはなんてこともない。しかしながら流石に暇だ。畢竟それを持て余した。買うてきた兎の焼きムラと、酒器の底のチカチカと黄金に燃えるのとを交互に眺めてやり過ごす間に、酔いも回って眠った。
朝はしじみ汁が出た。故郷を思い出して、温まるのであった。